クリーム ヘジテイション 1
顔にはたかれた白粉が、やけに重かったのを覚えている。
ねっとりとした赤い口紅も、目の周りを囲む現代で言うところのアイラインも、やけに重く感じられたのを覚えている。
胸が半分も見える、襟ぐりの深い薄いピンク色のサテンドレス。
体に纏わりつくような形のそれは、動く度に体の線をはっきりと際立たせていた。
それはまさに男の寝室に侍るための格好。娼婦のそれだ。
『ヌフフ…。その格好、プリーモが見たら何と言うでしょうねぇ』
隣を歩く、武骨な見張りの男が笑う。正確には、その男の体に憑依した術士が。
『ユキ。考え直すなら今のうちですよ』
これは過去に起きた出来事だ。まだ過ぎ去ってから数時間も経っていない、過去。
何の誇張もなかった。起きた過去の出来事そのままだ。
だからユキは、自分が術士に何と答えるかわかっていた。
一瞬の間も置かなかった。即答と言える早さだった。
『もう覚悟はできてる。私はいかれ帽子屋に抱かれるよ。…ジョットを救うために』
ユキは甲高い悲鳴を上げて飛び起きた。
夢の中で自分が口にした言葉は、一言一句そのままだった。
過去の事実と、寸分の狂いもなかったのだ。
クリーム ヘジテイション
辺りを見渡すと、自分がいるのは簡素な設えの部屋だった。基地内の、Gが使っていた部屋だということを思い出す。
リナルドをアリーチェの捜索に送り出したあと、Gや警備班達の休め休めという総攻撃により、半ば無理矢理この部屋に突っ込まれたのだった。
頭がくらくらした。熱に浮かされているかのように。
玉のような汗が浮いた額を無意識に拭って、ユキはしばらく荒い呼吸を繰り返した。
自分の中で何かが轟々と渦を巻いているような、そんな気持ちになっていた。
気づきたくないけれど、気づかなければならい。
扉の向こうには、確実に恐ろしいものが待ち構えている。それだけは、わかっていた。
『ユキ様、ファビオです。起きていらっしゃいますか?』
控えめなノックがしたと思ったら、柔らかい少年の声がドア越しに響いた。
ベッドの上で身じろぎすると、サイドテーブルに肘が当たって小さく音が鳴った。
それが聞こえたのか、再びドアの向こうから声がかかる。
『入室してもよろしいですか? もうすぐボスがこちらにご到着なさるそうです』
目の前が真っ暗になった。
言いようのない恐怖に、ユキは飲み込まれてしまった。
自分の体が無意識に動いているのがわかった。
その証拠に、ドアが開いた。目が合った途端、ファビオは笑顔を引っ込めて不安そうに眉を寄せた。
自分が入室を許さない限り、この少年は部屋に入ってきたりはしない。
つまり自分は、何かしら彼に返事をしたのだろう。他人事のように、そう思った。
ユキは冷静だった。混乱を通り越して、頭の中が一点を除いて全て霞がかったようになっていた。
だから、そのたったひとつわかっていることを、口にする。
『行かなきゃ。ジョットがここに来る前に』
* * *
『G! ランポウ!』
ナックル、雨月、D、アラウディと共にG基地に到着したジョットは、久しぶりに会う二人の友に向かって手を伸ばした。
名前を呼ばれた二人の守護者は安心したように笑った。Gは応えるようにジョットの手を取ったが、ランポウはすぐに笑顔を消し、唇を噛んで俯いた。
『ごめん…ごめんなさい、ボス。俺はボンゴレを、危険に晒した…』
『何を言う。それなら俺だって同じだ。お前はあの場でできる最良の選択をした。結果俺もお前も助かって、ボンゴレは勝っただろう?』
体のあちこちに怪我を負った年下の友の肩を掴んでぐっと引き寄せると、柔らかな緑色の巻き毛の頭が、小さく縦に揺れる。
ランポウが落ち着いたのを見計らって、Gが声をかける。
『まだ構成員が集まるには時間がかかる。その間に会議をやって、全員が集合したら勝利宣言だ。プリーモと、あとナックルはもう一度医療班に診て…』
『わかった、G。全部やるから、まずユキに会わせてくれ』
てきぱきと話を進めようとする右腕をジョットは遮る。周囲にはジョット達に気づいた構成員達が姿勢を正しているのが見えるが、その中に濃い茶色の髪の女性の姿はない。
← →
|