「なんにもしたくないわ」 「なんにも?」 「そう。なあんにも」
私はそう言って笑った。だけどマルコが眉間に皺を寄せたので、彼が嫌いな“力ない笑顔”をしたことに気付いた。
「保母さん、お花屋さん、看護婦さん、」
指折り数えると、私の爪に彩られた赤が踊った。
「なんだよい、それは」 「私の小さい頃の夢よ」
可能性が広がってたあの頃は、もう何年前の話だろう。 だけど、たまに思い出す。するといつも思い出の周りは、ピカピカと幸せな淡い光に包まれている。
「あの頃はあんなに夢見てたのに、今はなに1つ叶ってない、ただの戦闘員になっちゃった」
むしろ、こんな洒落たバーが似合う女になった。よくわからない横文字の名前の、サファイア色のカクテルを飲む。 マルコは私なんかより、ずっとずっと強いお酒を飲んでるけど、飲み始めてだいぶ時間がたったのに顔色一つ変わっていなかった。
「だから時々ね、なんだか全てが嫌になるの」
マルコはブランデーを飲みながら、黙って話を聞いていた。 冬島だから珍しく着てきたコートを背もたれにかけ、普段のシャツだけになった彼は、私よりいくつも年上なだけある。ここに居る誰より、この空気が似合ってる。
「俺にもあったよい、そんな時が」 「ふふ、ほんとう?」 「もちろん。ユイは信じてなさそうだけどねい」
そう言いながら彼はズボンのポケットの中に手を入れて、なにかを探しだした。 どうしたの?って聞いても、ちょっと待ってろいと言われるだけ。そしてマルコがポケットから出したのは、手の平サイズの小さな箱だった。 それは私には縁がないと思っていたもの。
「…マルコ、これ、」 「開けてみろよい」
四角い紺色のそれを、私はそうっと開ける。そこには、ダイヤがキラキラ輝く指輪があった。
「俺はユイの夢、1つだけ叶えられるよい」 「なにを?」 「なんにもしなくていい。ただ、これからもずっと傍に居てくれたらねい」
私はそれを左手の薬指に付ける。自分で。 それはびっくりするくらい、私の薬指にピッタリだった。彼はいつ、私の指のサイズを知ったんだろう。言ったこともないのに。
「なんにもしなくていいの?」 「ああ。なあんにも」 「ふふ、」
マルコが私の真似をして言うから、思わず笑ってしまった。 その後に彼も可笑しそうに笑うから、私はちゃんと笑えてるんだと思う。
「矛盾してるわ」 「矛盾?」 「だって、私はなんにもしなくていいのに、傍に居ることを“して”ほしいんでしょう?」 「…ああ、そうだねい。矛盾してる」
彼がクックッと笑った。 私は自分の薬指にはまる指輪を見た。指輪はピカピカと幸せな淡い光に包まれていた。
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