ピンク ビバーナム プリカツム 1
ピンク ビバーナム プリカツム
狭い牢の中に、ユキの泣く声が静かに、冷たく反響した。
胸の内で膨れ上がった思いを吐き出してしまってから、ユキはすぐに我に返ったが、流れ落ちる涙は簡単には止められなかった。
心と体が、分離されたようだった。今すぐ基地に戻らなければと思ってはいるものの、体は鉛のように重い。
違う。ユキは緩く首を振った。
ユキの体は、ユキの意思で動く。だから動かないということは、ユキが動くことを拒んでいるのだ。
基地へ戻れば、ジョットがいる。そう思うだけで、体が重く、動かない。
(好きに、なってほしい)
気持ちが決まった。決まった瞬間に、希望が、欲する心が、一直線になってしまったのだ。
(嫌われたくない)
そして今、同じくらいの大きさを持つ、もうひとつの気持ち。
どちらの気持ちも、今まで一度も考えたことなかったものだった。
自分がジョットに嫌われるかもしれない。そのことが、こんなにも恐ろしいと、考えたこともなかった。
『おかしいよね……私』
自嘲して、ユキは言葉を零した。
今の今まで、まったくおかしいと思わなかった。自分の身を捧げることに躊躇いがないことが、異常なことだと思わなかった。
『好きなのになぁ…』
ジョットが好きだ。気づいていなかっただけで、ずっと、好きだったのだ。
ジョットが好きだということに気づいても、自分の考えが覆らないことに、ユキは愕然とした。
好きな人ができたなら、その人のためにも自分の体は大事にするべきなのだ。それが普通で、当然の考えだと思う。女として、否、女でなくてもあたりまえに思うことだ。
涙が乾き始めた頬を拭う。
ジョットに隠すという選択肢はなかった。彼に秘密を持つことはできない。ユキはそれほど器用な人間ではない。
ユキに残された道は、これからもボンゴレとして、マフィアとして、ジョットに忠誠を誓った構成員として生きていくことだ。
ジョットへの想いを、一生心に秘めて。
『こんな女、好きになってって言えないよ…。無茶すぎるよね…』
自分はほかの男と寝ることができます。そう言っているようなものだ。そんな女を好きになる男なんていない。それくらいユキでもわかる。
だから今まで通りの関係で。ボンゴレに忠誠を誓ったユキとして、ジョットの傍にいられれば…
『それなら、私は笑える』
ジョットが創ったボンゴレのために、自分は戦おう。必要ならば、なんだってしよう。
好きになってもらえなくて構わない。ボンゴレと、ジョットのために生きていこう。
(だから私を見捨てないで)
『!』
心に浮かんだ思いに、ユキは目を見開いた。
いきなり目の前を横切った本音に、笑い出しそうになる。
なんて身勝手なのだろう。
自分がどんな女か自覚したのに、それでもユキは、今を失いたくなかった。
自分には過ぎた幸せだ。このままボンゴレのために働いて、ジョットの笑顔を見られるのなら。
そのためならば、ジョットに好きになってもらえなくて構わない。
『ひとつ、お伺いしたいのですが、ユキ嬢』
カッペッレェリーアが声をかけると、ユキはびっくりしたように顔を上げた。
見開かれたマホガニーの瞳には、今まで帽子屋の存在を忘れていたと書かれていて、苦笑する。先ほどから、カッペッレェリーアに話しているというよりは独白に近い気はしていた。
ユキは涙を流していたことを恥じるように顔をてのひらで拭い、カッペッレェリーアを見る。
返答は得ていないが、構わず問うことにした。大げさに両腕を広げる。肘から下は痛み止めによりほとんど感覚がなく、自分の腕ではないようだ。
『なぜ、ボンゴレの構成員であることに固執する必要が? マフィアでなくボンゴレプリーモの女として、傍にいれば良いではありませんか』
ジョットの片想いを知っているので、カッペッレェリーアは満面の笑みで言ったが、ユキは不快そうに目を細めた。
カッペッレェリーアは続ける。
『マフィアでいるのは危険なこと。そんな危険に、恋を捨ててまで身を投じる必要がありますか? 貴女は恋人として、いずれは伴侶としてボンゴレプリーモを支えてさしあげればよろしい。それもまた、まわりまわってボンゴレを支えることになるのでは?』
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