警備班長の事情 | ナノ


警備班長、流水


 ボスが出てくるまでの間に、空は赤くなり、雲が出て、雨が降り出した。

 随分と長い時間が経ったように思えたが、実際は20分程度だったのだろう。

 それでも、たった数人を殺して出てくるまでの時間としては長すぎた。


『リナルド』


 声をかけられて、慌てて傘を手に立ち上がる。

 玄関から出てきたボスは、降っているのかすぐにはわからないほど細かい雨に、今気付いたとばかりに上を見上げた。


『ボス、いかがされましたか?』


 遅かったですねと言外に滲ませると、ボスはうん、と困ったように眉を下げる。


『この格好では帰れないから、服を借りようと思ったんだが…使えそうなものは見つからなかった』


 使えそうな…つまり今のボスのように血が滲み込んでいない服ということだろう。

 軽く息を吐いて、傘を開く。

 短い会話の間に、雨足は急速に強まり、水の粒はどんどん大きくなって地面を叩いていた。


『チンピラ風情の服など、ボスが着るものではありません。着替えは用意してありますのであちらへ』


 示した手の先にある二頭立ての箱馬車を見て、ボスは目を丸くした。

 ボスと自分が乗ってきた馬が、鬣についた雨粒を振り払うように首を揺らしている。

 ふ、と苦笑したボスはそのまま歩き出す。玄関の屋根から出ると、大粒の雨が容赦なく降り注いだ。


『ボスッ!』

『少し歩く。傘はいらない』


 ズボンの裾に泥が跳ねるのも構わず歩いて行くボスに、思わず溜め息が零れる。

 馬車の手綱を取り、馬に歩くよう促しながら、一定の距離を保ってゆっくりと進む。

 声をかけるのは躊躇われる雰囲気だったが、今伝えなくてはいけない、と思い直してボスの背中に声をかける。


『ボンゴレの処理班には連絡済です。報告書は後程G様にお渡ししておきます』

『ああ。頼む…』

『それと、アジト内にあった死体ですが。私が入ってきた時点で生きていたものを含め、ボスが街で倒された2名以外、ヴォルパイヤファミリー全ての人間を確認しました』

『そうか…。ありがとう』


 雨が目頭のすぐ横を叩く。固めていた髪型は崩れ、前髪が額に貼り付いた。

 ボスの歩いた場所に視線を落とすと、泥水に混じった赤い色。

 体温がどんどん奪われていくが、この雨がボスの返り血を流してくれるなら、それもいいかもしれない。

『リナルド』

『はっ…ッ!』


 下を向いてぼうっと歩いていたから驚いた。いつの間にか、ボスが立ち止まってこちらに顔を向けていた。

 ボスを汚していた血はほとんど流れ落ちていた。

 端正な顔とオレンジ色の瞳、雨を吸っていつもより濃く見える金髪。

 ボスはこちらをまじまじと見て、ははっと笑い声を上げる。


『リナルドは、髪が降りていると男前だな』

『は?』

『はははっ。いや、うん、イメージが変わる』

『左様で…ございますか?』


 べたりとはりついてうっとうしい前髪を摘まむと、ボスはくすくす笑いながら隣に並ぶ。

 思わず一歩退がろうとすると、視線で止められた。

 仕方なくボスと並んで、同じ速度を保って歩いていると、ボスが長く息を吐く。


『なまえには、会ったか?』

『誰もなまえ様には近づくな、とボスが言ったと聞いております』

『あぁ…そう、言ったな』


 自嘲するボスの声を聞き、棘を含んだ言葉を吐いてしまった自分を恥じる。


『申し訳、ありません…』

『いや、気にするな。あの時は頭に血が昇っていたんだ』

『やはり、ヴォルパイヤはなまえ様に手を出したのですね…』

『あぁ。……俺は、何も話していなかったな』

『そうですね。まぁ、そのような気はしておりました』


 G様もそうだと思います、と告げると、ボスは静かに苦笑した。


『Gの傍に、お前のような男が付いていてくれてよかった』

『そうお思いになるなら、G様に心配をかける行動は取らないでください』

『善処する』


 ふふっと微笑むボスから自分の顔が見えないよう、引いている馬車の方を見るふりをする。



 思わぬ褒め言葉を頂戴してしまった。



 とっくに冷え切ったはずの頬に熱が戻ってくる。

 前髪に手をやり、強めに握ると、吸い込んだ雨水が手の中に溢れる。



 あぁ、このままこうしていては、無事に連れ戻すというG様の命が完遂できない。








『ボス、お願いがあるのですが、聞いていただけますか?』

『ん。なんだ?』





 雨でけぶる視界の中、重力に従った金髪の、いつもより若く見えるボスに、前髪をかき上げながら至極真面目な顔を向ける。








警備班長、流水





 そろそろ馬車に乗って、着替えてください。