warm snow
亮ちゃん、亮ちゃん、亮ちゃん。
ジャンボくんから、駅前で亮ちゃんに会ったという内容のメールを見た瞬間、私はコートを掴んで家を飛び出していた。
一刻も早く、逢いたい。
「亮ちゃん!」
雪で白く霞む視界の向こうに、夢にまで見たその人が立っていた。その姿を見るのは、今年の三月にあの家を出ていった以来だ。年末のためかあたりに人は少なく、しんしんと降り続く雪だけが私たちを静かに包む。
「......なまえ?」
数メートル先の亮ちゃんが、はっとしたような面持ちでこちらへと近づいて来る。
少し背が伸びたのかな。
「亮ちゃん、おかえり」
「どうしたの? 家、隣なんだから待ってたらいいじゃん」
「そうだけど......早く会いたくて」
「ふーん?」
亮ちゃんは昔から、よくこうやって私を試すように見つめ返す。その度に私は、その視線にいたたまれなくなってうつむいてしまうけれど、今日はぐっと堪えてその顔を見据えた。
「疲れてるとこ悪いんだけど、ちょっと公園寄ってもらってもいいかな?」
「......いいけど」
私たちの家の近所のこの公園は、滑り台やブランコなどのちょっとした遊具があって、昔よく、亮ちゃん、春ちゃん、私で日が暮れるまで遊んだ場所。今は公園の遊具も、うっすら雪をかぶり静かにたたずんでいる。
私はまっすぐブランコの方へ近づき、そこへ亮ちゃんを誘った。
「話があるの」
座って軽く漕ぎはじめると、古びたブランコからはキィィという寂しげな音が響いてくる。錆びて冷えきった鎖をぎゅっと握り、身体ごと亮ちゃんの方へ傾け、重い口を開いた。
「今日から亮ちゃんのこと、『亮介』って呼びたい」
「どうしたの、突然」
亮ちゃんの目がいつものように意地悪な弧を描いた。
それを見ると、また私の中の弱虫が顔を出す。小さな頃からの、亮ちゃんに対するこの相反する気持ちーー好きなのに苦手で、苦手なのに好きーーは未だに処理しきれないまま心の奥底に淀む。
私がだんまりを決めこんだものだから、更にその笑みが深くなった。
「へぇ、なまえのくせに生意気」
「そんなこと......」
言葉に詰まりそうになるけれど、今日は引き下がるわけにはいかない。
「う......、生意気でもいいから呼びたいの」
「ふーん。なんかいつかの春市みたいだね」
「ええっ?! 春ちゃんも『亮介』って呼ぶの?!」
「バーカ」
亮ちゃんはふいっと遠くを見つめ、ゆるやかにブランコを漕ぎはじめた。
あれ? もしかして春ちゃんの『兄貴』呼びのことかな。でも、二人の間に何があったのかは私にもわからない。
気を取り直すように、呼ぶもん、と小さくつぶやいたけれど、ブランコの音にかき消されて亮ちゃんには届かなかったようだ。
成長した今これに乗ると、小柄な亮ちゃんでさえずいぶん遊具が小さく感じるから不思議な気持ち。数回漕いで飽きたのか、すぐに静止したため、わずかな沈黙が続く。それをゆっくり破るように、私はそっと言葉を差し出した。
「あのね、私、もう幼なじみを卒業したいの」
「そう......。それで? なまえは幼なじみを卒業して何になるの?」
「え? だ、だから......」
もごもごと口ごもってしまった私を、亮ちゃんは昔と変わらないポーカーフェイスで観察している。私は小さな頃からやっぱりこれが苦手だった。自分の頼りないところが露呈して、たまらなく嫌になるからだ。でも、今日は違う。
「えっと、だから」
「うん」
本当は亮ちゃんだってわかってるんじゃないの、なんて口が裂けても言えない。ここは切り出した私が言わなきゃいけないし、亮ちゃんだってそれを待っている気がする。
「一人の女の子に、なる」
正面から向かってくる、いつも私を怖気付かせるその視線を、今日は真っ向から受け止めた。
「うん」
「............」
私が並々ならぬ決意で言葉を絞りだしたって、あいかわらずそのポーカーフェイスは崩れない。
でもそうだよね。はっきり言わなきゃダメだ。もともとこんな馴れ合いみたいな関係を、確固たる何かにするために。
「わ、私は......亮ちゃんのこと......」
「好きだよ」
「え?」
その、一見微笑んでいるような、いつも表情の読みづらい顔を思わず見つめ返した。
今、私が言ったんじゃないよ、ね?
「え?え、え?」
「その顔、すごいマヌケなんだけど」
「あの、今の『好きだよ』って」
「だからそのままの意味」
なおも私がパニックになっていると、亮ちゃんはふっと一つ息をつき、俺が、と切り出した。
「なまえのこと好きだってこと」
「え......」
瞬間。口の中に、飛び上がるほどひんやりした何かを感じた。
「口閉じなよ。すっごいマヌケなんだけど」
「え、あっ、雪?」
「うん。口に入ったよ、今」
「どおりで冷たいはずだ......。でもびっくりした! 亮ちゃんから言ってくれるなんて思わなくて。それに......すごい、うれしい」
「俺のことなんだと思ってるの? それに、名前で呼ぶんじゃないの?」
「そ、そっか。うん」
亮ちゃんは、そんな私に追い打ちをかけるかのように続ける。
「昔からなまえのこと、一人の女の子としてしか見てなかったよ」
「うそ......」
「ほら、またその顔」
「だって......」
ふと顔を上げると、あいかわらず降りやまない雪は、くるくる踊りながら私の顔に触れていった。ふわりと落ちてきた雪を、あえて瞼を落とさず目で受け止める。一瞬、じんと冷たくて、けれどすぐ、熱い涙と自然に混ざり合い溶けていった。さっきと同じ雪じゃないみたい。
「なにしてんの、ほら帰るよ。あいかわらずトロいんだから」
すっと差し出された、以前よりたくましくなったその優しい手。そしてそれに、幼なじみとしてじゃなく、恋人として重ねることのできる幸せ。
「りょっ、亮介!」
ぬくもりも分けあうようにその手を握り返し、思いきって名前を呼ぶと、亮ちゃんはなぜか視線を外してうつむいた。目を合わせないなんて亮ちゃんらしくない。
伏せられたその顔を、川底にキラキラ光る何かを見つけたみたいに覗きこむ。
「なまえ、行くよ」
つぶやいて吐き出された息は、さっきよりずっと白い。
ああ、名前を呼んだらそんな顔してくれるの。
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