警備班長の事情 | ナノ


警備班長、非番


《リナルドさん。昨日ね2階の廊下に三カ所穴が開いちゃったから、巡回の際に気を付けてほしいんだけど……どうしてそんな驚いてるの?》

《なまえ様…いつのまにイタリア語が話せるようになったのですか?》

《へへーんっ。勉強したんです》








 ふ、と零れ落ちた思い出し笑いを慌てて引き締める。

 久しぶりの非番で街に出たはいいが、結局行き着いた先はボンゴレ管轄地。関係者だらけのこの場所で、一人にやついているのを見られるわけにはいかない。


『おっと、いけない』


 目的の店の前を通り過ぎそうになって、足を止める。

 ボンゴレ御用達の酒場のドアを押し開けると、まだ日が落ち切る前にも関わらず席はほとんど埋まっていた。

 がやがやと騒ぐ声を聞きながら席と席の合間を縫って奥へと進む。


『おい、そういえばお前ってボスのお屋敷に郵便届けに行ってんだよなぁ』


 やけに大きく響いた声の方向に静かに顔を向けると、顔を真っ赤にした男が、少年の肩を抱いている。

 空いた席に滑り込み、横を通り過ぎようとした店員を捕まえてビールを注文する。出世して高いワインの味を覚えても、安いビールが堪らなく飲みたくなることもある。

 少年の周りを囲む数人の男達は、ビールを喉に流し込みながら下卑た笑い声を上げる。


『お屋敷にゃあボスが引き取った外国人の女がいるんだろう?どんな女なんだよ?』

『どんなって…なまえ様はとてもお優しくて、綺麗な方です』


 少年は、好きでもないのだろうとっくに泡の消えたビールのジョッキを握り締めている。

 切り揃えられた淡い金髪と、幼い顔立ち。何度か見たことがある、ボスと守護者への手紙を届ける郵便係だ。当然、なまえ様との面識もあるだろう。


『ボスはまだ若ぇが女の陰がまるで見えなかったからなぁ、どんな女を囲ってるのか気になるよなぁ』

『だが外国人の女とは、ボスもなかなか酔狂だぜ』

『きっとイタリア女は飽きちまったに違いねぇ』

『なぁファビ、その外国人女は出世に使えそうか?』


 彼らの中で一番毛深い男が、酒の所為で充血した目をぎらりと光らせた。

 ファビと呼ばれた郵便係の少年はびくりと顔を上げた。

 何を言われたのかわからないといったその表情に、男は焦れたように声を大きくする。


『その女に気に入られれば、幹部に取り立ててもらえるようボスに頼ませるってことができるだろ』


 
その言葉に、周りの男がどっと沸く。


『そりゃあいい!寝室での頼み事を聞いてこそ男の甲斐性ってやつだものなぁ』

『屋敷に置くくらい気に入ってる女なんだろう』

『ちょいとベッドでおねだりしてくれりゃあ出世なんてすぐに…』



 少し、調子に乗りすぎだな。


 そう思って立ち上がろうと椅子を引いた瞬間、『止めてください!』と高い声が響き渡った。

 酒場がしんとするなか、ジョッキをテーブルに叩きつけて立ち上がった少年が、きっと男達を睨みつける。


『見たこともないボスの恋人を想像したくなるのはわかります』


 搾り出すように発せられた声は、震えてはいるがはっきりとした怒りの感情が込められていた。


『下世話な想像をするのも仕方ないでしょう。こんな場所ですし、そこまでどうこう言うつもりもありません』


 今にも泣きそうに見開かれた目を見て、初めて少年の瞳が鮮やかなブルーであることに気づく。

 少年・ファビは金髪を乱して、腕を大きく振った。


『ですがっ、ですが言っていいことと悪いことがあります!我々のボスは、ボンゴレプリーモは、女性に頼まれただけで幹部を決めるような人ではないし、そんなことを寝室で頼むような女性を傍に置く人でもありません!我々部下の立場である者がボスとなまえ様を汚すようなことを言うのは許されません!』

『その通りだな』


 低い、それでいてよく通る声が響き渡り、全員が驚いて周りをきょろきょろと見渡した。

 それが面白くて、笑いながら立ち上がる。つい彼らの話に気を取られて、この酒場に入った目的を忘れてしまっていた。

 厨房近くの、一番隅の席に座っている人物に近寄り、静かに礼をとる。


『お迎えにあがりました。G様』

『G様ッ!?』

『なにっ、G様!?』


 あちこちのテーブルから、エコーのように声が上がる。

 テーブルに頬杖をつき、ジョッキを傾けていた、赤い髪を帽子で隠した我が上司は驚いたように眉を跳ね上げた。


『リナルド、お前は今日非番だろう』

『G様が消えて見つからないと部下に泣きつかれましたもので。こんな格好で申し訳ありません』


 G様は自分のネクタイをしていない姿を面白そうに見上げて、すっと立ち上がった。


『悪かったな。プリーモがここのピッツァが食べたくなったと言うもんでな』

『なまえ様に作ってもらえばよろしいものを…』


 呆れていると、G様はくつくつと笑って、厨房から出てきた料理人から包みを受け取った。


『なまえに、食べさせたいんだと』

『なるほど』


 納得して頷いた自分に笑みを返したG様は、凍りついたように固まっている男達を見渡した後、未だ泣きそうな顔のまま固まっているファビの前まで移動する。


『名前は?』

『ふぁっ、ファビオですっ!』


 裏返った声に本人は青ざめ、G様はおかしそうに笑う。

 誰もが信じられないといった表情でG様の赤い髪を、左頬から首まで伸びる刺青を凝視していた。

 彼らの中に、ボンゴレの右腕をこれほど間近で見た者は果たして何人いるのやら…。


『ファビオ。お前は甘いものは好きか?』


 思ってもみなかった質問だったのだろう。ファビオの口が『は?』の形に動いたが、少年は慌ててこくこくと頷いた。


『そりゃよかった。なまえがこの前急な雨が降った日に、洗濯物を取り込むのを手伝ってくれた郵便係に礼をしたいと言ってたんでな』


 それを聞いて、少年の頬がどんどん紅潮して行く。

 自分もなまえ様から聞いた覚えがある。ずぶ濡れになって手伝ってくれたのに、タオルを渡す間もなく帰ってしまったと、心配していた。


『俺が許可する。なまえに礼をすると言われた時、絶対に断るな』

『は、はいっ!』

『行くぞ。リナルド』


 G様はファビオの肩をひとつ叩いて、店の扉に手をかけて思い出したように振り向いた。





『俺の言いたいことはファビオが言ってくれた。だから何を咎めると言うこともしない。お前達のボンゴレとしての誇りを信じている』





 邪魔して悪かったな。今日は俺の奢りだ。好きなだけ飲め。

 そう言って出ていくG様の言葉を、店の者が聞いていたことを確認し、自分も店を出る。

 数テンポ遅れて酒場で沸き上がった歓声を聞きながら、G様の背中を追いかける。





 早く屋敷に送らなくては、ボスとなまえ様のピッツァが冷めてしまう。








警備班長、非番





 ボンゴレの若い芽にも、確かな誇りがあった。