恋物語番外編 | ナノ


朝靄でも隠せない











 まだ日が昇りきっていなかった。

 薄紫の朝焼けと、軽くかかったもやをぼんやりと眺めた後、なまえは玄関前に止まった馬車に視線を戻す。

 警備班が荷物を積み込んでいるのが目に入ると、唐突に寒くなりぶるりと震えた。

 すると、手に持っていたショールが取り上げられ、肩にふわりとかけられた。

 胸の前で抱えていたからかほんのりあたたかく、なまえは隣に立つジョットに笑顔を向けた。


『ありがとう』

『寒いなら、上着も貸すぞ?』


 早朝だというのにきっちりと身に着けたスーツのボタンに手をかけて言うジョットを、首を緩く振って制する。季節が春だからと油断して、薄着で出てきた自分が悪いのだ。

 くすくすと笑う声に顔を上げると、狩衣姿の雨月が微笑んだ。これから馬車で港に向かい、そこから日本へ一時帰国するという彼を見送るために、なまえとジョットは玄関前に立っている。


「心配せずとも必要なものを取りに戻るだけでござる。それにボンゴレの船は速い…二ヶ月もあれば帰ってくるでござるよ」

「うん。でも、お見送りしたかったから」


 そう言うと、大きな手で頭を撫でられる。なまえがこちらに来てから、彼が日本に帰国するのは初めてだった。


『雨月様。そろそろお時間です』

『わかった』


 警備班の青年の言葉に柔らかく頷いた雨月は、なまえに向き直ってしばし沈黙した。

 何かを言いたげに口が開かれたが、結局何も言わずに閉じられた。それになまえが首を傾げる前に、雨月は優しい声を出す。


「お土産には何が欲しいでござるか?」


 思いもよらなかったのか、なまえはきょとんと目を丸くした後、へにゃりと微笑んだ。


「お醤油と…味醂がいいな」

「承った」



 和やかで、それでいて少し悲しげな笑顔を交わす二人の日本人の顔を見て、ジョットは自分も同じような顔になっていくのを感じていた。





* * *





『行かなくてよかったのか…?』


 雨月が乗った馬車が正門を出るまで見送り、屋敷の中に入った途端かけられた言葉に、なまえは少しだけ苦く笑って頷いた。


「今の日本は、私が知っている日本とは違うから…」


 イタリア語を勉強中のなまえは、できるだけ日本語を使うまいとしているが、それでも話せない単語が含まれていると日本語が交じる。

 日本で生まれ、日本で育ったというなまえ。

 だが彼女がいたのは遠い未来の日本だ。

 未来の日本では、今の日本の面影はほとんどないらしい。なまえは着物を着たことは一度しかないという。


『怖い、んだ…』

『なまえ…』


 零れ落ちるようなイタリア語に、胸が痛んだ。

 ジョットは下を向くなまえの肩に手を伸ばした。触れたショールはとてもあたたかく、彼女が確かにここにいることがわかる。


『雨月に、一緒に行こうって言われなくて…安心したの』


 同じ日本人である彼に…日本を愛している彼に、行きたくないなどと言うのは辛い。

 雨月はそれをわかっていたのだろう。わかっていたから、言葉を呑み込んだのだろう。


「日本が、私のいた場所じゃなくなってしまったのを、この目で見てしまうのが怖い…」


 確かにあの地で生まれ、あの地で育ち、あの地で生きてきたのに。

 景色も、文化も、法律も、人も、何もかもが違う故郷を、知りたくない。

 自分の居場所がないのだと、実感してしまうことが恐ろしい。



 なまえは泣いていなかったが、いまにも泣き出してしまいそうなほど声が震えていた。

 唐突に、ジョットは不安になった。

 なまえが、未来に帰りたいと思っているのではないかと。

 なまえが望むなら叶えてやりたい。だが、未来へ返すなどこの時代の技術では無理だ。

 なまえの時代でさえ、無理だといわれていたという。

 なまえの望むことを叶えてやれないのは、ジョットにとって耐え難い痛みになる。


『なまえ……』


 こちらに背を向けているなまえの両肩を、そっと掴む。小さく震えた彼女がこちらを向く前に、右手で額を押さえ、頭を後ろに倒す。

 濃い茶色の髪に越しに、頭に唇を触れさせながら、呟く。


『お前の居場所は、ここだ』


 ぴくん、と震えた肩に置いた手に、力を込める。


『だから…どこにも行くな。日本にもだ』


 未来にも、と思わず言いそうになるが、堪える。

 ここにいる限り、なまえが帰れない故郷を思い悲しい顔をするのは避けられないだろう。

 だが、それ以外は、いつでも笑顔でいてほしい。



 そのためなら、なんでもする。



『どこにも行かないよ。私の居場所はここだもの』

 今は顔が見えないなまえの声に柔らかさが戻っていて、安堵の息が洩れた。


『私はイタリア大好きだよ。まだ本場のピッツァを食べていないけど』


 おどけたような笑い声がたまらなく愛しく思えて、額にあてた手にぎゅっと力を込める。

 くすぐったそうに笑うなまえの髪からは、とてもいい香りがした。


『美味いピッツァを出す酒場を知っている。少し遠いから、誰かに買いに行かせよう』

『やった!楽しみにしてるねっ』





 振り返ったなまえの顔が、思った以上に近くて、慌てて離れた。










 確かに君はここにいる








(寂しくなったときは、ジョットの顔を思い浮かべると安心した)

(その意味に気づくのは、もう少し先の話)





* * *

25000を踏んでくださった白藤 ミレイ様リクエストの、恋物語番外編ジョット切甘
切甘っていうかシリアス甘寄りですかね(^_^;)しかも前半に雨月さんがしゃしゃっております←
イタリア語と日本語が混在している話なので『』が気になるかもしれませんがご了承ください。
あと、たぶん二ヶ月では伊日間は往復できません。そこはボンゴレクオリティということで(笑)
ちなみにこのお話、微妙に警備班長、非番に繋がっています。
こんな感じで大丈夫でしたでしょうか?また機会があればリクエストしてください。

白藤 ミレイ様のみお持ち帰り可です。


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