チャイニーズレッド ティアーズ 3
リナルドは猛スピードで馬を駆った。森を突き抜け、街を目指す。
街と、戦場となった貴族の私有地はかなり距離が離れていたため、ボンゴレとノヴィルーニオとの戦争の影響はほとんどなかった。
まだ店を開けるには早く、人通りの少ない街に着くと、リナルドは馬を繋いで己の足で歩いた。
なにがなんでも見つけ出せと、厳命された…探し人。
『あれは…』
視界の端で、何かが動いた。
通り過ぎてしまったので、踵を返して戻ると、細い路地裏の奥に灰茶の塊があった。
近づくと、それは汚れた毛布だった。小さく上下する毛布に顔を近づけると、濃い茶色の髪の毛が覗いた。
ユキのものとよく似た色。
『見つけた』
誰かが毛布を掴んだ。
浅い眠りから覚めたと同時にそれがわかり、毛布を強く握り締める。
握力の落ちたこの手ではほとんど意味などないだろうと思ったが、予想に反して相手は手を離したようだった。
『起きられたのですね』
若い男の声だ。品のよさそうな敬語を使う、低い声。
『消えとくれ』
さらりと響く男の声に対して、自分の声はざらざらとささくれだっている。
この街に来てから何度かあったように、きっとこの男も、自分を街で客引きをしている女だと思っているのだろう。
『女が欲しけりゃ他をあたりな。こっちは死にかけなんだよ。あんたの相手なんてしたら、最中に逝っちまうだろうからね』
吐き捨てるように言う。日は昇ったようだが、路地裏はまだ寒い。毛布で全身を包んでいるにもかかわらず、芯から凍えていくようだった。
あの子がくれた上着は、とてもあたたかかったのに。
『畜生…』
唇を噛む。なぜあの上着をなくしてしまったのだろう。
ノヴィルーニオの糞共に見つかって、何とか逃げ切ったが上着は失った。
あの上着が、唯一あの子との出会いを夢ではないと教えてくれていたものだったのに。
『貴女は、死にたくないのですか?』
男が問いかけてきた。
まだいたのか、と思ったが、男の穏やかな声音につい唇に苦笑が浮かぶ。
『少し前までは、いつ死んだってかまわないと思ってたんだけどねぇ…』
いつ死んでもおかしくない命を、惜しむつもりはなかった。
ただイタリアで死ぬことだけは譲れない。その思いしかなく、イタリアにさえいられれば、いつ死んでもかまわなかった。
『今は、まだ死にたくない…』
あの子に会いたい。
絶望に塗り固められたこの身を、あたたかい何かで溶かしてくれた、日本人のあの子に。
『あの子に…ユキに会いたい……』
最期に一目会えればいい。
イタリアで死ぬという我儘のために、共に捕まっていた女達を見捨てて逃げた。
ユキは、彼女達を助けると言ってくれた。
そして……
《必ず迎えにくるよ》
《外は寒いから》
他人に、あれほど真剣な約束を、優しい気遣いを、受けたことなどなかった。
ユキに会いたい気持ちが、私に消えかけの命を惜しませた。
『失礼します』
頭まで引き上げていた毛布を、強い力で、だが丁寧に剥ぎ取られた。
驚いて体を起こすと、スーツ姿の男が自分に向かって笑いかけていた。
黒髪は左半分を後ろに流し、灰色の瞳は柔らかく細められていた。
『よく生きていてくださいました』
剥き出しの肩がじわりとあたたかくなった。男が、脱いだ上着を着せかけてくれたからだ。
『貴女の思い人からの命を受けて参りました。ボンゴレのリナルドと申します』
リナルドと名乗った男は、そう言って完璧な礼を取った。
『ユキ様のもとへ、お連れいたします。…アリーチェ様』
リナルドの口から出た名前を聞いた途端、一瞬で視界が曇った。瞬きすると、涙が零れ落ちて頬を伝った。
起き上がろうとする。体を動かすと、萎えた筋肉が軋んだがかまわなかった。涙が止まらない。後から後から零れ落ちていく。
『私は…生きているのかい?』
嗚咽混じりの言葉だったが、リナルドは頷いた。
涙で見えなかったが、笑顔のように思えた。
『あの子に、会えるのかい…?』
もうとっくに涙は枯れたと思っていた。
そう思っていたのに、またユキに泣かされた。二度目だ。
アリーチェは肩にかけられた上着を抱き、生まれて初めて思った。
生きていて、よかった…。
(笑顔が終わりを告げる)
(戦争の、そしてそれぞれの思いの)
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