恋物語カプリ島編 | ナノ


ローシェンナ トレード マリア 1


ローシェンナ トレード マリア








 ユキは森を走った。

 別荘の敷地はとっくに抜けていたが、狩猟場として近辺に別荘を所有するものなら誰でも立ち入ることのできる森はとても広い。

 ユキは北を目指していた。Dの部隊がいる基地ユニットまでは森を北に抜けるのが一番近く、街に出られない今、それが一番安全な道だった。

 ジョットが別荘付近で敵を引きつけているためか、北に敵は少なかった。

 途中敵を見つけた時はほとんど隠れてやり過ごすことができたが、どうしても避けられない場合は襲撃した。

 相手が1人2人なら、気づかれないように近づいて、顔を見られる前に気絶させた。

 それくらいの実力がユキにはあったが、実際にやるのは初めてだった。



 躊躇いがなかったわけじゃない。

 だがやらなければいけないことがあった。

 ジョットに命じられた。Dの部隊に行けと。

 ジョットから預けられた。彼のボンゴレリングを。

 おまかせくださいと、彼に誓った。

 アドレナリンが巡るままに体は動き、道を塞ぐ敵を1人、また1人と倒した。

 そうして進んで行くと、唐突に森を抜けた。

 というより、いきなり崖に出たのでユキは思わず叫びそうになった。

 7、8メートルほどの高さの崖だった。向こう側までの距離は5メートルほど。

 思っていた以上に近いが、飛び移れそうにはない。

 地図を思い浮かべると、もう少し東に橋がかかっているはずだが、きっと敵が張っているだろうと思われる場所に行くわけにはいかなかった。


  ユキは周りを見回し、近くにある中で一番頑丈そうな木を選ぶと、その前に立ってロープを取り出す。

 ここへ来る途中にあった小屋から拝借したものだ。

 そして服の中に仕込んであった武器を取り出す。

 見た目は銀食器《シルバー》のナイフだが、雨月と相談して改良した業物だ。

 持ち手の部分に空いてある穴に、ロープを捩じ込んできつく結ぶ。

 そして向こう側にある木の中から一本を選び、枝を決め、ロープを持って振りまわす。

 勢いをつけ、渾身の力を持って投げるとナイフはまっすぐ飛んでいき、枝にぐるぐると絡まった。

 ロープを何度もきつく引いて、解けないことを確認してからユキはロープを口に咥え、先ほど選んだ太い木に裸の足をかける。

 履いていた靴は踵のないヒールだったためとっくに脱ぎ捨てていた。

 木に登り、ロープをピンと張ってくくりつける。

 空が白むまでにはまだ時間があるだろうが、急いでロープにしがみつき、崖を渡る。

 こうしたサバイバル知識を与えてくれたGや雨月に、心の中で感謝した。





* * *





 一人の女が走っていた。

 ボロボロの、ほとんど布きれと言っていいドレスを着て、必死で足を動かしていた。

 大きく開いた襟ぐりからは鎖骨が異常に浮き上がり、女性らしい柔らかさはない。



 もうどれくらい走っただろう。

 途方もなく長かったように思うのに、空は一向に明るくならないから、それほど時間は経っていないのだろう。

 女はよろめきながら後ろを振り返り、追っ手の姿が見えないことに安堵する。


 女は逃げ出した。

 売春業を生業とするマフィアに捕まっていたのだ。

 もともと娼婦だったから、今更売春をさせられることにはそこまで抵抗はなかった。

 だがフランスに売られると聞いて女は逃亡を決めた。

 イタリアから出たくはなかったのだ。