君の瞳に首ったけ

 とある日曜日の午前十時。
 ミッション、スタート。
 私は今、彼氏である結城哲也を尾行している。事の発端は、昨日、哲とクラスメイトの佐藤くんとの会話だった。

『結城、花さん淋しがってたぞ。たまには顔出してやれよ』
『む、そうだな。では日曜日に行ってみるか。受験勉強の息抜きにもなるしな』

 私という彼女がありながら、“花さん”って誰よ。
 つまり私は今、恋人の浮気現場を押さえるために後をつけるという、非常に情けない行動の途中なのだった。
 ぴんと伸びたその大きな背中は、よどみなく目的地へと歩みを進めている。商店街の方に一体何の用があるんだろう。私は、哲の背中を穴が空くほど見つめていた。
 そういえば哲、あんな黒いパーカー持ってたんだ。やっぱ黒似合うなぁ。
 見たことのない私服にしばし見とれながらも、発見されないようにこっそりと一定の距離を保つ。
 すると突然、哲がダッと走りだした。見失わないよう、私も懸命に後を追う。

「あ、あれ? 哲どこ?」

 やばい。完全に見失ってしまった。しばらくの間、キョロキョロとあたりを見回すが、やっぱりいない。

「なまえ」
「ぎゃ!!」

 急な声に驚いて振り返ると、当の張本人がそこに無表情で立っていた。

「ぐ、偶然だね。哲もこの辺に用あるの?」
「......なまえは、俺に用があるんじゃないのか?」

 哲はどこか困ったように眉を下げ、私を見つめる。

「あ、もしかしてバレてた?」
「ああ、寮を出てすぐ、背中に突き刺さるような気配を感じていたんでな」
「......野生動物かあんたは」

 もうバレてしまったのなら、遠まわしに言っても仕方ない。私は単刀直入に本題を切り出した。

「ねぇ、哲。“花さん”って誰?」

 私の言葉に、哲はカッと目を見開いた。やはり後ろめたいことなのか、ますます怪しい。

「俺があそこへ通っていること、誰かに聞いたのか?」
「通ってる? そんな何回も会ってるんだ! へぇ!」
「なまえは何をそんなに怒ってるんだ?」
「......自分の胸に手あてて聞いてみれば?」

 哲はより一層困ったように顔をゆがめた。
 哲が浮気なんて、本当は認めたくないのに。私はスカートの端をぎゅっと握って、下を向き耐えていた。
 けれど哲は、私のことなどお構いなしに、すっと踵を返して歩き出した。

「ついてこい。お前にも紹介してやる」
「え?」

 すたすたと足を進める哲の歩幅は大きく、もうかなり私から離れてしまっている。

「なによ......。哲のばか」

 こうなりゃヤケだ。その“花さん”とやらを拝んでやろうじゃないか。私は半ば意地になって、大股でその大きな背中を追った。



「ついたぞ」
「......え?」

 二階建ての、かなり年季の入った貸しビル。表の看板は、もう塗り直す気がないのか色がはげたままで、店の名が読み辛くなっている。

「こくぶんじ......将棋道場?」
「ああ」
「道場? 将棋に道場? 空手とかじゃなくて?」
「『将棋センター』という言い方もあるらしいぞ」

 将棋は哲の趣味ってことは知っているけど......。
 哲は慣れた様子ですっとビルの中へと入ってゆく。

「これは一体......」

 私は疑問に思いながらも、このオンボロのいかにも怪しいビルの一室に、意を決して足を踏み入れた。

「きゃー! てっちゃん久しぶり! 待ってたのよ〜」

 扉を開けた途端、哲に勢いよく駆け寄ってきたのは、五十代くらいのエプロンをつけた女の人だった。

「お久しぶりです。花さん」
「え......、この人が“花さん”?」
「そうだ」

 “花さん”は、にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべて私の方を向いた。

「あなたが噂のなまえちゃん?」
「は、はい」
「へぇ〜、可愛いわねぇ。ちょっと、てっちゃんやるじゃなーい」

 花さんが肘で哲をぐりぐりとつついている。哲は困惑しながらも、どこかうれしそうな顔をしていた。

「花さんは、昔からここで将棋道場を営んでいるんだ」
「へ、へぇ」
「ちなみに、佐藤の親戚だそうだ」
「あ、それで!」

 私はやっと昨日の出来事に合点がいった。

「てっちゃん久しぶりじゃねーか!」
「おっ、彼女連れかー?」
「今日は俺の相手しろよ」

 室内にいる人々が、哲に気づいて口々に声をかけはじめる。そのほとんどが、おじさんやおじいさんばかりだ。部屋にはくっつけた机が、室内を縦断するように二列に並んでいた。それらを挟んで、向かい合うように椅子が置かれている。机の上には、将棋盤。
 私は思わず哲の方を向いた。

「ここは......将棋するとこ?」
「そうだ。部活を引退してからたまにここへ来る。相手に不足しないからな」
「な、なぁんだ......。はは」
「打倒・御幸ための秘密の特訓だ。一人で将棋の問題集をするのもいいが、何事も実戦が一番だからな」
「そっかぁ」
「......なまえは、なぜ俺の後をつけていたんだ?」

 目の前の哲が、少しだけ眉を寄せたのがわかった。

「だって......浮気してると思ったんだもん」
「俺がそんな器用な奴に見えるか?」
「ううん。......疑ってごめん」

 私はきまりが悪くなって下を向くと、突然、その大きな手によって髪をくしゃくしゃに撫でられた。びっくりしてすぐに顔を上げると、さして気にしていない様子の哲の顔があった。

「ちょっ!」
「む?」

 こんなにみんなが見てる前で!
 まわりからは、ヒュー、だの、お熱いねぇ、だのと次々にからかいのヤジが飛ぶ。
 それに気づいた哲が、ぱっと手を引っ込めた。哲は時々、頭より先に体が動くから、戸惑ってしまうことがある。でも、今のは私もうれしかったので良しとしてやるか。

「てっちゃん! トップバッターは俺だぜ」
「はい、源さん。お手柔らかに頼みます」

 そう言いながら椅子へ腰かける哲の後ろには、打席にいる時のような強いオーラが見えた気がした。
 ほんと、何事にも馬鹿正直なほどまっすぐな奴だな、哲って。将棋ヘタなくせに。
 お願いします、そう言って頭を下げた哲の瞳は、あいかわらずはっとするほど凛々しかった。


HAPPY BIRTHDAY!
TETSUYA YUUKI 2014.10.08



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