※注意-人の生き死にに繊細な方の閲覧は推奨しかねます。





「みょうじさん、こんにちは」

「…まぁまぁ、源ちゃん。今日も学校だったのかい?」

「はい、今終わったところです」


俺は声をかけた相手がにこりと笑って迎えてくれるのが嬉しくて、ランドセルを置いて、玄関から居間へと入った。そこでおばあちゃんと孫ほど歳の離れた女性に、学校の話をするのが俺の日課だった。みょうじさんはすぐにお茶やお菓子を出してくれて、今日は何があったんだいと、優しく話しかけてくれる。両親がつねに家にいない俺としては、隣に住んでいるみょうじさんは親のような存在でもあった。


「…そうかいそうかい、そんなことがあったのかい。…源ちゃんはサッカーが強いんだねぇ」

「そ、そんなこと…」

「おやおや、謙遜してるのかい?」

「あ…その…」

「はっはっは、源ちゃんは大人だねぇ…」


みょうじさんはおばあちゃんらしい、しわしわの顔をいっぱいに使って笑い、俺のことを褒めてくれた。俺なんかを褒めてくれるのはみょうじさんだけで、だからといっては語弊があるかもしれないけれど、俺は人として認めてくれるみょうじさんが大好きだった。


「あぁそうだ…源ちゃんに食べさせたくてね、佃煮を作ったんだったよ、今持ってくるからねぇ…」


そこでよろりとみょうじさんは立ち上がり、台所の方へ向かっていった。その足元はふらついていて、扉の周りの新聞紙の束にいまにも躓きそうだ。


「みょうじさん、危ないです…」

「そうなんだけどねぇ…、重たくてどうしようもないのよ…」

「あ、だったら俺がやりますよ!かたづけときます!」

「…まぁ、そうかい?ありがとねぇ」


みょうじさんが俺に珍しく頼み事をしてくるので、やけに張り切って片付けて。みょうじさんが台所から帰ってくるころには、新聞紙は部屋の隅に纏められた状態だった。


「おやまぁ綺麗になったねぇ!これで安心して歩けるよ。ありがとねぇ、源ちゃん」


みょうじさんは本当に喜んで、笑顔になった。そして彼女は戸棚へ向かうと、中からがさがさと袋を取り出す。その袋は駄菓子屋で見かけるような茶色のもので、中からは色鮮やかな飴玉がころころと転がった。それは、みょうじさんが毎日俺にくれるもので、俺の楽しみの一つでもあった。


「ほら、源ちゃんの好きな飴玉だよ。今日は特別に二個あげようかね」


そう言うと、みょうじさんは俺の手に飴玉を握らせてくれた。二個もらうなんて誕生日以来で、その日は気分がふわふわしながら家に帰った。明後日のゴミの日に、新聞紙を捨てるのを手伝うことを約束してから。


「まぁ、だったらご褒美の飴をもっと準備しておかないとねぇ」


そう笑うみょうじさんがとても印象に残ることとなった。





なぜなら、みょうじさんと話したのは、それが最後だったからだ。





翌日、学校から帰ると、みょうじさんの家の前がやけにざわざわとしていた。黒いスーツを着た大人たちが、沢山みょうじさんの家へと入って行く。その表情はみんな沈んでいて、全体からは暗い雰囲気が漂っていた。


「あ、あの…、どうかしたんですか?」


俺は嫌な予感を振り払って、近くにいた女の人に話しかけた。するとその女性は驚いた表情を浮かべ、同時に悲しそうな目をした。


「あら、隣の源田さんとこの…」

「その…」

「わかってるわよ。おばあちゃん、孫が出来たみたいだって喜んでたもの。ありがとうね、おばあちゃんの相手をしてくれて」

「いや、全然そんなこと…。その、みょうじさん、どうかしたんですか?」


恐る恐る、顔色を伺ながら聞くと、女性は眉毛を寄せて、目を潤ませた。


「………その、ね…亡くなったの。今朝、居間で倒れていてね…」


それだけいうと、女性は目頭を押さえて俯いた。俺には、それ以上なにも聞けなかった。

その翌日、俺はみょうじさんのお葬式に呼んでもらった。箱の中で静かに眠るみょうじさんの顔は少し微笑んでいて、今にも起き出して、あの優しい笑顔で俺を見つめてくれそうだった。


「みょうじさん…」


俺は気がつけば涙を流して、みょうじさんの前に佇んでいた。今までの思い出とか、楽しかったこと、嬉しかったこと。いろいろなことが思い出される。俺はその場を動けなくなって、ずっとみょうじさんを見つめていた。


「…ごめんなさい、そこをどいてもらえますか?」

「あ、す、すみません…」

「ごめんなさい…」


急に後ろから声がかかり、振り向いた。そこには同い年くらいの少女が、静かに立っていた。その少女が同年代ということもあり、少し恥ずかしくて涙を拭き、場を譲る。すると彼女は目を真っ赤にして、頭を下げた。俺ははっとしたけれど、声をかけるのも躊躇われて。少女はそのまま俺を押しのけて、棺の元へ向かって行った。

その日、俺はみょうじさんの家へ向かった。目的はみょうじさんとの最後の約束を果たすためだ。いつもどおり居間へ入り、いつものように畳に座ってみた。だけどいつもと違う静けさに、また胸が熱くなって。泣きそうになったので、急いで立ち上がって、積み重ねた新聞紙のところへ向かった。早くこれをゴミ捨て場に置いてきて、もうそれきりにしよう、みょうじさんのことは忘れよう、そう思った。ふっ切るようにガッと新聞紙を掴み、持ち上げる。乱暴に掴んだためか、その上から何かがガサリと床に落ちた。


「…え?」


慌てて見ると、落ちたのは茶色い紙袋だとわかった。畳に転がった袋からは、色とりどりの飴玉が転がり、その中の一つが俺の足元まで転がってきて、爪先に当たり、止まった。


「………っ…」


俺はがくんと膝の力が抜けて、その場にうずくまる。転がった飴玉を手探りで集め、袋に戻そうと、紙袋を拾った。すると紙袋の隅の方に筆で書かれた文字が目に入って。


源ちゃん、いつもありがとうね。


そのいびつな文字を見たとき、俺は胸が痛いほど熱くなるのを感じた。下唇を噛んでも、抑えきれない嗚咽が押し寄せ、我慢しれず声がでた。そう、みょうじさんは、忘れないでいてくれた。そして、最期が近いと悟った震える手で、この文字を書いたんだ。


「みょうじさん…俺…」


一つだけ飴玉を拾い、口に含んでみたけれど、やけにしょっぱくて、目の前が滲んだ。










数ヶ月して、俺は小学校も卒業し、中学へ進学した。そのころになると、みょうじさんの飴玉も無くなって、紙袋だけが手元に残っていた。たまにあの飴玉の味が懐かしく感じるが、何処で買っていたのかなんてわかるはずもなく。俺はぼんやりとその味だけを覚えていた。


「お、源田!」


その日は佐久間と、雷門という中学に視察に来ていた。視察といっても、それは名ばかりだ。雷門など、視察するにも値しない。部員すら揃っていないのだから。呆れて、佐久間と話し合い早めに切り上げた。そんな帰り道、雷門中学の裏手で佐久間が声をあげたのだ。


「なんだ?」

「みてみろ、こんなところに駄菓子屋なんかあるぜ?」


へぇ、と感心のため息が漏れた。こんなところにこんな店が残ってるなんて。俺たちは興味本位で入って行く。中にはサッカーのユニフォームを着た少年少女がいて、騒がしく駄菓子を選んでいた。俺はこんな店、初めてだったので、面白くて辺りを見渡す。すると、一角で見覚えのあるお菓子を見つけた。


「………あ、」


近づき、ゆっくり手にとって、まじまじと見つめる。確かにそれは、みょうじさんの飴玉だった。


「なんだ、源田。お前、甘いもの苦手じゃなかったか?」


佐久間は不思議そうに俺を覗き込んだ。でも俺は嬉しくてそれどころじゃない。急いで店番をするおばあさんに、この瓶に入っているだけ、売ってくれと頼み込んだ。


「それはいいんだけどねぇ。一個だけ、残してくれないかい?」

「かまいませんが、なぜです」

「いつも一個だけ買いに来る、お得意さまがいるのよ」


いたずらっぽくおばあさんは笑うと、ほらきたと嬉しそうに言った。俺が振り向いて、出入り口を見ると、同じ制服の少女が入ってくるところだった。彼女は飴の瓶が置いてあったところへ、真っ直ぐ向かい、あるはずのものがないので、おどおどした。


「あ…」

「なまえちゃん、心配しないで。飴なら、ここにあるよ」


その声に振り向いた彼女と、俺は目が合った。見覚えのあるその瞳は、みょうじさんのお葬式の時に見かけた人物だと物語る。


「…源田さん」

「えっ、ど、どうして俺の名前を…」

「帝国学園でその名前を知らない人はいないと思います」

「そ、そうなのか…?」

「…はい。…飴、源田さんが買おうとしていらっしゃるのなら、私は遠慮…」

「…や、俺はいいんだ。君が選べ」


俺は彼女に向かって、飴を差し出した。それでも彼女は躊躇うので、俺が一つ選んで握らせる。すると彼女は驚いた表情で、飴玉を見つめた。


「…おばあちゃんと同じ色…」


その言葉に俺はどきりとした。とっさに彼女の肩を掴み、目を見つめる。彼女は驚いて、鞄を取り落とした。


「君、氏名は…」

「えっ…」

「フルネームはなんていうんだ?」

「…あ、…みょうじ なまえですが」

「みょうじ…」


そういえば、みょうじさんは生前孫娘がいると言っていた。それが彼女なのだろうか。しばらくすると、流石に彼女も俺を振り払い、逃げるように帰っていった。


「…で、兄さん、この飴玉全部買うのかい?」

「………」

「兄さん?」

「…いや、やっぱり一つだけにする」





帰り道、手の平に一つだけ乗っかった飴玉を、夕日にかざした。佐久間にはしけてんな、とか言われたけれど、そんなことはない。この一つの飴玉は最高のご褒美だ。彼女は俺を忘れているだろうけれど、出会ったことはきっと運命。みょうじさんを慕うもの同士、仲良くなれそうな気がする。





あの人が遺した宝物。俺はそれに恋をした。





次の日も、駄菓子屋にいくとなまえがいた。彼女の口からは一言だけ紡がれ、それを聞いた俺は、思わず彼女を抱きしめた。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -