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またいた。 「おかえりぃー鈴。今夜も酒が美味いぞー」 にこにこと笑う男に、一瞬半眼になりかけた鈴は慌てて表情を元に戻した。相手は隊長各(たぶん)、礼儀正しくすると約束した。 またしても鈴の部屋に勝手に入った銀髪の男は、前と同じように月明かりを浴びながら杯に口をつけていた。着流しも、前と同じ桜鼠だ。 男の目が月に向けられているのを確認してから、着替えるために襖を半分だけ閉める。 小袖と袴を脱ぎ、寝間着にしている藍色の浴衣を手早く身に着けながら、鈴は夜風に揺れる銀髪に目を向ける。月明かりを反射するそれはどこか硬質な印象で、触ってみたくなる。 「鈴、聞こえたか?」 「へ? あ、いえ、何でしょう?」 突然声をかけられた。驚いたあまり素っ頓狂な声が出る。男の目は月に向けられたまま動いていなかったから。 「なんで敬語? 拙の名前、聞こえたか?」 ことりと首を傾げて、男が振り返る。銀灰色の瞳とまともに目が合った。 銀髪を眺めている間に、自己紹介してくれていたらしい。しまった。聞き逃した。 腰を折って頭を下げる。90度。 「申し訳ありません。聞いておりませんでした」 「だからなんで敬語? なにその低姿勢? んー、まぁいいか。拙は、遊銀(ゆうぎん)だ」 今度は聞こえたか?と問われて、鈴は頷いた。 「遊銀…隊長?」 「なんで隊長? というか鈴はいつまで突っ立っているんだ? こっちにおいでおいで」 「いやだからここは自分の部屋です」 手招きする遊銀に突っ込んでしまって鈴ははっと口を押さえたが、もう止めた。なんかもういいような気がした。隊長だろうがなんだろうが、勝手に人の部屋に入って勝手に人の酒を飲むような男に礼儀正しくを徹底する必要はないだろう。 そう割り切って、招かれるままに遊銀の隣に正座すると空の杯が差し出された。なみなみと注がれた酒を一気に飲み干す。遠慮はない。自分の酒だ。 「鈴。もう一杯飲んだら、出て行きな」 「はぁ……はぁっ?」 とくとくとくと杯に酒が満ちるのを見ていて、反応が遅れた。 驚く鈴に反し、言った張本人は涼しい顔のままだ。美味そうに酒を飲む。鈴の酒を。 「鈴ー…悩んでいるだろう。拙はここにいて、鈴の話を聞いてあげられるけどそれだけだ」 またしても見抜かれた。 驚きに突っ込む言葉をなくした鈴を気にした様子もなく、遊銀は続ける。 「拙の意見は偏っている。言えば鈴を丸め込め…違う、納得させることはできるけど、それは君のためにはならない。うん、ならない」 自分自身を納得させるかのように数度頷いて、遊銀は笑って鈴の手を取り、杯を口に近づけさせた。唇に冷たい杯が触れ、酒が口内に流れ込む。こくり、こくり、飲み干す。 「部屋の外に出てみるといいよ。きっと誰かいる。こんなに月が綺麗なのだから」 さぁ、お行き。柔らかい声に促されて思わず腰を上げたが、止まる。中途半端な体勢で動かなくなった鈴を、銀灰色の瞳が不思議そうに見た。 「自分が出て行ったら、また貴方は消えるのですか?」 ほとんど何も考えていなかった。口から出た言葉が不安の色を帯びていて、鈴自身も驚いたほどだ。 丸くなった銀灰色の目の持ち主は、自分が少し目を離したら消えてしまうと鈴は気づいていた。唐突に現れるのも同じように。 隊長各というのはそんなものなのかもしれない。鈴は思わず唇を噛んだ。隊長各を部屋に引き留めようなんて、無礼どころの話じゃない。 だめだ。今日の自分はなんかおかしい。 「申し訳ありません。失礼を…」 「拙はここで待っているよ」 遮って言われた言葉に弾かれたように顔を上げる。遊銀は、笑っていた。 夜風にそよぐ銀髪、柔らかく細められた銀灰色の瞳、けぶる桜鼠の着流し。月明かりがよく似合う男だ。 「鈴が帰ってくるまで、必ず待っているよ」 ひどく優しい声音に、安心した。思わず笑むと、嬉しそうに笑われた。 そういえば、彼の前で笑ったのは初めてだった。 (襖を閉めるまで、彼はこちらを見ていた) (それだけで気持ちが軽くなった。自分はこんなに単純だっただろうか) |
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