「幸次郎、ありがとう」

「どうした、急に」


ふふ、と笑みを含んだ声で笑うと、幸次郎はナイフを手に取った。それで楽にしてくれるのだろうか、なんて、愚かな考えが浮かんだけれど、彼は知らずに林檎の皮を剥いている。切っ先は誰にも向けられることはない。



優しい君は、私がすることに何も言わないけれど。醜い私は、君がすることを罵倒したよね。



でも君は何にも言わず片付けた。私が汚した床もベッドも。何にも言わず、綺麗にした。涙を流しながら、意味のわからない言葉を叫ぶ私の話を、頷きながら聞いてくれた。手当たり次第に物を投げ付けても、じっと堪えてくれた。



優しい君を私が殴っても、君は微笑んでいるけれど。醜い私は君に殴られたら、きっと泣くのだろう。



君は私を認めてくれた。包んでくれた。なにより、愛してくれた。迎えが来ると悟った今になって、君の存在の大きさを知った。そして私の気持ちも知った。私は彼を愛していた。私とまた我が家で暮らすことを、信じて疑わない彼を。


「幸次郎、」

「…ん?」

「ありがとう」


傾く視界に、驚く君。林檎を乗せた皿が君の膝から落ち、床で割れた。でも、音は聞こえない。力も入らない。思考は光へ導かれ、身体は闇へ堕ちていく。私の人生が思いだされる。嫌なことも、嬉しかったことも。みんな思い出された。君が笑う。指輪を差出しながら、君が笑う。私は泣いていた。子供を抱えながら、君が笑う。私は泣いていた。子供が巣立って、君が笑う。私は泣いていた。そんな笑顔が好きだった。それなのに、皮肉なものね。私が心から笑っているときに、君が泣いているなんて。





でも、嬉しかった。こんな私のために、泣いてくれる人がいた。なかなか楽しい人生だったと、静かに目を閉じる。本当に君を愛せてよかった。私は全てに感謝をして、彼より先にいった。





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