恋物語忠誠編 | ナノ


カメリア シックリー センチメンタリティ 1





カメリア シックリー センチメンタリティ








 屋敷に着いて自分の部屋に戻ったユキは、重い足を引きずるようにして、着替えもせずにベッドへ倒れ込んだ。

 目を閉じて浮かぶのは、ジョットの、怒りと悲しみを湛えたオレンジ色の双眸。

 彼の持つ炎のようなその目に射抜かれて、何も言えない自分。





 頬を張られてしまった。

 張らせて、しまった。

 彼を怒らせて、悲しませてしまった。





 自分が受けた仕打ちというより、自分が彼にさせてしまったことが、ユキの気持ちを沈ませた。

 その一方で、あの着古した作業着の男性の顔が浮かぶ。

 彼は、ちゃんと家族の元へ帰ることができたのだろうか。

 愛する家族のための金なのだと、うわずった声で強面のマフィアに向かって叫んでいた姿。

 彼を助けたかった。家族の元に帰してやりたかった。

 ユキ自身は気づいていなかったが、自分はどう足掻いても二度と家族には会えないという思いが、少なからず関係していた。

 まだ実戦で使ったことのない自分の力を過信したわけではなかった。

 ただ、助けなければと思ったら他のことは何も考えられなくなり、走り出してしまった。

 結局私はあのマフィアの男を倒すことはできなかったし、助けたいと思った相手を背に庇うことしかできなかった。






 ジョットがいなかったら、死んでいたかもしれない。





『死……ッ!』


 突然襲ってきたリアルな死の感覚に、背中が震えた。

 頭の中が、しばらくの間死の妄想に取りつかれた。

 それを消そうと目をきつく閉じるが、思わないようにするということは、思うことと同じことで、何の効果も得られなかった。





 シーツを握り締める手が、白くなり始めたころ、控えめなノックの音でユキは現実に引き戻された。

 敬語で入室の許可を求める声が聞こえたのでドアを開けると、柔らかい笑顔を浮かべたDが立っていた。

 Dはユキの顔を見て笑顔を濃くし、失礼しますよと言って部屋に入った。


『おやおや、様子を見にきてみれば、怪我の手当てどころか着替えてもいないとは…』


 呆れたように言われて、ユキは袖が切り裂かれたワンピースを着たままだということを思い出した。

 そんなことも考え付かなかったのか、と思わず自嘲してしまう。


『私はバスルームにでもいますから、先に着替えてしまいなさい』


 そう言うとDはさっさとバスルームへ向かって歩き出してしまう。

 慌ててクロゼットへ飛んでいき、適当な服を選んで着替えた。

 バスルームのドアに向かって着替えたことを告げると、出てきたDに冷たいタオルを渡される。


『今更遅いとは思いますが、一応冷やしておきなさい』


 頬のことを言っているのだと、すぐには気づけなかった。

 左頬の痛みはほとんど引いていたが、ぴりぴりとした感覚は残っていて、タオルをあてると気持ちよかった。

 ソファに並んで座ってからDはてきぱきと救急セットを用意し、慣れた手つきでユキの腕を消毒して包帯を巻いた。


『ユキに渡すものがありまして、私が貴女の怪我の手当てを願い出たのですよ』


 Dがこんなことをするなんて珍しいなと思っていたユキの考えを読んだらしく、Dは包帯から視線を外さないまま話す。