警備班長の事情 | ナノ


警備班長、手本


 窓の鍵が掛かっていなかったことに驚いた。

 これは本人に注意しなければならない、と溜め息をついて窓を引き開ける。

 微かに軋んだ窓の音に、ベッドに腰掛けていた人物が驚いたように立ち上がる。

 目が合った瞬間、彼女は慌てたように駆け寄ってくる。


『リナルドさん。どうしたの?』

『夜分に申し訳ございません、なまえ様』


 窓枠に両手両足を掛けた状態から、片手だけで礼を取る。

 かなり滑稽な姿だと思ったが、部屋着姿のなまえ様は気にした様子もなくふわりと微笑んでこんばんは、と頭を下げた。

 袖口から覗く包帯に目を向けると、なまえ様は視線に気づいて両の眉を下げた。


『なまえ様。無礼は承知で申し上げますが、部屋に入れていただけますでしょうか?今見つかると私が撃ち殺されてしまいます』

『えぇ!?と、とにかくどうぞ』

『ありがとうございます』


 許可を得て、部屋に下りて窓を閉める。外の音を聞き、誰にも気づかれた様子がないことを確認する。

 その様子を見ていたなまえ様が、くすくすと笑い声を零す。


『なんか、本当に見つかるといけないみたいね』

『なまえ様がこの屋敷に来られた時に、なまえ様の部屋に窓から侵入する者がいたらたとえ守護者様であろうとも撃ち殺すようにと言われています』

『えええー…』


 呆れたと言わんばかりの表情を浮かべるなまえ様だが、命じたボスとG様は至って真面目だ。

 尤も、今は真夜中。しかもとっくに警備を交代して帰ったはずの自分がこの部屋にいる時点で、見つかれば殺される。きっと。



 お茶でも淹れようか、というなまえ様を手で制して、ソファに座るよう促す。

 彼女は今日一日がとても長く感じられたに違いない。

 ボスと街に出掛け、ヴォルパイヤファミリーに襲われて怪我をし、ボスに救われ…そして殴られた。

 きっと疲れているだろうと思うと、ここに来てしまったことに対する後悔の念が頭をもたげる。



 だが、伝えなければいけないことがあった。



 ソファの傍の床に片膝をつき、不思議そうに小首を傾げているなまえ様を見上げる。


『なまえ様。ボスが、ヴォルパイヤファミリーを殲滅致しました』

『ッ! ………え?』


 ひくっと喉が鳴る音が、聞こえた。
 マホガニーの瞳は、目が見開かれた後すぐに悲しげな色を帯びた。

 声は出なかったが花びらのような口元が《ヴォルパイヤ…》と紡いだのがわかった。

 無意識なのだろう、クッションを握り締める手に向かって自分の手を伸ばしそうになって、堪える。

 怖がらせたいわけでも、不安にさせたいわけでもない。

 それでも、自分が今、なまえ様を慰めるわけにはいかない。

 唇を一度きつく噛んで、下がりかけた顔を上げる。


『なまえ様』


 自分の口から出た彼女の名前が、予想以上に大きく部屋に響いて驚いた。

 再び下がりかけた顔を、傲然と見えるように勢いよく上げる。


『ボスと、守護者様の傍に…いえ、ボンゴレにいる限り、今日起こったようなことはこれからも起こります』


 ヴォルパイヤはほとんどチンピラだが、マフィアであることは間違いなかった。

 そして、ボンゴレの敵となるマフィアは…本物のマフィアは、ヴォルパイヤなど足元にも及ばない。


『なまえ様が敵マフィアに狙われれば、ボスは、守護者様は全力で貴女を守るでしょう。ボスや守護者様に敵う者などいようはずがございませんが、ボンゴレの敵になるようなマフィアは…手段を選びません』


 なまえ様の体がびくりと震えた。

 ああ。彼女にとって酷なことを言った。

 握り込んだ掌に爪が喰い込む。



 彼女に何をして欲しいわけじゃない。

 ボンゴレを去ればいいと考えているわけじゃない。そんなこと考えるわけがない。

 なまえ様にはここにいて欲しい。否、彼女はいるべきなのだ。

 いて欲しいと思うからこそ、ボンゴレに属するということがどういうことなのかを、知っておいて欲しかった。





『一週間…時間をもらったけれど……』

『なまえ、様…?』


 ソファから降りたなまえ様が、目の前にしゃがみ込んでいる。

 向かい合わせになるように座ったなまえ様に、優しく手を取られ、握り込んだ指を開かせられる。

 考えたいことがある、と一週間の謹慎の間一歩も部屋から出ないことを決めたなまえ様の、伏せた目を縁取る睫毛が美しかった。


『私の決断の、根本的な部分は…ほとんど決まっているの』


 微苦笑したなまえ様は、紫色に変色した爪痕を、血を通わせようとするように緩やかに指で撫でた。


『でも、たくさんのことを考えてしまうの。もっと迷惑をかけないかな、とか。親切にしてくれる人達が犠牲になったりしないかな、とか。こんなに弱くて…甘い私が、我侭を言っていいのかな、とか』


 なまえ様が言葉を紡ぐと、ボスや守護者様の顔、ボンゴレ管轄地の店の人々の顔が頭の中を過ぎっていった。



 叫んでいいだろうかと、思った。

 ボスや、守護者様の手は煩わせない。

 自分が命を懸けて…どんな危険からも守ってみせるから。

 だから…


『なまえさ…『リナルドさん』

『は、なんでしょう?』


 なまえ様が意図したわけではないだろうが、遮られて安堵した。

 何を勝手なことを言おうとしていたんだ。

 警備班長である前に、俺はG様の部下だろう。


 床に膝をついたなまえ様に、手をぎゅっと握られる。

 端から見たら、どんな光景なんだろう。

 真夜中に、ソファがあるのにそれに座らず、床に直接膝をついて向かい合わせになっている、なまえ様と…自分。


『私、強くなれるかな?』

『なまえ様…』


 真摯な視線に、射抜かれたような気持ちになる。


『ジョットに迷惑をかけないように、自分の身は自分で守れるように、ボンゴレとして…生きていけるように』





 そうだった。

 この人は、こういう人なのだ。





『私はジョットに拾われなかったら…この世界に居場所がなかったの。一生、感謝してもしきれない』


 我侭かもしれないけど、ボンゴレにいたい。ボンゴレで…彼に恩返しがしたい。

 強くなって、迷惑をかけないようにするって言えば、ジョットは許してくれるかな。



 そう言って泣きそうに微笑むなまえ様に、自分が言えることはひとつだけだ。


『マフィアになり、ボスの傍にいるということは並大抵のことではありません。見たくもないものを見ることも、失いたくない人を失うこともある。……一週間、悩んでください。それでもお気持ちが変わらなければ…』


 なまえ様を立たせて、戸惑う彼女に笑顔を向けて、右手を取る。








 この時の彼女の手を…爪の形まで全て覚えよう。








警備班長、手本





 一週間後、彼女はボスの手に初めてのキスをする。