帽子を捧ぐセレナータ 1
私は今日も帽子を作る。
世界で一番帽子が似合う…あの人のためだけに。
帽子を捧ぐセレナータ
彼は、いつもどんなときも、必ず帽子を被っていることから、帽子屋【カッペッレェリーア】と呼ばれている。
白に近い…だが白ではないとわかる、プラチナブロンドの巻き毛、見る人によってあたたかくも冷たくも見える、濃い琥珀色の瞳。そして長い手足の完璧なスタイルを持っている。
一見お伽噺の王子様か、それを演じる舞台役者のような美麗な顔立ちのカッペッレェリーアだが、彼はフランスを拠点に活動するイタリアンマフィア【ノヴィルーニオファミリー】の幹部である。
ノヴィルーニオの収入源の半分以上を占めるのが【売春事業】。それを一手に請負っているのがこのカッペッレェリーアだ。
一幹部であるものの、ノヴィルーニオファミリーはカッペッレェリーアによって成り立っていると言っても過言ではなかった。
だからカッペッレェリーアは、他の幹部より優遇されているところがあった。
売春事業に関しては、ボスですらカッペッレェリーアを通す必要がある、とか、フランス内に5つ、イタリアに1つ、拠点とする屋敷を与えられている、とか。
『嗚呼…なんて素晴らしい!』
『ありがとうございます』
私のような、【専属帽子職人】をファミリーに入れることを許されている…とか。
『どれも素晴らしい! なんという美しさでしょう!』
帽子屋の自室は、いつも豪奢で煌びやかだ。
今、私は帽子屋の側近の横に立ち、テーブルの周りを歩き回る彼を眺めている。
テーブルに並ぶのは、帽子屋が長期の視察に出ている間に作った帽子だ。
彼の指示により作ったものが2個、それ以外のものが11個。身を捩らせながら歓喜に震えている帽子屋を見て、思わず顔が緩む。彼をイメージすれば、帽子は次々に出来上がってしまう。
帽子屋が帽子のひとつを手に取った。形は軍人が被るような帽子だが、ワイン色のベルベットと最高級の牛皮を使ったものだ。
『私のイメージ通りの帽子です。嗚呼っ、早速この帽子に合わせた服を作らなくては…すぐに仕立て屋を呼びなさい!』
『はっ。カッペッレェリーア様』
側近がびしりと姿勢を正し、礼を取って退出した。
帽子屋はしばらく踊っているような足取りでテーブルの周りを歩いた。
帽子を箱から出しては被り、鏡を見ては箱に戻しを繰り返していたが、30分ほど経ってようやく私がまだ部屋にいることに気づいたようだった。
『嗚呼、忘れていましたよ。こちらに来なさい』
『はい。カッペッレェリーア様』
礼を取って、ソファに座った帽子屋に近づく。
彼が今被っているのは、艶のない灰色のソフト・ハット。細い金色のリボンを何重にも巻き付けたそれは彼のお気に入りで、『ボルサリーノも真っ青ですよ』という誉め言葉をいただいたものだ。
こちらを見上げる琥珀色の瞳を見つめ返す。
溜め息が出る。自分が作った帽子を、ここまで完璧に被りこなしてしまう彼に。
『見積書を』
差し出された手に、書類の束を渡す。今回作った帽子にかかった材料と、その金額が書かれてあるものだ。
見積書を眺める帽子屋の唇が、ひどく楽しそうに弧を描いた。
『嗚呼、相変わらず一級品の素材ばかり使っていますね。貴女は…』
咎められていないことはわかっているので、何も言わずに帽子屋の顔を見つめる。
とても綺麗な顔。見ているだけで、次々とイメージが頭の中に湧き出てくる。
彼に似合う帽子のイメージが。
『ですが、また材料費のみしか書いてありませんね。…嗚呼、貴女はそれでいいのですか?』
帽子を作る際の手間賃はいらないのか?と言外に問われて、頷く。
確かに13個の帽子を作るために、昼夜を問わず布を裁ち、針を動かした。
三日間飲まず食わずで作ったこともあった。普通の労働者だったらストライキを起こしているところだろう。
『衣食住は保証してもらっていますし、カッペッレェリーア際の帽子を作るのは…楽しいですから』
だんだんと声が小さくなってしまったが、ちゃんと聞こえたらしく帽子屋はくすりと声を洩らした。
この瞬間の彼を、そのまま写真のように切り取って持ち帰りたいと、思った。
そうすればまた、私は素晴らしい帽子屋を作るに違いない。
『さぁ、誓いなさい』
柔らかな声音に誘われるかのように、その場に膝をついた。
眼前に差し出された手の甲は骨ばってはいるが、普通の男よりは華奢で、指が長い。
掬い上げるようにその手を取ると、偶然彼の爪がてのひらをくすぐり、背中がぞくりと粟立った。
恍惚な色を浮かべてしまった顔を隠すために、慌てて帽子屋の手の甲に唇を落とす。
そして、誓う。
『カッペッレェリーア様…。貴方のテスタ【頭】に、世界で一番美しい帽子を捧げます』
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