恋物語カプリ島編 | ナノ


ボルドー ゲシュタルト ツェアファル 2



『嗚呼。ご機嫌麗しゅう…ボンゴレプリーモ』


 本日はプラチナブロンドを真っ直ぐに下ろし、ベレー帽を被ったカッペッレェリーアは足元に倒れている青年ににっこりと笑顔を向ける。

 床に伏せたジョットの、輝いていた金髪はこの2日でくすみ、頬は腫れ、唇の端は切れて紫色。剥き出しの両腕には無数の注射痕。服の下は痣がない部分はないだろう。



 どれほど痛めつけられても、彼はカッペッレェリーアの望む言葉を一言も口に出そうとしなかった。

 しかも呼びかけられて僅かに上げた顔は腹が立つほど美しく、己を見下ろす帽子屋を小馬鹿にしたように笑う様子は、ぞっとするほど妖艶だ。

 だが、立ち位置だけの問題ではなく、現在優勢なのはカッペッレェリーアだ。


『嗚呼ボンゴレプリーモ。もう駄々をこねるのは止めましょう。私は何もボンゴレをくれと言っているわけではありません。ボンゴレ及び同盟ファミリーが、私の商売の手助けをするよう確約して下されば良いのです』


 そう言うと、オレンジの瞳が苦々しく細められるのをカッペッレェリーアは見逃さなかった。

 ノヴィルーニオファミリーの他の幹部は、早々にボンゴレプリーモの首を掲げ、ボンゴレを我が手にと声高に叫ぶが、生憎カッペッレェリーアは馬鹿ではない。

 この若いボスはボンゴレの全権をノヴィルーニオに渡せと言えば、細心の注意を払って苦痛を受けているような演技をしつつも、了承するだろう。

 だがボンゴレは数多くの同盟ファミリーを抱えた巨大組織だ。ボンゴレファミリーはこのボスに忠誠を誓い、同盟ファミリーも固い絆で結ばれている。

 ボンゴレプリーモの首を取っても、ボンゴレの全権を得ても、ノヴィルーニオは終わる。

 ボスを失ったボンゴレと同盟ファミリーを相手に全面戦争だ。真っ向勝負をするには、ノヴィルーニオの数は少ない。

 ビルボのように寝返るファミリーがいる可能性もなくはない。だがほとんどのファミリーは寝返ったりしないだろう。

 それを見越して、この若いボスは数々の拷問を受けながら、カッペッレェリーアにボンゴレの全権を寄越せと言わせようとしていた。

 若いくせに…喰えない男だ、とカッペッレェリーアは舌打ちしたくなったが、笑みを浮かべたまま堪える。
 持久戦は望むところだった。こちらの方が、持っているカードは多い。



 日に日に与える苦痛の度合いを増す拷問、捕らえてある女達、ビルボファミリーに奇襲をかけさせ、捕虜となったボンゴレの部隊、そして…

 カッペッレェリーアは腰を曲げて屈み、ボンゴレプリーモが隠すように体の下に敷いていたものを引きずり出す。深い緑色ベレー帽は滑り落ちることなく、帽子屋の頭に斜めに載ったままだ。


『…っ』


 ぴく、と痙攣に近い僅かな反応だったが、カッペッレェリーアは我が意を得たりと言わんばかりに微笑んだ。

 帽子屋の手の中にあるのは、ぼろぼろの、薄手の女性用の上着だった。あちこちが破れ、思わず顔を顰めたくなるほど汚れている。

 数時間前、拷問と平行線に終わった交渉の後、カッペッレェリーアが彼に与えたものだった。


 この上着を見せた時のボンゴレプリーモの顔を思い出し、カッペッレェリーアは笑い出したくなった。

 捕えてから今まで与えたどんな苦痛や脅しより、この上着を見せた瞬間、彼は一番狼狽えた。

 オレンジ色の瞳が大きくなり、苦しそうに揺れただけだったが、十分すぎる動揺だった。



 ボンゴレプリーモが遂に女を作ったという話は、本人が思っている以上にマフィア界を揺るがせた。

 同盟ファミリーであるキャバッローネが騒ぎを起こしたらしいが、それは当然といえるだろう。

 大事な女を作ることは強みにも弱みにもなる。

 そしてカッペッレェリーアの経験上、弱みになる場合がはるかに多い。


『嗚呼ボンゴレプリーモ。このような汚い上着を返して欲しいのですか?契約書にサインを下されば、これの持ち主に会わせてさしあげますよ?』

『持ち主に興味などない…。豪華な部屋を用意しておきながら、客を冷たい床に寝かせる貴様の神経が理解できないだけだ』


 上着の持ち主など本当にどうでもいいと言わんばかりの口調だった。

 だがカッペッレェリーアは上着の持ち主がボンゴレプリーモの女であると確信していた。


『左様ですか。嗚呼愚かなるボンゴレプリーモ。貴方の言葉一つで、この上着の持ち主の運命が決まると言うのに』


 そう告げて、しばらく待ってみたがボンゴレプリーモから言葉は返ってこなかった。


『貴方がお持ちでないボンゴレリング。それをこの上着の持ち主が所持していると私は考えています。ですが嗚呼、悲しいかなまだ見つけられていない。
 愚かなるボンゴレプリーモ。我々がどれほど貴方に対して好意的に接しているかをまだお分かりいただけていないようですね』


 言葉を切った帽子屋は、琥珀色の瞳を一瞬だけ氷のように冷たくして、ボンゴレプリーモを見据えた。





『ボンゴレリングを得るためなら我々は上着の持ち主の腹を裂き、中身を全て引き摺り出して探すことも辞さない。…それをお忘れなきよう』





 カッペッレェリーアはにっこりと微笑んで、至極機嫌が良さそうに「また後程…」と告げて寝室のドアを閉め、部屋から出て行った。