10万企画・記念小説 | ナノ


05


《いい加減にしろ! ジョット!》


 デスクに手を叩きつけるG。その剣幕に、近くに立っていた雷の守護者はびくりを身を震わせたが、Gの燃えるような赤い目に映っている青年は、困ったように眉を下げただけだった。

 怒鳴り付けた後で、Gは目の前の幼馴染みを名前で呼んでしまったことに気づいて舌打ちする。構うものか、今ここには幹部も部下もいないのだから。

 濃い金髪にオレンジ色の瞳。彼に対して怒りを覚えていても、ジョットはその顔も髪も瞳も、全てが輝いているように美しいと思ってしまう。


《これ以上待つ理由がねぇ! 既に幹部の動揺が構成員達にも伝わっている。わかってんのか? 今は戦争中なんだぞ!》

《わかっている。だが、俺の雨の守護者は…雨月以外考えられない》


 眉を寄せて、だがきっぱりと言うジョットに、歯ぎしりしたくなった。もう一度、力任せに手を叩きつける。


《だがそいつは断ってきた! ご丁寧に長ったらしい手紙でな》


 事実を突きつけると、ジョットは端正な顔を悲しげに歪めた。

 一瞬逸らしそうになった顔を、舌打ちして堪える。臆するな、たたみかけろ。これは自分が言うべきことだ。


《返事の手紙を待つだけで、相当な時間がかかった。もう諦めろ。日本人に雨の守護者なんて、土台無理な話だったんだと思え》


 すると、オレンジ色の瞳が一瞬鋭く光った。


《お前まで、日本人の守護者は反対だと言うのか?》

《違う!》


 Gは赤い髪を片手でかき回す。抑えきれない苛立ちが、自分の言葉に滲んでいた。


《どこの国の人間だろうが関係ない。お前が望むならいくらでも待つし、日本へだって行ってやるし行かせてやる。今が戦争中じゃなけりゃあな!》


 一気に捲し立てると、ジョットが初めて目を逸らした。

 雨の守護者はジョットの守護者で、ボンゴレのボスの守護者だ。

 だからジョットが望むように決めさせてやりたい。その気持ちはある。

 だが今は非常事態で、そんな余裕はない。

 空席のままの雨の守護者…。そのことで、ファミリー内では動揺が蠢いていた。


《適当に決めろと言うわけじゃねぇ。断ってきた朝利 雨月のことは諦めて、他に相応しい奴に決めればいい。お前と、ボンゴレのために尽くすという者は大勢いるんだ》

《G…。だが……》


 Gの口調はほぼ懇願に近かったが、それでもジョットの返事は歯切れが悪い。

 頭の中に、朝利 雨月の笑顔と、達筆な縦書きの長い手紙が浮かぶ。


《日本はフランスやスイスとは違う。日本での生活と天秤にかけて、遠い異国でマフィアになる方を選ぶ奴がこの世界に何人いる? 奴には日本と、音楽がある。…もう一度言うぜ。朝利 雨月のことは諦めて、雨の守護者を選べ。…プリーモ》


 初代・ボンゴレ。

 お前はボスだろう、という思いと共に呼ばれた称号に、ジョットはきゅっと唇を引き結んだ。

 目を伏せると、金色の睫毛が頬の上に影を落とす。

 それを目に映しながら、Gは何度もデスクに叩きつけた手がじりじりと痛むのを感じていた。


《それでも…》


 ジョットの唇が動く。

 視界が暗くなり、すっと指の先が冷えた。

 幼馴染みの言葉に、愕然とした。








《それでも、雨月以上に雨の守護者に相応しい者を思い付くことが……できないんだ》








 主要砦のひとつが落とされたと、本部に報告が入ったのはその翌日だった。





* * *





『それで、独断でここにきたってわけか』

『あぁ』


 火のついたタバコを口から離し、煙と共にはき出されたリナルドの言葉に、Gは頷いた。

 砦が落とされたという報告を聞いたとき、Gは心を決めた。

 少し頭を冷やしてくる、とだけ告げて本部を出た。ジョットは、何も言わなかった。


『お前もなかなかの自分勝手ぶりだがな。きっと今頃、ボンゴレ本部はパニックだろ』


 呆れたように言われ、Gは唇を噛んだ。

 供も連れず、一人でボンゴレを離れたGの行先は、誰にもわからない。ボスであるジョットでさえも知らない。

 懸念していたことをずばり指摘されて、一層きつく唇を噛み締めた。

 Gの思いつめた表情を見つめていたリナルドは、タバコを咥えたままふっと微笑んだ。


『まぁ、予言を欲しがっている理由はわかった。この戦争に勝つか否か…いや、雨の守護者に相応しい者は誰か…か?』


 その通りだ。

 ボンゴレの士気を高めるためにも、幹部を納得させるためにも、雨の守護者は必要だ。

 守護者を、納得いくように決めたいという気持ちはわかる。

 だが、断ってきた相手にいつまでも執着してどうする。 朝利 雨月がいいやつなのは知っている。けれど奴はボンゴレ入りを断り、日本での生活を選んだ。

 その結果、今ボンゴレが劣勢になっているが、それは奴の所為じゃない。わかっている。

 あぁくそ。頭ん中がぐちゃぐちゃしてきた。


 考えに沈んでいるうちに、どんどん表情が険しくなっていたらしい。

 タバコを床に捨て、踏み潰して火を消したリナルドが、笑いを堪えているかのように顔を歪ませて、Gの顔を覗き込んだ。


『おい、仏頂面すんなよ。ははっ、すっげぇ皺。眉間』


 すっと目の前に影が差して、Gは目を見開いた。

 Gの眉間の皺に向かって伸ばされる、リナルドの手。

 それを自覚した途端、全身の血が引いたような気がした。


 俺に触れようとしている……素手で!


『ま、待てっ!!』

『ッ!』 


 ほとんど反射に近い動きで、Gはリナルドの手を振り払った。

 驚いたように目を丸くしているリナルドの手を、Gは慌てて見る。

 やはり、素手だった。触ってしまった


『お前…素手で、俺に…』

『あ? …あぁ、そういうことか』


 不機嫌そうに首を傾げていたリナルドは、見ちゃいねぇよ、と苦笑して肩を竦めた。


『お察しの通り、俺はリリアーナから予言者の能力を受け継いでるぜ。だがな、俺とあいつじゃ、未来を見るための方法が違う』


 そう言って、目の前に翳された手のひらに、Gは気圧されたように息を呑んだ。

 ばさりと伸びた黒髪の、長い前髪から覗く灰色の瞳。

 不敵な笑みを浮かべる男は、リリアーナの能力を受け継いでいた。外見は少女のようだったリリアーナとリナルドは、瞳の色以外はまるで似ていないが、やはり親子だったのだなと頭の片隅で思った。

 リナルドが開いた手を、Gの眼前でひらひらと振る。


『その様子じゃリリアーナから、予言を見るには【素手で相手に触れる】必要があるって聞いていたみたいだな。だが俺はこの方法じゃ何も見えねぇよ。残念だったな』


 からかうような笑みを向けられて、Gは脱力した。


『そう…ゴホッ……そうか、よかった…』


 咳込んではじめて、自分が息を止めていたことに気づいた。

 首に冷たい汗が伝い、自分がそこまで緊張していたことに苦笑して、Gは顔を上げた。





 そして、戦慄した。





『なぁ、G……』


 リナルドから、表情が消えていた。

 まるで人形のようになってしまった顔は、作り物めいていたが、美しかった。

 同時に、恐ろしかった。

 灰色の瞳は、まっすぐGを映していた。薄い唇が動いたが、まるで頭の中に直接声をぶち込まれているような、そんな錯覚を起こした。


『お前、なんで今安心した?』


 ぞっと背中に悪寒が走ったと思ったら、足が払われた。

 一瞬のことで、受け身が追い付かず背中から床に叩きつけられた。

 ぐっと息が詰まった。次に左肩を襲った痛みに目を開けると、リナルドの足があった。

 リナルドは無表情だった。だが、痛いほどの殺気をGに向けていた。


『予言を欲しがっていたお前が、なぜ安心した顔をした? 返答次第で、お前の首を外にいる奴らにくれてやる。そしたら、ボンゴレも終わりだな…』


 自分を見下ろす灰色の瞳。

 それに、少女のような予言者の、柔らかい笑顔が重なって見えた。

 柔らかいが、どこか憂いを帯びた…リナルドの母親の顔。

 予言者・リナ。リリアーナ。



《G。貴方には、知っておいてほしいの。私達の予言の能力は、使う度に使用者の命を削る……寿命が、縮んでしまうの》








(なぜ、俺が知るべきことだったのか。それは俺にはわからない)