男のロマンについて研究しているだけです

「ねぇ、伊佐敷。少女マンガってさ、絶対にパンチラしないよね」

 今流行りの、ドタバタラブコメディがウリの少年マンガを広げたなまえが、目の前で同じく読書にいそしむ人物へと視線を向けた。

「あ?」

 すると、くりくりっとこぼれんばかりの大きな瞳を持った可愛らしい女の子が表紙のその向こう側。そこから、泣く子も黙る鋭い三白眼が、ギン、とのぞく。

 ぽかぽかと穏やかな陽射しが教室を包み込む、とある四月のお昼休み。やわらかな春の風は、時折、クリーム色のカーテンを静かに揺らしている。窓から見える校庭の桜は、今が満開の時を迎え、散ってしまうのが惜しいほど気高い美しさをもって咲き誇っていた。
 現在、なまえとこの三白眼の持ち主、伊佐敷は読書の真っ最中だった。
 わずかに眉を寄せた伊佐敷が、一旦マンガを机に伏せる。

「まーたそれか......。んなの描いたって読者の少女は喜ばねぇからだろが!」
「ほぅ、読者の少女......」
「んだよ、なんか文句あんのかよ!」
「いや、別に」

 去年から同じクラスのなまえと伊佐敷は、“マンガ好き”という点ですぐに意気投合した。けれど、なまえは少年マンガ好き、伊佐敷は少女マンガ好き。時々、互いのおすすめを交換し合うことはあるものの、結局はそれぞれが好きな方に落ち着いてしまう。しかも、おのおのがイチオシのマンガを語りだせば「少年マンガ最高」「いやいややっぱ少女マンガだろ」と、互いの意見は無常な平行線の一途を辿るのだった。

「具体的に言うとさぁ......」

 そう呟きながら、なまえが伊佐敷の手元の少女マンガを取り上げ、パラパラと適当にページをめくる。

「この、花子ちゃんが学校の屋上で膝を抱えるシーン。普通にこのポーズしたら、間違えなくパンチラだと思うんだ」
「だからそこは絶妙な少女マンガのアングルでごまかすんじゃねーか!」
「はぁ......」

 なまえの空気の抜けたような返答に、伊佐敷はあきれてひとつ、ため息をついた。

「それってさ、『アイドルはおトイレ行きません』みたいなもんだよね」
「おう、そんなもんだ」
「う〜ん......。でもでも、ラブコメにおけるパンチラ遭遇時のラッキースケベについて」
「それもう何回も聞いたっつの!」

 むふーっと伊佐敷が鼻息荒くなまえの言葉を遮り、再び机の上の少女マンガを読みはじめた。
 せっかくの私のパンチラ考察を......。
 そう不満に思いながら、仕方なく読書を再開する。だが、読むふりをしつつ、こっそりと向かいを盗み見た。
 なまえはただ、伊佐敷の男としての何かが心配だった。毎日毎日どっぷり野球に明け暮れーーそれは彼がここ、青道高校に来た意義でもあるのだがーー少女マンガに傾倒し、健康的な男子高校生として大切なものが欠けていると思うのだ。“パンチラ”という、男子がいかにも喜んで食いつきそうなネタ、いわば男のロマンについてまったく無関心だなんて。
 硬派といえば聞こえはいいが、実のところ、女子に興味がないだけなんじゃないか。伊佐敷は同性に人気があるタイプで、同じ野球部の結城ととても仲が良い。もしかしてもしかすると......と、なまえは以前より二人の仲を少し疑っていた。
 目の前の、頬杖をついた伊佐敷の視線はあいかわらず、絶対にパンツの見えない偶像の女の子をとらえている。

「えっと、野球部の沢村くんだっけ? あの人、いかにもラブコメの主人公っぽいよね。ラッキースケベな感じが」

 伊佐敷は「あー」と気がなさそうな生返事のあと、

「あいつ結構純情だからな」

 マンガから視線を外さずに続ける。

「......結城くんも純情そうだよね。むっつりタイプ」

 “結城”という単語に反応したのか、伊佐敷はパッと顔を上げた。

「そうか? あいつは無口なだけで、わりとストレートだぞ」
「へぇ......」

 どこかおかしそうに含み笑いをする伊佐敷がやっぱり怪しくて、なまえはどうしても勘繰りたくなってしまうのだ。他人事のはずなのに。
 今まで幾度かこの話題を振ったが、伊佐敷は一度として本心を見せたことはない。
 やっぱりこれ以上詮索したってムダか。
 結局、なまえはあきらめて、よいしょと立ち上がった。

「どこ行くんだ?」
「えっと......お花摘み」
「お、おう......」

 散々、「パンチラパンチラ」と連呼しておきながら、今更「お花摘み」もないだろう。それが通じる伊佐敷も伊佐敷だが。
 なまえは、伊佐敷にバレないようひそかにため息をついた。まったく、自分のこととなると急に保守的になってしまうのはなぜだろう。
 だが、席を離れ、歩き出したその時だった。教室の窓辺、つまり背後から、非常に強く乱暴な風を感じた。カーテンが風をはらんでふわっと膨らむのを視界の隅にとらえた瞬間、腿のあたりが急にすーすーするような心許ない感覚におそわれる。思わず後ろを振り返ると、驚くべきことになまえの制服のスカートは、通常ならありえない高さにまでめくれ上がっていた。

「え?」

 なまえが反射的にスカートをバッと押さえる。背中にひやりとした冷たいものを感じながら、おそるおそるその先にいるであろう伊佐敷へと視線を移した。
 今の完全に見られたよね。ああ、伊佐敷の反応を見るのがこわい。
 なまえの心はそんな危惧の念に支配されていた。
 はたして、当の伊佐敷はぽかん、という表現がまさにぴったりだというほどぽかんと口を開け、なさけない無防備さをさらけ出していた。

「い、い、今、見たよね」
「見てねぇ!」

 打てば即響く、条件反射のような「見てない」の返答。ますます怪しい。

「見た?」
「見てねぇ!」
「やっぱり見たんだ......」
「いや、見たっつーか見えたっつーか......」

 伊佐敷の、部活でよく日に焼けたその頬が、次第に朱へと染まっていくのがわかる。
 見えた、ということはやっぱり見たのか。
 絶望的な気持ちのなまえは、力なく肩を落とした。
 ラブコメのヒロインならばここは、「もう、バカッ!」と叫んで可愛らしく頬を膨らませるだとか、「こんの変態!」と怒鳴って鉄拳を食らわせるあたりが定番だろう。ラブコメヒロインならかくあるべき、という反応がいくつもいくつもなまえの脳裏をよぎるが、実際はそのいずれも実行できる気がしなかった。なぜなら、自分のパンチラにそれほどの価値があるとは思えないからだ。伊佐敷の前であれだけパンチラの講釈を垂れておきながら、いざ自分の立場になってみるとどうだ。本当になさけない。なさけない、という気持ちも若干おかしい気はするが。
 気まずそうに目を泳がせながら、こちらの反応をうかがう伊佐敷が、むしろ不憫に思えてくる。

「なんかごめん......」
「あ? なんでお前が謝んだよ。ただの事故じゃねーか」
「うん」
「あー、その、わ、悪かったな......」

 なまえは控えめに首を振った。けれど頭の中は嵐だ。
 目の前の伊佐敷は、素直に頬を赤らめるという純粋な反応を示し、彼がれっきとした健全な男子高校生であることを告げていた。
 あれ? なんか悪くないかも。
 最悪な展開のはずなのに、心のどこかにふわりと浮遊するような不思議な感覚を抱いてしまったことに、なまえ自身が一番戸惑っていた。
 どうしたんだろう私。伊佐敷にパンツを見られたのが嫌じゃないかもなんて。これじゃまるで痴女だ。
 なまえは心底、己の思考にあきれてしまう。

「じゃあ、行ってくる......」
「おう」

 なまえが混乱している間に、伊佐敷の顔色は通常のそれを取り戻したようだった。何事もなかったかのようなその返答に、なまえは胸を撫で下ろし、再び歩き出す。
 うん、伊佐敷は普段どおりだ。何も気にすることなんてない。
 けれども伊佐敷は、なぜか思い出したようになまえの背中へ声をかけた。

「おいみょうじ!」
「ん?」

 伊佐敷はためらいがちな様子を見せたあと、ぶすっとした面持ちで口を開いた。

「......あんま男の前で『パンチラ』言うな」
「え? う、うん。わかった」

 伊佐敷がなぜそんなことを言ったのか、なまえにはいまひとつ理解できなかった。
 疑問に思いながらも、一気に廊下へと駆けていく。
 だがその時、まだどこか心残りだったのか、なまえは本当に何気なく、教室を振り返った。
 そこには、大好きな少女マンガも読まず、ただぼうっと頬杖をつき、遠くを眺めて物思いにふける伊佐敷がいた。
 あれ? 何見てるんだろ。
 そう思い、伊佐敷と同じ方へと目を向けると、その視線の先に、満開の桜が咲き乱れていた。
 ああ、桜、今がピークか。そういえばこの間、春らしい色目の下着をランジェリーショップで見つけて買ったんだっけ。そう、ちょうどあんな桜色。今日も確か......。
 瞬間。ビッと電気のようなものが身体に走った。
 いやいや、まさかそんな。
 ......だけど。なまえはふと思った。桜が花弁を散らすまでの間、伊佐敷はそれを見るたびに今日のできごとを思い出すのかもしれない。

「......桜、散らなきゃいいのに」

 都合のいい春の妄想にふけりながら、噛みしめるようにちいさく、つぶやいた。


企画 ≪星墜≫ 様・14th act 変態企画に提出

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