エクリュ ペトゥル 2
荷物を預けた後部下にその辺りで待機するよう命じてから、ジョットが肉屋のドアを押し開ける。
からんころんとベルが鳴り、奥から恰幅の良い中年の女が顔を出す。
女はジョットを認めると驚いたように目を丸くし、カウンターから乗り出さんばかりに体を傾け、明るい声を上げた。
『あれまぁボスじゃないかい!よく来たねぇ!』
『レナータ。しばらくだな。元気そうで何よりだ』
50代と思われるレナータは、奥で肉を切っていたのか血のついた手をジョットの方に伸ばし、それに気づいて慌ててエプロンで拭く。
ジョットは気にしない様子で、半分も拭いきれていない肉付きの良い手を取ると、カウンター越しに抱きしめた。
すると潰さんとばかりに抱き返されて軽く咳き込んでいたが、すっと横にずれてユキをレナータの前に促す。
『ユキ。この店の店主のレナータだ。レナータ、今日、アレッシオはいないのか?』
『あ!』
ジョットの口から覚えのある名前が出てきて、ユキは思わず声を上げる。
アレッシオとはボンゴレ屋敷に食材を届けてくれる業者の男の名前だった。
彼も50がらみで、イタリア語が不慣れだったころからユキによくしてくれた、これまた恰幅の良い男だ。
レナータはユキを見て人の良さそうな笑顔を浮かべる。
『あんたがユキ様かい。旦那がいつも世話になってるねぇ。可愛らしい子じゃないかボス。あんまりこき使うんじゃないよ!』
背中をばしっと叩かれて、ジョットは苦笑いを浮かべる。
レナータは店を切り盛りし、夫であるアレッシオは仕入れをする傍ら、ボンゴレ屋敷に食材を届けてくれていると、ジョットはユキに説明した。
本業は肉屋なのだが、屋敷の人の出入りを制限しているため野菜や果物、魚などもアレッシオがまとめて持ってきているのだという。
『レナータとアレッシオは俺とGがガキのころからの付き合いでな。この場所をボンゴレが管理することになった時にここに店を移したんだ』
そうとも、とレナータが頷く。
『この子がジョット坊やだったころからよーく知ってるよ。昔っからいろいろやらかす子だったけど、マフィアのボスになっちまうとはねぇ。ユキ様、昔の話が聞きたかったらいつでも言いな』
『それは是非聞きたいかも!』
『お、おいユキ!レナータもやめてくれ!』
にやりと笑うレナータと、慌てるジョットのやり取りがおかしくてユキがくすくす笑うと、困ったように眉を下げていたジョットもぷっと噴き出す。
3人で声を上げて笑っていると、胸の辺りが熱くなってきたような気がして、ユキはワンピースの胸元をぎゅっと押さえる。
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指で拭うジョットを見ると、心臓がうるさく鳴る。
《全てに染まりつつ全てを飲み込み包容する大空》
マフィアについての講義の際に雨月が言っていた。
人がジョットを【大空】と呼ぶのは、ただ強いからじゃない。ただ組織をまとめる能力が高いからじゃない。
管理している地域を自分の守る場所とし、その住民と他愛ない話で笑い合える。
そんな彼を、とても素敵だと思った。
『私…ジョットに拾ってもらえてよかった』
突然そう零したユキに、ジョットは驚いたように目を丸くした。
カウンターに置かれた右手には、ボスの証であるリングが輝いている。
ユキは少し躊躇って、意を決したようにそっとその右手に触れる。
手を重ねるとぴくりと指先が動いたが、すぐに力が抜けた。
この気持ちが、少しでもたくさん伝わってほしい。
そんな願いを込めてきゅっと握ると、温かい体温と硬い指輪の感触。
今私がこうして笑っているのは、奇跡のようなものだ。
タイムトラベルした先が100年前のイタリアで、マフィア間の抗争の真っ最中だった。
そんな状況で生きていられたのは、ジョットが助けてくれたからだ。
命を救ってくれた。住む場所も、仕事もくれた。教育も与えてくれた。
感謝の気持ちを表すために学び、働いた。
だけど、日に日に膨れ上がるこの気持ちを今、ここで伝えたかった。
ジョット。ボンゴレプリーモ。大空のような貴方。
大空《あなた》に包まれたものの1人として、溢れ出しそうな感謝の気持ちを、ここに。
ありがとう。貴方に会えて、私はとても倖せです。
『お前は俺の…ボンゴレのものだ。ずっと、一生…守ってやるから、安心しろ』
『Si boss』
手を離すことを惜しいと感じたのは、ジョットの手がとてもあたたかかったから。
きっと、そう。
(レナータさん。この辺のお店について教えてほしいんですけど)
(なんで俺に聞かないんだ?)
(女性に聞きたいの。というわけでジョットはあっち行ってて)
(…………)
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