恋物語日常編 | ナノ


コーヒー ラビット アゲイン 2







 23時ちょうどに、ユキはトレイに載せた茶器一式を持ってアラウディの部屋の前に立っていた。


 ポットからはドイツ式のサイフォンで淹れた濃いコーヒーの香りが漂っている。


 3回ノックすると、少しの間の後「入っていいよ」と返事が返ってくる。


 トレイを片手で持ち直し、ドアを開ける。


 書棚が壁の全面に並ぶ部屋の窓側に、通常よりはるかに大きいと思われるデスクがでんと置かれている。


 飾りの少ない椅子に座って書類に目を通していたアラウディに、手振りで奥にある続き部屋《スイートルーム》へ行くように示される。


 恐る恐る続き部屋《スイートルーム》に入ったユキは、キングサイズのベッドとその横に置かれたソファセットを見てぎょっとした。





 Gや雨月の部屋を見た時も思ったけど、こんな広い部屋でよく落ち着けるなぁ。





 この部屋の半分しかない自分の部屋でさえ広くて落ち着かないのに、こんなに広くてよく寛げるものだ。



「何突っ立ってんの。座りなよ」


「! はいっ」



 ぼうっと部屋を眺めていると、アラウディの手がいつの間にか背中に添えられ、ユキは促されるままにソファに腰を下ろし、トレイを置いた。


 L字に並んだソファの、ユキの隣に腰を下ろしたアラウディはトレイの上の皿を見て、口の端を釣り上げた。



「それ、持ってきたんだ」



 トレイにはポットとカップと一緒に、うさぎ型にされた林檎が載った皿があった。


 ユキはポットから丁寧にコーヒーを注ぎ、アラウディの前に置く。



「アラウディさん、これが好きみたいだったから。コーヒーに合うかはわからないけど…」


「林檎は好きでも嫌いでもなかったけどね。うさぎってところが良い」

「うさぎが好きなんですか?」


 意外そうに訊くユキに、アラウディはふっと笑う。






「上手く調理すればなかなかいけるからね」


「えっ!?食べる話?」



 ぎょっとするユキに、アラウディは何がおかしいんだとばかりに瞬いて見せた。


 イタリアの食文化にうさぎが組み込まれていたかどうかを思い出そうとしているユキをよそに、うさぎ林檎を一つ手に取り、しゃぐっと音を立てて齧る。



「うさぎを頭から丸齧りにしてるみたいで、面白い」


「私には理解できませんー」


「ま、いいけどね。君もコーヒー飲んで行きなよ。遅れなかったご褒美に」



 そう言ってアラウディは立ち上がり、ほとんどインテリアと化している食器棚からカップとソーサーを持ってくる。


 受け取ってコーヒーを注ぎながら、ユキは唇を尖らせる。



「3分間しかドアを開けないなんて脅すから、ちょっと焦ったんですよ」


「別に脅したつもりはないけどね。僕は部屋に人を呼ぶ時はいつもこうしてる」



 まぁ部屋に人を呼ぶこと自体そんなにないけど、と付け加えて顔を上げると、カップを持ったまま目を丸くしているユキが視界に入る。


 その驚いた表情をしばらく見つめ返した後、あぁ、と納得したように呟く。


「君は知らないんだったね。僕の本職はマフィアじゃないから」


「え!?そうなんですか?」



 驚きの声を上げるユキに向かって頷きながら、うさぎ林檎をもう一つ取って齧る。


 それを見たユキが(この人絶対たい焼きとかも頭から食べるよきっと)とか考えているのには気づくはずもない。



「ボンゴレの仕事は僕の本職にとっての利になると判断した時しか受けない。そういう利害の一致を前提とした上で所属してるんだ」


「そうなんですか…。で、本職は何を?」


「それは秘密。部屋に人を呼ぶにも細心の注意を払う。そんな仕事」


「秘密の仕事ですか…」



 アラウディに話す気がないことを察したのか、ユキはそれ以上聞かずにコーヒーに口をつける。


 豆が良いのか、自分で淹れたコーヒーなのにとても美味しかった。







「まぁでも、しばらくはここにいるつもりだよ。ここなら珍しいものがたくさん食べられそうだしね。トマトスープの中に浮いた肉の塊とか」


「煮込みハンバーグっていうものだって何度も説明したはずなんですけどね!なんでそんなこと言うんですか!」



 四苦八苦したあげくに作った雑用初日の夕食は、味は高評価だったにも関わらず、その見た目で食堂に爆笑の渦を巻き起こした。


 ユキにとっては見慣れた料理でも、ボスと守護者にとっては異様で、面白くてしょうがなかったのだ。


 頬を紅潮させて怒るユキの頭を軽く撫でて、アラウディは立ち上がる。



 それを退室の合図だと気づいたユキは、まだコーヒーが残っているポットとアラウディ用のカップだけ残してトレイを持ち上げる。





 うさぎ林檎は全部なくなっていた。





* * *





『おやすみなさい。アラウディさん』



 部屋を辞する時、はにかんだようにそう言った彼女のイタリア語は、まだたどたどしい発音ではあったが、はっきりと聞こえた。





 デスクに戻ったアラウディは、頬の筋肉が引きつるように痛むのを感じ、眉間に皺を寄せた。


 普段笑みの形を取ることが少ない表情筋が、ぴりぴりしたように痛む。





『調子、狂う』










 零れ落ちるような独り言を、アラウディは濃いコーヒーで流し込んだ。















(先輩!アラウディ様からの連絡で、しばらく本国には戻らない、と!)


(きっとイタリアで興味深い調査対象を見つけられたのだろう。さすがアラウディ様だ)








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