10万企画・記念小説 | ナノ


1years later side_Giotto


 夏、ボンゴレの演習場はとても暑い。

 じりじりと照りつける日差しを感じ、ジョットは暑さに耐えきれず上着を脱ぎ、ネクタイを外した。

 細身のシャツとスラックスだけになったが、頭に載せたボルサリーノはそのままだ。演習の責任者には行くことを伝えてあるが、他の構成員達にボスだと気づかれたくない。

 1年前に起こった大規模戦争が終結して、しばらく経った。守護者も6名全員決まり、ボンゴレはだいぶ落ち着いた。


『お、やっているな』


 足を止める。視線の先には、抗争や暴動を想定した演習の真っ最中の構成員達。本日の責任者から、演習を受けているのはボンゴレに入って3か月未満の新人ばかりだと聞いていた。

 汗だくになりながら演習をこなしている新人構成員達をに、思わず笑みが浮かぶ。新人担当の者が言っていた通り、今度の新人は動きが良いのが多い。

 担当によると、新人達は最初はそこまでいい人材ばかりとは思わなかったらしい。

 それが1か月を過ぎたあたりから変わったという。教育内容は変えていないらしいから、新人達の中に、周りに影響を与える人物がいるのだろう。

 金の卵はどこだろうと視線を泳がせているうちに、演習が終わり、チームが入れ替えられた。

 炎天下の中走り回らされた新人達が、ふらふらと木陰を目指して歩いてくる。

 ぜーぜーと肩で息をする新人達を見て、ふと懐かしくなる。ボンゴレがここまで巨大になる前は、ジョットと彼の右腕が演習の監督をやっていたりしたのだ。

 それがいつからか会議や書類仕事ばかり。今もジョットの右腕は、突然【管轄地避難訓練案】なるものを提案し、今度の会議で発表するための資料を作っているところだ。


『いいな。やりたいな…』

『止めといた方がいいぜ』


 ジョットは驚いて振り返った。ジョットの後ろの木陰、木に凭れ掛かるように男が座っていた。

 先ほどまで演習をしていた新人の一人だろう。頭に載せたタオルが、汗で濡れている。

 背後に誰かが来たのには気づいていたが、まさか話しかけてくるとは思わなかった。

 新人が顔を上げたが、タオルの所為で口元しかジョットには見えなかった。新人は荒い呼吸を繰り返しながらも、笑みの形に唇を歪めた。


『何でか知らねぇが、担当教官がやけに張り切ってやがる。このくそ暑いのに拷問かっつーんだよ』

『ははは…』


 乾いた笑いを洩らすジョットに、新人はタオルで頭をがしがしと拭きながら、シャツをバタバタとさせる。汗ではり付くのだろう。ところどころ色が変わっている。


『あんた、ボンゴレの幹部さんか?』


 突然話が変わり、一瞬ぎくりとしたが、すぐに苦笑を顔に貼り付かせる。


『いや、まだ幹部にはなれていない。今回の新人は有望な者が多いと聞いたんで、非番を利用して見に来た』

『はぁん』


 新人がにやりと笑った。ふと見ると、タオルの下、首に貼り付いた髪は黒だ。


『自分のところの部隊に、使えそうな奴がいれば唾つけておこうって話か』


 ジョットは一瞬目を丸くした後、悪戯っぽい笑顔を浮かべて首を振った。


『いや、今日来たのは俺のではなく、俺の…幼馴染みの部下によさそうな奴がいないか見に来た』

『幼馴染み?』


 あぁ、と頷いてジョットは目を細める。

 赤い髪と赤い目、顔の右側を這う刺青の、一見強面なジョットの幼馴染み。

 彼はジョットにとってなくてはならない存在で、大切な右腕だ。


『同じ時期にボンゴレに入った、とても有能な奴なんだが…なんでも自分でやってしまおうとする奴なんだ。部下に任せるということをほとんどしない。むしろ部下が手を拱いている仕事があれば自分でやってしまおうとする』

『ほぉ。そりゃあご苦労様なこった』


 皮肉を言われた。不思議と嫌な気持ちにはならなかったが、思わず苦笑いが浮かぶ。

 ジョットの幼馴染みは本当に有能で、部下も彼を尊敬している。だが彼が部下に任せても問題ない仕事まで自分でやってしまうことはよくないとジョットは思っていた。

 それを言うと、幼馴染みはこともなげにこう答えた。


《俺ができる限り仕事をこなせば、部下にはもっと経験になる仕事を回せたり、鍛練や勉強の時間を取ってやれたりするだろう。その方がボンゴレのためになる》


 間違ってはいない。間違ってはいないのだが、と溜め息が零れる。

 実際、できる限りのことと言いながら、幼馴染みはもう何年もオーバーワークだ。彼が頑丈であるのは認めるが、このままではいつか倒れてしまう。

 それを懸念しているのだと、言ってもきっと彼は聞かないだろう。


『だから俺は、あいつを傍で支えてやれる部下を探している。…そう、右腕のように』

『右腕、ねぇ…』


 笑い交じりに新人が言った。思い出し笑いでもしているのか、しばらく口を押えて前かがみになっていた新人は、すっと顔を上げてジョットを見た。

 タオルに隠された顔。唯一見える唇は薄く、繊月のような弧を描いている。


『あんたが望む、その幼馴染みの右腕の条件ってのはあるのか?』

『条件…』


 突然のことに面食らったが、顎に手をあてて考える。

 漠然と、右腕になれる構成員はいないかと思っていたが、確かにジョットの幼馴染みの、つまりはボンゴレのボスの右腕の右腕になれる者の条件はなんだろう。


 まず、肝が据わっていることが大事だな。あいつはよく怒鳴るし、一端のマフィアも震え上がるほどの迫力があるから、そういうのも涼しい顔して流せた方がいい。

 それから目端が利くやつがいいな。あいつはすぐ隠れて無理をするから、そういうのに気づいて諌めるか、それか先回りして仕事を片付けてしまうようなことができたらいいな。

 あぁ、当然のことだが戦闘の腕もないとな。それから…ちゃんとした敬語が使えるやつ、かな。最低限の礼儀さえあれば、ボンゴレにいる分は問題ないんだが、あいつは貴族や警察関係者と会うことがあるのに口調が荒いからなぁ。そこのところを指摘してやれると助かるな、うん。


 そこまで考えて、はたと気づく。見ると新人がタオルを被ったまま腹を抱えて笑っていた。

 考えるだけのつもりが、全部口に出していたらしい。しまった。喋り過ぎたな。


『すまない…。つまらない話を聞かせた』

『いや、かなり有意義な時間だったぜ』


 まだ腹を押さえながらにっと笑う新人の皮肉に、つい笑ってしまう。人懐こい印象はまったくないが、どこか人を惹き付ける男だ。


『お前、名前は…』

『リナさん』


 なんという?と続ける前に、後ろから声がかかった。

 振り向くとジョットとそう変わらない年齢と思われる、武骨な顔立ちの青年が立っていた。タオルを被った男と同じ新人なのだろう。ぜーぜーと肩で息をしている。


『教官が呼んでいます。リナさん』

『へいへい』


 リナと呼ばれたタオルを被った新人が気怠そうに返事をする。すらりと長い手足を伸ばすように立ち上がる様子を見ていると、武骨な新人の顔がすっとジョットに向けられた。


『ティート様、ですか?』

『あ、ああ』


 偽名で呼ばれて少し驚いたが、武骨な新人は気にした様子もなく演習場の入り口の方を手で示した。


『責任者の人があと数分で到着するそうなので待っててください、と教官が』

『そうか。ありがとう』


 いえ、と呟く武骨な新人に笑みを向けると、すっと真横をタオルを被った新人が通った。風にはためいたタオルが、ジョットの頬を軽く撫でた。


『すまなかったな。休憩中に相手をさせてしまって』


 武骨な新人の肩を叩く、タオルを被ったままのその飄々とした背中にジョットは声をかけた。

 タオルの下の黒髪は首の後ろで切り揃えられ、未だ汗に濡れていた。

 新人はくるりと体ごと振り返ると、大袈裟な所作で深々と頭を下げて礼を取った。


『貴重なお話を聞かせていただいて、光栄です。ボス』

『なっ…』


 ジョットは一瞬言葉に詰まったが、タオルの下から初めて見えた新人の、灰色の瞳が悪戯っぽく光っていたので、冗談だろうと思うことにした。

 ジョットは苦笑して踵を返す。新人の礼はまるで完璧とは言えなかったが、研磨途中の原石を見ているような、そんな美しさを感じた。

 これから来るという演習場責任者に会うために歩みを進めながら、思う。

 タオルでほとんど顔は見えなかったが、あの繊月のような唇と、灰色の瞳は強く印象に残った。


『なんで、あんなことまで話してしまったんだろうな』


 呟いてすぐ、まぁいいかと思う。

 幼馴染みで、右腕でもある男から、お前の勘は信用していいと言われているから、そうすることにした。

 ジョットとしては、勘が必ず当たるなんてありえないと思っているが、今回は違った。

 あの新人と話をしたことは、きっと悪くない。そう思えた。





* * *





『ティート様、ねぇ…』

『? どうしたんだ? リナさん』


 隣を歩く新人・タノが不思議そうに首を傾げたので、なんでもねぇよ、と肩を竦めて見せる。

 深く被ったボルサリーノの下に、輝く濃い金髪。

 幼馴染みの右腕になれる者を探しているという男が発した、言葉の全部を頭の中で反芻する。








『そういうのも、いいかもしれねぇな』








 演習場に舞い降りたボスは、期せずして一人の新人に道を示した。

 新人が再びボスと相見えるのは、これから1年の後。








(敬語が一番の難関…か?)





※ティート【Tito】…【Giotto】の最初と最後を取ってアナグラム