ピンク ビバーナム プリカツム 3
嗚咽が零れそうになるのを唇を噛んで堪えるユキを見て、帽子屋はふっと目を細めた。
『嗚呼ユキ嬢。私はボンゴレプリーモのことはよく知りません。ですが貴女は違うでしょう? 彼は、ボンゴレのためならなんでもできる女だと知って、貴女を嫌いになるような器の小さい男なのですか?』
思わず首を振りそうになって、堪える。
だってわからないじゃないか。今の自分は正常な判断ができない。嫌われたくないという自分の願望が、ジョットの優しさに期待する。
ジョットは優しい。厳しいところもたくさん知っているけれど、ユキの中のジョットは、いつも優しいから。
俯いたまま動かないユキに、帽子屋は唇を綻ばせた。
『恋の悩みは、黙っていたって自分の悩みに潰されるだけですよ。好きになってほしいならそう言いなさい。嫌われたくないのなら、そう懇願するしかないのです』
『そんな……難しいよ』
今まで誰も聞いたことがない、情けない声を出すユキに、帽子屋は宥めるような笑みを向ける。
『何をおっしゃいます。恋は単純です。自分の気持ちに正直なものが勝つのです』
自分の気持ちにひたすら正直そうな帽子屋に言われると、すごく説得力があった。
『正直になれば、勝ち…か』
今更になって、ユキは自分がなぜここにいるのか、わかったような気がした。ここに来た理由は、錯乱したのと、帽子屋に会って自分がボンゴレのためならなんでもできる女だと確認したかったというものだが、それだけではなかった。
誰かに聞いてほしかったのだ。ボンゴレとは関係のない誰かに。混乱して、ぐしゃぐしゃになった、自分の気持ちを。
『おや』
帽子屋がふと呟いた。その瞬間、ユキはぱっと顔を上げた。心臓が、鷲掴みにされたかのようにきゅっと収縮する。
『ジョット…』
気配がした。こちらに近づいてくる、彼の気配。
ひとりだ。どうして…ひどい怪我だったのに。動けるくらい、回復したのかな。
ジョットが近くにいる。そう思っただけで、頭の中が彼のことでいっぱいになる。
会いたい。傍に行きたい。どうしよう。好き。好きで……好き。
『お行きなさい』
振り返ると、帽子屋の笑顔があった。促されるままに立ち上がり、鰐皮の帽子が乗ったプラチナブロンドを見下ろす。
琥珀色の瞳が、悪戯っぽく細められた。
『会ってしまえば、一瞬でかたがつきますよ』
『なんでわかるの?』
『恋とはそんなものです』
ひらひらと手を振る帽子屋を怪訝そうに見つめたユキは、気になっていたことを訊いてみることにした。
『貴方、なんでノヴィルーニオの幹部なんてやってたの?』
『なりゆきですよ』
けろっと答える帽子屋をじっと見ると、彼は僅かに苦笑したようだった。
『客を取らせる女達は、一度誰かが味を見る必要がある。それなら、私のような顔の男が相手をした方が、悪い思い出にならないのではないかと。初めての男ならなおさら……それが最初でしたかね』
ユキは目を丸くして帽子屋をまじまじと見た。この戦争最大の敵だった男の、意外な一面を見てしまったような気がした。だがよくよく考えれば、そんな敵に恋の話を聞いてもらっている自分も自分だ。
そんなことを考えているうちに、帽子屋に早く行きなさいと急かされる。
『ボンゴレプリーモに、会いたいでしょう』
『うん』
何も考えずに即答してしまうと、ははっと声を上げて笑われた。
牢から出て、鍵をかける。一瞬逡巡して、牢の内側の帽子屋に声をかけた。
『いってきます』
『嗚呼、いってらっしゃいませ。もう迷ってはいけませんよ』
入口にかけられた布に手をかけて、苦笑する。
迷わずに済めば、どんなに良いだろう。
だが人は迷う。特に恋は、人を迷わせる。
想い人をどんなに信じていても、悪い方向に傾くかもしれないという可能性だけで二の足を踏ませる。
外に出ると、日の光が目に突き刺さった。もうこんなに日が高い。暗い牢の中にいたから、気づかなかった。
地面を踏みしめて、ゆっくり歩く。彼がくる方向は、なんとなくわかっていた。
【人間の感情などシンプルなものです】
【でもあんたは好きなんでしょ?そのボスのこと】
【ユキ様。もしかして、恋をしておられますか?】
【恋は単純です。自分の気持ちに正直なものが勝つのです】
カプリ島にきてからの、この短い間に、いろんな人から言われた言葉を思い出す。
恋をしたと自覚した途端に、こんなにもうだうだ悩んで、みっともないったらない。
それでも、どんなにみっともなくても、悩まずにはいられない。たとえ帽子屋の言うとおり、会えば一瞬でかたがつくのだとしても。
私はジョットが好きで、ジョットに好きになってもらいたいのだから。
『ユキッ!!』
顔を上げる。視界が、一瞬で明るさを増した。
輝く金色の髪、皺ひとつないスーツ、あたたかい炎のようなオレンジ色の瞳が、これほど遠くてもよくわかる。
【貴女は何が嬉しくて…何が辛かったのですか?】
(何を言うべきか、考えていたの)
(会った瞬間、すべて吹き飛んでしまったけれど)
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