三つ華 見習い編 | ナノ


14


 一人の老人が、瀞霊廷の街を歩いていた。

 用事を済ませた帰りで、供を数人連れていた。街を少し歩きたいという老人の希望だった。

 まだ混む時間には早く、ゆっくりした足取りで街を歩いていた老人は、空気がぴり、と震えたのを感じて歩みを止めた。


「虚、か」


 老人が呟くと、彼の従者が同意を示した。

 その後ろに立つ護衛が、問うような目で老人を見たので、頷く。


「ここから遠くない。行って始末してやるといい」


 言うと同時に、護衛達はざっと音を立てて消えた。瀞霊廷の街中に虚が出るのは珍しい。それも朝に。

 もう少し散歩がしたかったが、早く帰るとするか…。


「あぶな


 すぐ近くで聞こえた声に顔を上げると、目の前に何かが見えた。


 いっ!」


 それが足だと認識するより前に、隣にいた従者が吹き飛んだ。


「なっ!?」


 老人は瞠目した。店が立ち並ぶ通りには数人の人が歩いているだけのはずだった。

 だが老人の目の前には、二足で立ち上がる虚。そんなものがいるはずなかった。音も、気配もしなかった。

 従者の呻き声が聞こえて振り返る。叩きつけられたのだろう壁にひびが入っていたが、生きているようだ。


 オオオォォッ!


 虚が雄叫びを上げる。老人は、従者を庇うように前に立つ。

 瞬間、虚の真上に影が差した。


「破道の三十三! 蒼火墜!」


 上から放たれた鬼道が虚に直撃する。先ほど聞こえたものと、同じ声だ。

 蒼い炎を受けた虚は叫び声を上げて顔を押さえ、一歩後ずさる。


「縛道の六十三! 鎖条鎖縛ッ!」


 再び声が響き、金色の鎖が虚に向かって伸びた。締め上げられた四肢が軋む音が聞こえる。


「早く!」


 鋭い声が飛び、我に返る。地面に降り立った声の主が厳しい表情でこちらを見ていた。

 ざっくりと短い黒髪の、少年期を抜けたばかりと思われる容貌の青年だ。虚の身体に巻き付いた鎖に手を向けたまま叫ぶ。


「自分はこれを斬れません! 早くとどめを!」


 老人はすらりと腰の刀を抜いた。目の前の虚は縛道により動くことができない。



 斬ることは造作もなかった。




* * *





「旦那様!」


 虚が塵となって消えたとき、護衛達が戻ってきた。膝をつき、老人に向かって頭を下げた。


「申し訳ありません。逃げ足の早い虚を追って遠くまで行ってしまい…」

「構わない。こちらに現れた虚は少し妙だった。それよりも怪我人を頼む」


 そう言って老人が振り返ると、倒れている従者と、その傍に座り込む青年が映った。

 淡紅藤の小袖と山鳩色の袴。よく見ると青年の右頬には黒の花の刺青がある。


「申し訳ありません。自分は治癒の鬼道はまだ未熟で…」

「大丈夫…大した怪我じゃない。君が、虚の攻撃を逸らしてくれたおかげだ。ありがとう」


 虚が攻撃する瞬間、青年が蹴りを入れたことで軌道がずれたことを思い出す。青年は、感謝の言葉に眉を下げて微笑んだ。

 従者が護衛に支えられて立ち上がるのを見届けて、老人は青年の方に向き直った。


「助けてもらったこと、感謝する。そなたの名前を知りたい」

「十崎 鈴と申します」


 鈴と名乗った青年は丁寧に頭を下げた。中性的だが、精悍な顔立ちの青年だ。


「十崎殿、本当に「鈴坊ーっ!」


 老人が再び感謝の言葉を述べようと口を開いたとき、大きな声がそれを遮った。

 手をぶんぶん振りながら走ってきたのは、髪に白いものが混じっている中年男だ。

 男は鈴の前で足を止めると、肩で息をしながら額に浮いた汗を拭った。


「急に走り出すから驚いたよ。ほら、金だけもらって商品を渡さないわけにはいかんからな」


 そう言って差し出された包みを、鈴は薄く微笑んで受け取った。


「すいません。嫌な気配がしたのでつい…。ありがとうございました」

「いいんだよ。これからも贔屓にしておくれ」


 笑みを浮かべて男が踵を返す。そのとき、老人は男が付けている前掛けに目を留めた。

 この街ではなかなか有名な茶屋の名前が書かれてあった。確かに茶葉や菓子を買って帰ることもできたはず。

 だが、その店はここからは離れていたはずだ。


「十崎殿、君は彼の茶屋で虚の気配に気づき、ここまで走ってきたのかね?」

「はい。といってもそれが虚だとは思っていませんでした。実物の虚を見たのは…初めてだったので」


 老人は目を見開いた。自分が目の前に現れるまで気づかなかった虚の気配に、鈴は気づいた。気づいて、遠く離れた茶屋からここまで走ってきた。

 虚を見るのは初めてだと言う青年は破道と縛道を使い、自分に虚は斬れないと言った。


「旦那様。御車の用意ができました」


 護衛の言葉に頷いて、老人はすっと視線を鈴に向ける。


「君ともう少し話がしたい。よければ、我が邸に来てくれないか?」

「え、いやでも自分はお使いの最中で…隊舎に戻らないと」

「隊舎というのは護挺十三隊かね?」


 こくりと頷いた青年に、老人は目を細めて停まっている車へと促した。


「十三隊には少し顔がきく。私のために時間を作ってもらえるよう使いをだそう」

「え?」


 驚いたように目を丸くする鈴に、老人は顔を向けた。





「申し遅れた。私の名は朽木 銀嶺という」






 昔、護挺十三隊で隊長をしていたこともあったのだよ、と老人は笑った。








(綾瀬川、朽木家から連絡があった。鈴を預かってるそうだ。晩飯までには帰すとさ)

(何で鈴についての連絡が十一番隊じゃなくて阿近さんの方に来るのさ)

(いやそこよりまず朽木家に突っ込めよ)







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