ローアンバー マッドハッター 2
Dのくすくす笑う声が車内に響く。
『ボンゴレの誰も触れたことのないユキの体を、お前のようなものに触らせるわけがないでしょう』
ジョットはその言葉に同意するように数度頷き、ぴたりと動きを止めた。
ぎ、ぎぎ、とロボットのような動きで顔を上げると、ぽかんとした帽子屋の顔。
ぎ、ぎぎ。そのまま顔を横に向けるとDのにやにや笑いがあった。
『D……。貴様…っ』
『嗚呼ボンゴレプリーモ…。貴方はまだ恋人を抱いていないのですか?』
ジョットがDを咎める前に、帽子屋が大袈裟に頭を…というより帽子を抱えた。
信じられないという目を向けられて、ジョットは反論しようと口を開けたが、Dの方が早かった。
『ヌッフッフ。冥土の土産に教えてあげましょう。恋人というのは作戦のための大嘘で、実際はプリーモの一方的な片想いです』
Dの暴露に今度はジョットが青くなる。
ヌッハッハッハと高笑いするDの喉に突きを入れて黙らせる。なんだ一方的な片想いって。意味が重複しているじゃないか。
顔を正面に戻すと、憐みを浮かべた琥珀色の瞳と視線が交わった。
ひく、とジョットの口元が引き攣る。嫌な予感しかしなかった。
『嗚呼…ボンゴレプリーモ。お気の毒様です…』
目をかっと見開いたジョットの足が、いかれ帽子屋の腹に深くめり込んだ。
* * *
『ファビ、少し見ない間に背が伸びたね』
『そうですか?』
ノヴィルーニオとビルボに占拠されたL基地から数百メートル離れた木の上で、ユキとファビは簡単な食事を取りながら偵察の構成員が戻ってくるのを待っていた。
【物置】にいる間はまともな食事がとれずにいたユキだが、実際食べ物を目にするまでそのことを完全に忘れていた。
そして差し出された食べ物を数秒凝視した後盛大に腹を鳴らし、その音量の大きさで周囲を慌てさせたのだった。
そのことを思ったのか、ファビは苦笑してユキに白湯を渡す。敵陣の近くでは匂いの立つものは口にできない。
『ユキ様は、少しお痩せになりましたね…』
『ん。でもちょっとだけ。すぐに元に戻っちゃうよ』
白湯をゆっくり飲み下しながらふわりと笑うユキに、ファビは怪訝そうな顔をする。
『ユキ様……お美しくなられましたね』
『へっ?』
きょとん、と目を丸くするユキに、ファビは慌ててかぶりを振る。
『あっいえ、ユキ様はずっとお美しいんですが!な、なんといえばいいのか……あ!』
困ったように頭を捻っていた少年は、ぱっと顔を上げた。
『なんといいますか、すっきりしたお顔をされています』
『え……?』
『まるで胸のつかえが取れたというか、もやもやが晴れたというか…大切なことに気づいたというか……』
思い付くままに言葉を並べていたファビは、ユキを顔を見て口を動かすのをやめた。
ユキの顔は、今まで見たことがないくらい真っ赤だった。まるで少年の現在の上司の好物のように。
『ユキ様…いったどうなされ……ッ!』
少年はぴんときた。気配を読むのは得意だが、人間の感情を読むのはそれほどではない。だがぴんときた。
慌てて、一生をかけて守りたいと望んでいる女性の手からコップを奪い、顔を覗き込む。
ファビの薄い青の瞳が、月明かりとは関係なくきらきらと輝いているのを見て、ユキはますます顔を赤らめた。
『ユキ様。もしかして、恋をしておられますか?』
確認するまでもない。顔を見れば一目瞭然だが、彼女の口から聞きたかった。
恋をしていると。その相手は、我らがボスだと。
『うん、気づいたの…。アラウディさんに殴られて』
ファビは苦笑する。現上司の機嫌が悪かった理由がわかった気がする。
顔を真っ赤にして、少し恥ずかしそうに俯く年上の女性が、どうしようもなく可愛らしいと思えた。
『ボスのことが、お好きですか?』
ユキは、少年の優しい声になぜ知っているんだろうと言わんばかりに目を丸くしたが、その行動が肯定したと同じだと気づき、ふわりと微笑んだ。
『うん』
『そうですか。よかった…。これで、ユキ様は一生ボンゴレにいてくださいますね…』
女性構成員が一般人に恋をして、ボンゴレを抜けたという話は多いわけではないが、ないわけでもない。
その可能性を危惧していたファビの言葉の意味がわからなくて、ユキは首を傾げた。
『本当によかったです!まぁ僕はユキ様がボンゴレにいてくださるならお相手はボスでも守護者様でも誰でもよかったんですけどっ』
満面の笑みを浮かべて自分勝手な発言をしたファビだったが、あまりにも嬉しそうなその様子からは無邪気さしか感じられなかった。
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