(現パロー)
「迷惑だって言ってるだろ」
扉の前に立つユイを見かけた途端に言い放ったローの言葉に、ユイは苦笑いを溢すしかなかった。
こうしてユイがローの帰りを待っているのは、もう五度目だ。
「自惚れんなよ」
「わかってる、わたしだってあなたの特別になりたい訳じゃないもの」
「じゃあなんで待ってんだよ」
「前科持ちの少年が心配なのよ」
するとローはため息をついた。とても長い。
そのあとにポケットから鍵を取り出し、扉を開ける。
「好きにしろ」
そのままローは部屋に入って行ったが、扉に鍵がかけられた気配はなかった。「好きにするわよ」と呟いて、ユイは閉じた扉のノブを回した。
大きな本棚以外はなにもない静かな部屋は、ローが眠るだけのためにあるんだと言うことを嫌でも意識してしまう。寂しい、と思った。
この部屋に最初に入った時に、悲しいと思ったのをユイは覚えている。まだ若い彼は、人の温もりを知らないのか。
「いい加減辞めろよ」
こういうこと、と後ろから聞こえた声に振り返れば、制服のブレザーをハンガーにかけ、白いシャツ姿になったローが居た。ローは真剣にそんなことを言ってるのに、さっき玄関で白クマのぬいぐるみが置いてあることに気づいたユイは、ただ笑うだけだった。そんなユイを見てローは眉間に皺を寄せるけれど、あの白クマのぬいぐるみは、前にユイがこの部屋に来た時に置いていったものなのだ。彼が寂しくないように、と。
とっくに捨てられたと思ってたけど、まだこの空間にあることに、笑みしか浮かばないのだから仕方ないのだ。
「だったらあなたもいい加減、まともな食事をとってちょうだい」
チラリと冷蔵庫を見やる。中身は見えないけど、きっと大したものは入っていないだろう。この前なんて冷蔵庫にミネラルウォーターしか入ってなかったのだ。それを思い出したのか、ローは少しだけ気まずそうに目線を下げた。
こういうところは、年相応だとユイは思う。常に隈を身に付けた普段の姿は、とても学生には見えないのだ。
「あの時はたまたまだ。でも今日は食料があるから、」
出て行け、と言いたかったのか。その言葉を遮って冷蔵庫を開ければ、前回の中身にカロリーメイトとインスタントラーメンが増えただけだった。
ユイはため息をつきながら、持参したタッパーと栄養ドリンクを入れる。カレーや煮物など、料理をまったくしないだろうローでも温めれば直ぐに食べられるものばかりだ。
「医者の不養生って諺(ことわざ)知ってる?」
ユイの言葉にローはぐ、と言葉を詰まらせた。それからローは本棚をチラリと見た。医学書がぎゅうぎゅうに入った本棚を。
半年前に家の前で倒れたローを見つけたのは、仕事で疲れて帰ってきたユイだった。
スーツが皺になるのを構わずに駆け寄れば、一度だけ会ったことのあるお隣の青年だった。申し訳ないと思いながらブレザーのポケットからキーホルダーの付いてない鍵を取り出し、部屋に入る。そこには今みたいに、本棚以外なにもなかったのだ。
面倒だというだけで二、三日食事をしなかった結果に倒れたその時から、ユイは度々ローの家に食材を分け与えに押し掛けているのだ。
「俺はまだ医者じゃない」
「あら、でも将来なりたいのなら、体調管理くらい一人でできるようにならないとね」
なにも言えないのか、ローは遂に黙って冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。医者になりたいくせに、ローはまともに食事を取らないのだ。
「タッパーの中身、お腹が空いたら食べてね」
冷蔵庫から振り返ったユイの瞳をローはじっと見つめていた。見つめて、なんて甘いものではなく、探っていると言った方が正しいかもしれなかった。
そう、ローは探ってるのだ。ユイにとってはただのお節介だけれど、見返りを求められるのではないかと。
「確かみかん好きでしょ。置いて帰ろうか?」
「……」
「いらない?」
「…食う」
素直に甘えればいいのに。何度もユイは思うけれど、ローには出来ないのだ。きっと小さい時からそうやって育って来たのだろう。
彼のことなんてなにも知らない、「だろう」と言う憶測だけでローの人生を決めてしまったことに小さくユイは後悔した。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
タッパーなどを入れていた紙袋を持って玄関に向かうと、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを持ったローがわざわざ玄関まで来てくれた。こういうところが可愛いのだ。
彼にとってユイは、医学の勉強を邪魔するだけでなく小言を言う、迷惑な女だと言うのに。
「それじゃあ、"また"ね」
次を促す言葉にローは一瞬顔をしかめたものの、次の瞬間にフッと笑った。いつもの皮肉めいた笑みではなく、それこそ年相応の純粋な笑顔だった。
「つくづく物好きな女だな、"ユイ"」
そう言ってローは二人を遮断する扉を閉めた。ガチャリと施錠する音も聞こえた。
名前は、お互い知っていた。だけどお互い相手の名前を口にしたことはなかった。なのに彼は今ユイ、と口にしたのだ。
お節介を焼いているだけなのに、なんだと言うのだ。大人だからと理由を付けて甲斐甲斐しく世話をしていたけれど、結局翻弄されていたのは自分だったのだろうか。
先に惹かれたのは彼か彼女か。それはきっと本人達にもわからないだろう。
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