つないだ手と手、溶けてゆく

 やっぱりデカい。そしてゴツい。
 互いの手のひらを合わせた瞬間、改めてそう感じた。
 この手の大きさは、原田雅功という人間そのものを表している気がする。と同時に、このどっしりした寛容な器を持つ彼に、私ははたして見合う人間になれるだろうか。豆の潰れた手のひらの硬さを肌で感じながら、そんなことを思った。



 とある十一月の夕暮れ時、もうすっかり木枯らしが吹く季節になった。放課後の帰り道、雅を学校近くの公園へ誘い、私たちは並んでベンチに腰を下ろしていた。部活が現役の時には考えられなかった、いわゆる制服デートだ。クリスマスは来月なのに、早くも園内の木々にはイルミネーションの明かりが灯っている。
 そんな少し浮かれ気分の風景のなか、私はおそるおそる雅の手元を見守った。

「ど、どう? サイズ大丈夫?」
「おお、なんとか......」

 雅の大きな手にぴったりはまった手袋。最後にそのゴツい指で端をきゅっと引っぱる。

「ジャスト?」
「ああ、いい感じだ」

 鈍い艶を放つ黒のラムレザーの手袋は、私が雅のプロ入りのお祝いのために選んだ一品だ。ドラフトで北海道のチームへの入団が決まったあと、雅のまわりはいろんなことが慌ただしくて、お祝いが随分と先延ばしになってしまった。大学に受かれば東京に残る私と、この地を去る雅が一緒に過ごせるのはあと数ヶ月。
 雅は手袋をはめたまま両手でグーとパーを繰り返し、満足げに笑った。保温性が高く、柔らかいのがラムレザーの特徴らしい。

「いいじゃねぇか、これ」
「でしょ? 選ぶのすっごい苦労したんだよ。なんせこのキャッチャー様の手のデカイこと」
「悪かったな」

 雅がぶすっとした顔でその両手を見つめる。

「......私、この手好きだよ」

 そう呟いたら、雅の表情がふっと緩んだ。

「まぁ、その......ありがとな」
「どういたしまして」
「そういやぁ、お前の謎のハイタッチはこれのためだったのか」
「うん」

 寒さが厳しい北の大地へ旅立つ雅のために、少しでも防寒になればと、私は手袋をプレゼントすることにした。けれど、いくら彼氏だからといって手のサイズまではわからない。そのため、ショップへ行く前に「原田選手ホームランです! ほい、ハイタッチ!」と言いながら、当惑ぎみの雅の手と自分の手を重ね合わせ比較し、半ば強引にサイズを見たわけだ。
 雅の手は全体的に大きなつくりで、指も長い。手のひらや指の腹は、バットの振りすぎで今や岩のような硬さだ。あまり意識したことはなかったけれど、横から見ると厚みもかなりある。他のキャッチャーのことはよくわからないが、どこか安心感を覚えるその手は、とてもキャッチャーらしいと思った。
 そして私は事前にチェックしておいたショップに入り、その中で一番手の大きい男性店員さんを探した。「たぶん自分が一番大きいです」と申し出た店員さんと自分の手のひらを合わせてみたが、案の定、雅の大きさには敵わなかった。その後いろいろと相談を重ねながら、ようやく決定したのがこれだ。

 私は、自分のむきだしの両手に息を吐きかけ、こすり合わせながら雅にそのエピソードを披露する。
 すると雅はなぜか、かすかに眉を寄せて私の顔を見た。

「お前、知らねぇ奴と手ぇ合わせたのか?」
「うん......?」

 雅はそれ以上何も言わなかったけれど、その表情はどこか不機嫌そうに見えた。恋人ゆえの都合のいいフィルターでもかかっているのか、それとも。

「う〜、今日も一段と寒いね」
「よし、これもつけてろ」

 そう言って雅ははめたばかりの手袋を脱ぎ、それを私に押し付けた。

「『寒い』はなんとなく言っただけだって。風邪なんかひかないよ」
「いいからつけてろ」

 低い声で促す雅に、私は内心歯噛みする。
 私は今日、学校へ遅刻しそうになり、コートは着たもののマフラーと手袋を忘れてしまった。私の首には今、雅の黒いマフラーが不恰好にぐるぐる巻きされている。ここへたどり着く前に雅にやられたものだ。いらないと言ったのに、雅は少し困った顔で、私の首に自分のマフラーを巻いてくれた。
 恋人同士なら普通、彼のマフラーだなんて浮かれてしまうところだろう。けれど雅がやると、どこか幼い子どもを心配する父親のように映ってしまい、うれしい反面どこか複雑な心境でもあった。まぁ、私が心配させないようにきちんとすればいいだけの話なんだけど。

「そうだ、じゃあこうしよう。手袋もう一回はめて」
「なんだ?」

 訝しがる雅に、私は再び手袋をはめさせた。それから、雅の左手と自分の右手をつなぎ指をからめる。いわゆる恋人つなぎというやつ。そして、有無を言わさずそれを雅のダウンジャケットのポケットにぎゅむっと突っ込んだ。

「一回これ、やってみたかったんだ」
「おい......」

 どこか居心地悪そうな雅の様子を無視して、私は当然のようにその状態を保ち続けた。恋人に対して、余計な父性を存分に発揮する雅が悪いのだ。

「はぁ、あったかいあったかい」
「お前な......」
「雅の手はぽかぽかだ」
「お前のは氷みてぇじゃねぇか」

 やっぱり、と言いかけた雅の言葉を、くどい、と遮った。あとはそれをごまかすように、その大きな手を軽くきゅっと握る。雅は少し過保護なところがあるのだ。
 触れ合った指先から、じんわり熱が伝わってくる。だけどこれは私が温かいだけであって、熱を奪われているのは他ならぬ雅だろう。雅の方が断然筋肉量も多いし、それに伴って身体から発する熱も多いはずだ。
 せめて私の身体がカイロみたいにあったかければいいのに、と思う。触れ合った部分から溶けてしまいそうなほどの熱を、自分自身が発することができたなら。そして、その熱をそのままあの厳しい北の大地へ持って行って、時々でいいから私のことを思い出してほしい。
 この大きく立派な手は、これからたくさんのお金を稼ぎ、すごいピッチャーの球を受け、数々の感動的な試合を作ってゆくんだろう。私だけのものにするなんて、できるはずがない。

『行かないで』

 そんな甘ったれた言葉は、涙と一緒に心の奥へと封じこめる。けれどせめて、せめてこれだけは言いたかった。
 私は先ほどよりも強く、ぎゅっとその手を握る。

「雅。私のこと、忘れないで......」

 絞り出すように伝えるのがせいいっぱいだった。鼻の奥がつんと痛むのは、きっとこの凍てつく寒さのせいだ。

「忘れるわけねぇだろ」
「......うん」

 確かめるように優しく握り返された手。革越しから伝わる熱。この手が、この肌が、じかに触れあっていたならば、私はきっとこの愛しい手を手放すことはできなかっただろう。
 私が顔を伏せると、隣からその大きな手がすっと伸びてきた。それは私の頭の上にポンと乗せられる。頭全体が包み込まれているんじゃないかと錯覚するほど大きなそれは、けれど撫でるでもなく、ただそこへ静かに置かれていた。雅は力があるがゆえか、たびたびそういった触れ方をする。そんなにおっかなびっくりしなくても大丈夫なのに。
 うれしさと恥ずかしさが入り混じった気持ちをごまかすため、私はあたりを落ち着きなく見回した。すると視界に、雅がまいてくれた黒いマフラーが映った。

「よし、ついでだからマフラーで恋人巻きやろう」
「おいなまえ、それだけはやめろ......」

 雅の顔がこころなしか青ざめているように見えたが、この寒さのせいだと解釈しておく。

「いや、絶対やる」
「おいやめろ!」

 静止する雅を振り切って、黒のマフラーの片っぽを雅の首へ巻きつけた。
雅の奴、首もかなり太い。
 それから少しの押し問答のあと、どこからどう見てもかなり痛いラブラブカップルが誕生した。

「ふぅ、これでどうだ」
「うわぁ、絶対見たくねぇ。自分でも見たくねぇ」
「ははっ、大丈夫だって」
「どう見たって痛すぎだろ。どんな発想だよ」

 頭を抱え、うんざりしたようにため息をつく雅のたくましい肩に自分の頭を預ける。

「あぁ、幸せ。この姿をぜひ野球部のみんなに見せてやりたいな。成宮くんなんて言うだろう」
「間違いなく馬鹿にされるな。ああ、想像したら腹立ってきた」

 顔をしかめながらも、雅は無理にマフラーを取ろうとはしなかった。この優しさが私をつけ上がらせることを、雅はまだわかっていないんじゃないかと思う。
 私はそのままの状態で、目線だけを雅の方へ動かした。

「......あのさ、淋しくなっても浮気しないでね」
「しねぇよ。そんな面でもねぇだろ」

 ありえないというその断定的な口調に、そんなことないのに、と思わず笑ってしまった。そういえば雅のやつ、野球部のみんなからも、さんざん顔がゴツいとからかわれてたっけ。ゴツい顔だって、よくよく見れば愛嬌があって可愛いじゃないか。ただ、そのことを友達に言ったら末期だと言われた。でも、雅の良さは私がわかっていればいいことだ。
 私はポケットからスマホを取り出し、左手でカメラアプリを操作する。

「よーし、撮影するよ」
「もう好きにしろ」

 すべてをあきらめた雅はもう、まな板の上の鯉状態だった。私はスマホの角度を調節し、ベストポジションを探す。二人の“今”を繋ぎとめるように。

「ほら、もっと寄って。うまく収まらないよ」
「はぁ......」

 雅は少し照れくさそうにしながらも、私の方へ顔を寄せていく。

「お? おぉっ?! 」
「どうした?」
「並ぶと小顔効果だ」
「うるせぇ......」

 今、この幸せな瞬間を封じ込めるように、私はシャッターを切った。





text / top
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -