シャドウブルー ディンドン 1
『はぁっ…はっ、はぁ……っ』
夜の森は暗かった。
貴族が猟場として使っている森は、鬱蒼としていて視界が悪い。月は出ていたが、雲の流れが早く、相手が見えたかと思ったらすぐにその姿は闇に溶けてしまう。
そう、今戦っている相手の姿だ。
冷たい汗が伝う。耳元でありえない速さで鐘の音が鳴っているような気がするが、それはきっと自分の心臓の音だろう。
どれくらい時間が経ったのだろう。否、まだ数分も経っていないのかもしれない。
痛いほどの殺気が、否応無く体に響いてくる。このまま膝をついてしまいたいと何度思ったことだろう。
こんなに近くで戦っているのに、相手のことがわからない。背の高さと攻撃の重さから、男だろうとわかるくらいだ。
木々や雲が、まるで相手に味方しているかのようにその顔に、持っているはずの武器に影を落としてしまう。
ナイフを投げると同時に地を蹴って、間合いを詰める。逆手に持ったナイフで斬りつけようとすると、風を切るような音と共に相手の足が飛んできた。
後ろに飛んでぎりぎり避けると、次いで左腕を襲った痛みに顔を歪める。相手の武器がかすったのだ。
変だ。相手の武器の間合いが、さっきから何度も変わっている。得物を持ち替えているふうではない。
鞭のようなものとも違う。伸縮するもの? いったい相手は何を使っているのか。
『あぁぁっ!!』
至近距離でナイフを投げる。すぐに新しいナイフをベルトから抜き、斬りつける。相手がそれを避けるために傾けた体目掛けて蹴りを繰り出す。
師から一本を取ったとき以上の動きをしているというのに、相手の体にはかすりもしない。
怖い。
初めて、感情が言葉となって頭に浮かんだ。
勝てる気が、しない…。
びりびりとした殺気も、攻撃が簡単にかわされ、弾かれることも。
そして何より……私は、この男に手加減されている。
『くっそおぉぉぉぉっ!!』
悔しくて悔しくて、堪らなかった。
この男は仕留めなければならない。ボンゴレのために、野放しにするわけにはいかない。
なのに、それなのに…。
確実に自身に訪れるであろう死を、ユキはすぐ目の前に感じていた。
シャドウブルー ディンドン
15分前。
(ジョットが無事で、本当によかった…)
カッペッレェリーアの屋敷から数キロ離れた森の中で馬から降りたユキは、目を閉じて先ほど短い再会をしたジョットの姿を思い浮かべた。
心身共に疲れきっていて、手足は鎖で繋がれて腕には無数の注射痕、シャツの間から見えていた胸には紫や青の痣があった。
あのいかれ帽子屋…、とユキは拳をきつく握る。
あと10発…否100発くらい殴っておけばよかった。あんなになるまでジョットを痛めつけて…。
唯一の救いといえるのは、帽子屋がジョットの美しさに魅せられたことだ。
苦痛により顔色は悪かったが、本人が言うには顔に関しては拷問官の一人に一発殴られただけだったらしい。後にそのことを知ったカッペッレェリーアがその男の腕を落としたらしく、二度と現れなかったという。
(ジョットは強いから、きっと大丈夫。腕だって動いていたし…)
そう思った途端に右足の太ももが熱を持ったような気がして、ユキははたと気づいた。 ジョットがその動いた腕で何を触ったのかを思い出し、顔が熱くなる。
(今更だけど…私、すごく恥ずかしいことをしたんじゃ……)
手綱を持ったまま頬に手を置くと、D部隊から借りた青毛の馬が不思議そうにユキを見た。
あのときは必死だったのだ。
Dの予定外の行動によりジョットに会うことができた。なんとか帽子屋に見つからないように彼にリングを返して、彼を解放することだけを考えていた。
だが、ローザやカルロッタ、そしてアリーチェ達【物置】に入れられた女達がいかれ帽子屋に味わわされた屈辱、そして別荘襲撃の際に死んでしまったランボルギーニ。
そのことを思うと、どうしても自分の手で仕留めてやりたいと、思ってしまったのだ。
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