恋物語番外編 | ナノ


風は大空を舞い上げて


 パタン、と音を立てて閉まった扉を、ジョットは苦笑して眺めた。先ほど出て行った背中と同じように、その音は物悲しく響いた。














『人の悪い奴らだな。なにもそんなはっきりと言うことはないだろう』

 ソファの背に肘をついて後ろにあるドアの方を向いていたジョットは、聞こえてきた笑い声に呆れた表情を浮かべて態勢を戻した。

 自分の向かい側から響く、二種類の笑い声。ひとつは喉を震わせて唸るようなテノール、もうひとつは鈴を転がしたようなアルトだ。

 キャバッローネファミリーのボスであるキャバッローネ・セコーンドと、ジッリョネロファミリーの女ボスであるアレーナ。

 先日のパーティから二週間が経った今日、屋敷を訪ねてきたこの二人がまず最初にしたことは、ジョットの右腕にパーティでの真実を話すことだった。


『だって仕方ないじゃありませんか。本当のことですもの』

『まぁ毒に気づかないようじゃあGもまだまだということだな』


 豪快にキャバッローネが笑う。

 パーティの最中にジョットが起こした謎の体調不良。その原因はアレーナがGに渡したグラスに入った毒だった。

 ジョットにと言われたそのグラスを渡したGは、それを聞いた瞬間真っ青になり、ふらふらと立ち上がって足を縺れさせながらジョットの私室から出て行ったのだ。


『お前とアレーナが何かを企んでいるなんて、誰も思うはずがないだろう』

『それでも油断は禁物ということですね。いい教訓になったじゃありませんか』


 ふふっと口に手をあてて微笑むアレーナに、ジョットは乾いた笑いを返す。

 特徴的な大きな白の帽子、切り揃えられた黒髪に海の色の瞳。少女のようにしか見えないが、実際はジョットとキャバッローネの間くらいの年齢のはずだ。

 くすくす笑いながら、アレーナは話の矛先をキャバッローネに変えた。


『それにしても、なまえさんに許してもらえてよかったですね。キャバッローネさん』


 パーティから四日後に、キャバッローネが幹部総出で屋敷に謝罪に来た。

 その際になまえは、今回の事件はキャバッローネが起こしたものだと聞かされたのだ。

 なまえはキャバッローネの説明を一言も口を挟まずに聞いた後、いつものふわりとした笑顔を浮かべて、許した。


《本気でジョットを殺そうと思っていたわけではないってことがわかって、安心しました》


 あっさり許されたことに呆然としているキャバッローネに、ジョットはよかったなと声をかけた。

 怒ってもいいんだぞとからかい混じりにGに言われたなまえは、へにゃりと相好を崩す。


《ジョットが無事だったから、だから…よかったなぁとしか思えなくて》


 えへへと笑うなまえの顔を思い出したジョットは、長く息を吐いた。

 なんであんな可愛いことをあんなぺろっと口に出すのだろう。いや嬉しい、嬉しいんだが…。


『見てみろアレーナ。ジョットのあの顔を』

『ええよく見えますわ。でれでれして締まりのない顔が』


 向かいに座る二人の言葉に、ジョットははっと我に返った。

 友人二人をじとりと睨めつけると、アレーナが海の色の瞳がにこりと細められた。


『ジョットさん、なまえさんを大事になさいませ。理不尽な理由で傷の残る怪我を負わされて、その相手を笑って許せる度量のある女性はなかなかおりません』


 外見は少女のようなアレーナだが、優しい声音はまるで母か姉のようで、ジョットは素直に頷いた。

 キャバッローネがばつが悪そうに頬をかいているのが視界に入った。四十を超えているキャバッローネがそうしているのを見ると、このボス同士の友人関係に、年は全く関係ないのだなと改めて思う。



 コン、コン、コン、と控えめなノックの音が鳴り、噂の人物の柔らかな声がドアの向こうから聞こえてきた。


『ジョット。っじゃなかった…ボス。お茶のおかわりをお持ちしました』

『あぁ、なまえ。待っていたぞ。入ってこい』


 ワゴンを押して入ってきたなまえは、いつもの仕事着ではなく、黒に近いグレーのパンツスーツを身に着けていた。

 右手の怪我には未だ包帯は巻かれていたが、お茶を淹れるくらいはできるほど回復していた。


『ちょうどなまえさんの話をしていたところだったんですよ』

『そうなんですか?』


 花が咲いたような笑顔のアレーナの言葉に、ジョットはぎょっと目を見開いた。

 口だけを動かして『何を言い出すんだいきなり』と訴えるが、ジッリョネロの女ボスはそれを軽やかに無視した。


『ええ。なまえさんはお綺麗だし明るくて優しくて。お屋敷のことは今や自分達より詳しいはずだ、とジョットさんが』


 言った。確かに言ったが、目の前でそう言われてしまうと、どこか照れくさくなってしまう。

 照れを隠すように金髪をかき乱すジョットの耳に、恥ずかしそうななまえの声が届いた。


『ジョットったら…言い過ぎだよ』

『言い過ぎなものか。何ひとつ大袈裟に言った覚えはない』

『本当のことでも、褒められるということは恥ずかしいものだ。どれ、なまえさんもひとつジョットを恥ずかしがらせてやればいい』


 促されてジョットの隣に腰を下ろしたなまえは、キャバッローネの言葉にきょとんとした。

 アレーナと違ってキャバッローネの外見は年相応の美丈夫だが、鳶色の瞳は悪戯好きの少年のように輝いている。


『なまえさんにとって、ジョットはどんな男だね?』

『ジョットは……』


 隣に座るなまえの視線を感じ、ジョットは少しだけ体を強張らせた。目を伏せて、湯気の立つ紅茶に口をつける。

 横顔をじっと見つめられているのがわかって、とても落ち着かない。

 視界の端で、なまえがふわりと笑ったような気がした。


『ジョットはとても素敵で、親切で、頼りになる人です』


 嬉しい。

 そう思うより前に、一番に思ったのは、この声を、今の言葉を、一生覚えていられるだろうか、だった。

 とても嬉しくて、一生忘れたくなかった。

 恥ずかしがらせてやればいい、とキャバッローネは言ったが、恥ずかしいより嬉しいがとっくに上回ってしまっていた。

 アレーナがこちらを見ている。

 変わらない笑顔だが、雰囲気でわかる。面白がっている。

 もう、そんな顔で見るな。





『ジョットのお嫁さんになる人は、きっと幸せだろうなって思います』





 ぴしり、と空気にひびが入ったような音がした。

 アレーナの顔から笑みが消えた。





 頼むから、そんな顔で見るな…。














(今日は飲むぞ!キャバッローネ!!)

(任せろジョット!朝まででも付き合うぞ!はっはっはっは)

(まだ夕方なんですがねぇ…)

(俺様逃げたいんだものね…)





おまけ





『なまえさん』


 突然立ち上がったジョットがキャバッローネセコーンドの腕を引っ張って部屋を出て行ってしまった後、目を白黒させながらもとりあえずカップを片付けていたなまえに、アレーナが声をかけた。


『なまえさんは、自分がジョットさんのお嫁さんになれたら、幸せになれると思いますか?』


 なぜそんなことを訊くのか、なまえにはわからなかった。

 だが、質問の答えは明白だったから、すぐに笑顔で頷いた。


『もちろんっ。さっき言ったじゃないですか』


 アレーナはふわりとしたなまえの笑顔に向かって頷き返した後、部屋を出て行く彼女の背中を見て、ひとりごちる。





『これだけはっきりしていても、気づかなければ進みませんわね…。頑張ってください、ジョットさん』





 海の瞳を持つジッリョネロの女ボス。

 彼女の目に未来が見えているのかどうかは、誰にもわからない。





* * *

40000を踏んでくださったみやち様リクエストで、パーティ編後日談のお話を書かせていただきました。
キャバッローネセコーンドさんと、アレーナさんに登場してもらいました。
ボスが三人揃うといったい何話すんでしょうね?
とりあえず今回はジョット様の恋バナ(笑)でした。
思ったより長くなりましたが、この話ではいろんな人が可哀想な目にあいましたね。
最後の方に現れた主人公さんにボケのアッパーカットをくらったジョット様や、話にほとんど出てこないのにいきなり可哀想な目にあったG様、
そして酒盛りに付き合わされる守護者たちですね(笑)
お気づきの方も多いかと思いますが、恋物語のキャバッローネセコーンドさんは酒好きの美人なおっさんです。

みやち様。いつもありがとうございます!
こんな感じでよろしかったでしょうか?
リクエストありがとうございました!



A2

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