帽子を捧ぐセレナータ 5
『カッペッレェリーア様…』
『なんですか? なまえ』
帽子屋の声で呼ばれた私の名前は、一粒の水となって、乾いた大地のような私に沁み渡った。
琥珀色の瞳に映った自分を見た途端、体の制御がきかなくなった。
手を伸ばし、帽子屋の頭の上のハンチングに触れる。軽く浮かせて、取るとプラチナブロンドの巻き毛がさらりと揺れた。
やってしまってから、我に返って死を覚悟したが、予想に反して帽子屋は何も言わなかった。私がずっと膝の上に載せていた箱に気づいたからかもしれない。
『イタリアへ行くと聞きました。これを、お連れください』
箱を開けて中身を取り出す。輝く白のシルクハットだ。光の加減で色が美しく変化する、最上級の緑色のベルベットのリボンを巻いてある。
目を瞠った帽子屋の頭に、シルクハットを載せる。目を閉じて頭を下げる帽子屋を見て、一瞬王位継承の儀式でも演じているような気分になった。
『嗚呼……なんて、素晴らしい』
恍惚の表情を浮かべる帽子屋に、そのシルクハットは涙が出そうになるほどよく似合っていた。 帽子を作っていてよかったと、心の底からこみ上げる何かがあった。
幸せと同時に、不幸でもあるような。
私はいつもそんな感じだけど。
『愛しています』
もう、どうでもよくなった。
帽子屋が私をただの帽子職人としか見てないことも。
もっと腕のいい職人を帽子屋が見つける可能性に戦慄することも。
叶うはずのない、不毛な恋をいつまで続けるのかと自問することも。
目を瞬かせた帽子屋を、まっすぐ見つめる。
もう、この恋から逃げるのは諦めた。
帽子を被った彼を見る度に、私は何度でも気づかされる。
『帽子を、愛しています。きっと…カッペッレェリーア様と同じくらい』
帽子が好きだ。帽子が似合う人が好きだ。帽子を作るのが好きだ。
帽子を好きな人が、好きだ。
帽子屋ほど、私が愛しているものと同じものを愛してくれる人はいないだろう。
それに気づく度に、私は何度でも彼に恋をする。
『嗚呼、わかっていますよなまえ。だから貴女は、私の帽子屋なのです』
私と同じくらい帽子を愛しているからこそ、貴女は私の帽子を作るに相応しい。
蕩けるような笑顔でそう言われて、体の力が抜けた。
うん。もうそれでいいや。
* * *
仕上げたばかりの3個の帽子も荷物に入れて、帽子屋はイタリア・カプリ島へと出発した。
最低限の使用人しかいなくなってしまった屋敷は、どこかがらんとしている。
けれど、今の私は寂しくない。幸せな気持ちでいっぱいだから。今は。
私はまた傷つくだろう。傷つけた自覚すら抱かないであろう、あの男によって。
それでも、傷ついても、私は性懲りもなく気まぐれで無自覚に与えられる小さな幸せを拾って、あの男の傍にいるのだろう。
私は今日も帽子を作る。
世界で一番愛している、彼のテスタ【頭】に、最高の帽子を捧げるためだけに。
帽子屋に捧ぐセレナータ
* * *
ここまで読んでくださりありがとうございます。 いつも仲良くしてくださっているみやち様のサイト【苺大福】様が祝10000hitということで、お祝いに書かせて頂きました。 恋物語のオリキャラ、いかれ帽子屋の夢というまさかのリクエストは驚きましたが、楽しく書かせて頂きました。
恋物語とは別主さんということで、帽子屋の帽子屋主人公です(^w^) 帽子屋が酷…くはないのですが、主人公さんを恋愛対象としてまったく見ていないというか。 そもそも恋愛なんてするのかコイツというキャラなので、主人公さんが諦めました。一生片想い宣言です(^ω^;) 自分で考えたキャラですが、書けば書くほど謎な人です、帽子屋。
オリキャラしかいないうえ長くなりましたが、大好きなみやち様に捧げるセレナータです! お持ち帰りも返品もみやち様のみ可です。
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