恋物語忠誠編 | ナノ


ウイスタリア ミステイク 2







 ユキは脳が信号を伝達するがままに足を動かし、封筒を持っている方のマフィアの背中に突進する。

 背中への思わぬ衝撃にもんどりうったマフィアから封筒を奪うと、ユキは体を捩じ込むようにして2人のマフィアと作業着の男との間に立った。

 ユキの登場に驚いている作業着の男に、封筒を押し付けるように渡す。


『しっかり持ってて!家族に渡すなら、何があっても奪われちゃだめ!!』


 ユキに襲撃された方の男は背中をさすりながら体勢を立て直し、青筋を浮かべてユキに向かって腕を振り上げた。


『何しやがんだてめぇ!!』

『ッ!!』


 咄嗟に庇ったが、男の付けていた指輪はユキのワンピースの袖を裂き、尖った装飾が腕を傷つけた。

 怒気もあらわにさらに殴りかかろうとする男を、もう1人のマフィアの男が制する。


『待て。ここらじゃ見ない女だな。どこから来た?』

『答えたらこの人解放してくれるんですか?』


 ユキはマフィアの男たちを見据えながらも、頭の中では必死に作業着の男を逃がす方法を考えていた。

 2人の注意を自分に引き付ける。

 攻撃するのは足。足さえ封じれば男を逃がしても追いかけることはできないだろう。


『そいつはできない相談だ。その男の金も、お前もな』


 舐めるような視線を感じ、ユキは不快感に眉を寄せた。

 どちらか片方でも倒せれば、彼を逃がすことができる。



『思わぬところで外国人の上玉だ。いい金になりそうだ』



 下卑た笑いが上がるなか、ユキはある考えが浮かんだ。


 私が捕まると言えば、この人は逃がしてもらえるだろうか。

 逃がしてもらえなかったとしても、抵抗しない素振りを見せれば隙ができるかもしれない。

 そうすれば、彼を逃がして自分が逃げることもできるかもしれない。


 ぐっと口を引き結び、拳を握る。


『私が貴方達と一緒に行けば…この人を』





 逃がしてもらえますか。





『ぐっ!』

『がぁっ!!』


 そう続けようとした言葉は、男達のうめき声に飲み込まれた。

 苦痛に顔を歪めた男達が崩れ落ちると、オレンジの光がユキの視界に飛び込んできた。



 両手のグローブから立ち上る炎。



 それを纏った拳が、マフィアの男達の背中に向けられていた。



『ジョット…』

『……』


 安堵の吐息と共に呟いたユキの横を、ジョットは倒れた男達を踏み越えて通り過ぎる。

 ユキと視線を合わさないままジョットは作業着の男に話しかけ、部下を呼んで彼を送らせた。

 作業着の男が呆けたような顔で礼を言ってくるのを、ユキは呆然と聞いていた。

 今一度ジョットの名を呼ぼうとすると、それを遮るようにジョットはユキの前に立つ。

 少し前に触れ合った彼の右手が、すっと浮き上がるのを感じ、顔を上げる。






 バシッ!!







 ジョットの手が、ひゅっと風を切ると、小気味良い音と共に、ユキの体がよろめいた。


『この馬鹿!!こちら側には入るなといったはずだ!』


 空気が震えるほどの威圧感を放ったジョットが、今まで見せたことのない表情を浮かべ声を荒げた。

 朱に染まった左頬に、無意識に手を伸ばしかけたユキの瞳は、呆然とジョットを映していた。





 怖い。





 息すら忘れるほどの恐怖が、ユキの胸を貫いていた。

 ジョットの怒りに燃えた双眸が、突き刺すような言葉が。

 射抜くような視線を逸らせないでいると、ジョットの方が一瞬目を伏せた。


『お前は、何を言おうとしたんだ…』


 ぽつりと、こぼれ落ちるような言葉を発したジョットの瞳は、今は悲しげに揺れていた。

 ユキはごくりと生唾を飲み込んだ。





 この人が、こんな顔をするなんて…。





 ジョットは、ユキの前ではいつも笑っていた。

 ふっと綻ぶような微笑みだけれど、包容力に満ちていて、優しい。

 さっきだって、声を上げて笑っていた。あの、輝くような笑顔。

 それなのに今は、怒りと悲しみに瞳をゆらめかせて、自分を見ている。



 胸を抉られたような痛みが走る。





 消えてしまいたいと、思った。





 ジョットにこんな顔をさせてしまった自分を、今すぐこの世から消してしまいたかった。





『一週間の謹慎処分にする。部屋から一歩も出るな』





 絞り出すようにそう告げると、ジョットはユキに背を向ける。










 帰るぞと言われて、ジョットが歩き出しても、ユキはしばらくその場を動けなかった。








(私の、したことは……)





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