花売り娘のprimo amore | ナノ




 そして花売り娘は今日も花と共に









 ボスが、すごく悲しい顔をしている。

 眉が少し下がっただけだけれど、それがわかってしまって決意が揺らぎそうになる。

 そんな顔をしないで、ボス。私には未来が見えてしまったの。

 このまま貴方に甘えていけば、私は花売り娘ですらいられなくなる。

 貴方に溺れて、息ができなくなってしまう。

 貴方は優しいから、それでも許してくれるかもしれないけれど。

 私は貴方に人生を背負って欲しいわけじゃない。


「いつになるかわからないけど。私には花しかないけれど。きっと、会いに行くから」


 自分が生きていくために、家族を守るために働く。

 私はそんなこともわかっていなかったの。

 子どもだって甘えていた。父や母の所為にして、逃げていた。

 いつまでも子どもでいられるわけがないのに。


「ボス。その花は…勿忘草」

「わすれなぐさ…」


 ボスがはっとして青い花たちを見る。

 ボスですら抱えきれない、たくさんの勿忘草。





《私を忘れないで》





 ああ、なんて我侭な私。

 こんなに素敵なボスに、なんて無茶を言うんだろう。

 でもいつかまた会いたい。

 私はちゃんとした大人になるから。

 ただの子どもの花売り娘じゃなくて、家族を養うことができる人間になってみせるから。

 だから…


「花売り娘。俺もお前に感謝しているんだ」


 紡がれた言葉に驚く。

 奪われた花束の花言葉が甦る。


 優しい声と、頭に置かれた手。私…いつの間に下を向いていたんだろう。

 うん。仕方ないよね。つい向いてしまうんだ。

 その手に撫でて欲しいがために。


 ボスに、届いたんだ…。





「誕生日プレゼントをありがとう。…お前に会えて、よかった」





 それは私のセリフだよボス。










 私の初恋が貴方で、本当によかった。





* * *





「父さん!今日はバター使わない日だって言ったでしょ!」

「そーぉだったかなぁ?」

「かなぁ?じゃないの!ジャムで我慢して。今日はバラが大量に届くから、畑の方はお願いね」

「それはいいが。なぁ花売り娘。畑を買った金…本当に借金じゃないんだろうな?」


 パンにジャムを塗りながら心配そうな顔を浮かべる父に、花売り娘は笑顔を向ける。まだ酒は完全には止められていないが、父の顔色はとてもよくなっていた。


「むかつく花泥棒からもらったの。叩き返そうかとも思ったけど、それもむかつくから使ってやったの」

「花泥棒って…金を払ったなら泥棒じゃないんじゃないのか?」

「いいの!」


 いーっと歯を見せて言い返すと、玄関からノック音と共に郵便配達人の声が聞こえてきた。

 慌てて玄関へと向かうと、配達人の青年がいつもと同じ笑顔を浮かべて立っていた。


「おはよう花売り娘ちゃん。届け物だよ」

「おはようございます!バラですよね?ここじゃなくて裏に…」

「え?花だけどバラじゃないよ」


 思っても見ない言葉にえ?と首を傾げると、郵便配達の青年は荷台から花束を持ってきた。



 渡されたのは薄い紫色の、小ぶりの菊のような花の花束。


「紫苑の花…」





《君を忘れない》




 もう癖のように、一瞬で浮かんだ花言葉。

 小さな花束を持つ手が、小刻みに震えた。


「あ、ごめん。一つじゃなかったんだった」

「え?」


 再び青年が荷台から戻ると、今度は赤みがかった上品な紫色の、アネモネの花束。





《あなたを信じて待つ》





「ッ!」

「どうしたの?花売り娘ちゃん」


 怪訝そうな配達人の青年に、目尻に浮かんだ涙を拭いながら笑顔を向ける。


「ううん、なんでもないの」

「そう?あ、これカードね」

「カード?」


 白に近い薄い水色の、綺麗なカードが差し出される。

 文字の勉強はまだ始めたばかりで、読めないのにと思いながらも二つ折りのそれを開く。

 現れたのは、流れるような綺麗な字で一言。


「G、i、o、t、t、o…?」

「珍しいよね。名前しか書いてないカードなんて」


 何の気なしに言われた言葉に、びくりと反応する。心臓が激しく、暴れるように鳴り出した。


「名、前…?」

「そう。ジョットって読むんだって。そう伝えてくれってさ」





 誰から、なんて訊く必要はなかった。





 溢れる涙。今でも鮮明に思い出せる、あたたかい手の感触。金色の髪。オレンジの瞳。優しい声。貴方に贈った全ての花。貴方からもらった、2つの花束。










「ボス…。…ジョット。ジョット…ッ」










《お前を忘れない》





《お前を信じて、待っている》










花売り娘のprimo amore  …fin



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