二輪目 とくとくとく、と透明な液体がお猪口に流れ落ちる。 ジョットとアラウディの間に座した穹風は、交互に酌をした後にこりと微笑んだ。 年を聞けば、もうすぐ初見世に相応する数が返ってきたが、化粧の所為なのか実の年齢より大人びて見えた。 穹風は三味も上手く、唄えば夢見心地になり、舞う姿は天女のようだと称賛された。 機嫌を良くしたDは穹風に次々といろいろなことをさせようとしたが、どんな芸も最低限見せたところで蔓薔薇にぴしゃりと止められた。 「初見世間近の新造は本来座敷に呼ばれても隅で控えているもの。いくら旦那様でもこれ以上穹風の芸はお見せできません」 蔓薔薇は馴染み客であるDに容赦がない。 そこがいいところなんですけどね、とDは笑い、蔓薔薇は初見世前の新造を持つ姉女郎はこんなものです、とつんと顎を上げた。 「ふふっ」 Dと蔓薔薇の様子に、くっと笑いを零すと、同じ時に隣から声が上がった。 隣を向くと、穹風が口元に手をあてて、悪戯っこのような笑みを浮かべてジョットを見上げた。 とくん、と心臓が音を立てたような気がしたが、穹風が空になったお猪口に酒を注ぎ足した音だったかもしれない。 「姐さんはD様が来るときは伸び伸びしています」 いつもは猫を被っていんす、と囁く声は柔らかく、つい微笑んでしまう。 姉女郎が付くと、新造や禿の面倒は全て姉女郎が見る。教育にかかる費用や、初見世の着物の支度などは全て姉女郎の懐から出るのだ。 どんな姉女郎がつくかで、新造や禿の先が見えるというが、穹風を見ていると蔓薔薇は穹風を大事に育て上げ、穹風も姉女郎を慕っているのがよくわかった。 「いい姐さんを持っ……たな」 持って幸せだな、と言いかけて、止める。初見世…つまり初めて客を取る日を控える少女に、言っていい言葉なのか、わからなかった。 「はいっ」 だが少なくとも、蔓薔薇のことを褒められて喜ぶこの笑顔は、きっと本物だと思いたかった。 * * * 「穹風ならすぐにでも馴染み客が付くでしょうねぇ」 遊女の元へは、大体三回程通えば馴染みと認定される。 穹風を見てしみじみ言うDに、蔓薔薇はにっこり微笑んだ。 「そうですよ。この子ならすぐにでも旦那様と呼ぶ御方ができます」 そうだ、と蔓薔薇はぱんっと手を合わせて、手塩にかけて育てた妹分を呼ぶ。 「ジョット様にお願いして、旦那様と呼ぶ練習をさせていただきなんせ」 「えっ、で、でも…」 突然の提案に、穹風はおろおろと蔓薔薇とD、そしてジョットを見る。 客相手に練習相手になれなどと、一介の新造に言えるわけもないと考えているのだろう。 からかいの笑みを向ける蔓薔薇に、軽く頬を膨らませてみせる穹風が可愛らしく、ジョットは手を伸ばしてその頬に触れた。 酒を飲んではいないはずだが、ほんのり桜色に色づいた頬は柔らかかった。 「かまわない。こちらが無理を言って呼んだのだから、練習でもなんでも付き合おう」 「あ…」 こちらを向かせると、日本人にしては色素が薄めの瞳が、恥ずかしそうに細められる。 頬の上に載せたままのジョットの手の上に、穹風の手が重なる。熱くした徳利を持っていた指先はじんわりとあたたかい。 「えっと……旦那、様?」 「ッ!!………」 「?」 「………」 「あの、旦那様?」 「………」 「……?」 「ねぇ、これ好きじゃない。別のにして」 「あ、はい!ただいま!」 アラウディに声をかけられて、穹風の手が離れてしまっても、ジョットは動きを止めたままだった。 Dと蔓薔薇に笑われ、アラウディに呆れ顔を向けられ、穹風に心配されても、ジョットは反応することができなかった。 《この少女が、近いうちに初見世を迎える》 そのことが、ぐるぐると頭の中で渦巻いていた。 |