小説 | ナノ



働きますともボスですから








 重い窯の蓋を開けると、熱気と共に甘く香ばしい香りが溢れ出た。

 店主が専用のミトンをはめた手で天板を掴んで取り出すと、こんがりと焼けたショートブレッドが並んでいた。

 まだ開店前の店の中には、バターをたっぷり練り込んだロールパンやクロワッサン、ビスコッティ等いろんな種類のパンが並び始めている。


『なぁなまえ。気持ちは変わらないのか?』


 真鍮のレジスターが置かれたカウンターに肘をついて、ジョットは幼馴染であり恋人でもあるなまえに問いかける。まだ朝早いが、彼が店にくるのはいつもこの時間なのだ。

 白いコックスーツを着たなまえは、真面目な顔を作る恋人…金髪のマフィアのボスを見て眉を跳ね上げた。


『変わるわけないでしょう。いくら父さんが店は兄さんに譲るって遺言に残したからといっても、任せたりしたらあっという間に潰れちゃうもの』


 確かに…とジョットがガラスの向こうの厨房を眺めると、なまえと同じコックスーツを着た彼女の兄が、パン生地を練る手を止めてへらりとした笑顔浮かべた。

 父の急死により店を継ぐ決意をしたものの、勉学に明け暮れていた兄はまだパン作りの基礎を学んでいる途中といったレベルだ。

 さきほどのショートブレッドも、取り出したのは店主である彼だが、今店に並んでいるものを含めて、作ったのは幼少のころより店を手伝っていたなまえだ。

 その所為なのか、彼女はいつも甘い香りがする。


『だいたい、私はジョットのプロポーズを断ったわけじゃないわ。ボンゴレの本部なんて、そんな遠いところには住めないって言ったの』


 ここから本部までは馬車で一時間半、馬を飛ばせば30分といったところだろうか。遠距離恋愛というほど遠くはないが、頻繁には行き来できない。ジョットが仕事の合間を縫って店を訪れたのも、一週間ぶりだ。


『だから、本部近くの管轄地に店を建てればいいと言ったじゃないか。俺もこの店には思い入れがある。だからまるごと移築したっていい』


 そう言うと、なまえはやれやれというように肩をすくめた。


『何度も言わせないでよ。店はここを動かないわ』


 そう言ってジョットの顔を覗き込み、なまえはにこりと笑う。


『私は貴方のためにここにいるのよ。貴方がここで、初心に帰れるように』


 至近距離でそう言われ、ジョットは苦笑して店の外に顔を向ける。

 この街はジョットがGとなまえと共に過ごした場所だ。ここに住む人々を助けたくて、ジョットは自警団を…ボンゴレを設立した。

 今やマフィアという巨大組織になってしまったが、なまえに会いに行くという理由でここにくることで、変わらないこのパン屋だったり、住民の顔を見ることでボンゴレを創った…あのきっかけと、そのときの気持ちを思い出すことができる。

 視線を戻すと、どんな場所よりもどんなドレスよりも、白のコックスーツを着てパン屋にいる姿が似合う、可愛い恋人の笑顔があった。


『前も言ったけど、私はここに住むことにはこだわってないから。もちろん条件はあるけど』


 ジョットは口をへの字に曲げた。なまえが結婚後一緒に住む場所として指定したのが、ボンゴレ本部とこの街の中間地点だったのだ。

 そうすれば、結婚後も店に通えるから問題ないというなまえにジョットは喜んだのだが、街の名前を聞いて膨らんだ気持ちは一気に萎んだ。


『なまえ……だからあの街は…』


 ジョットは言葉を発しかけたが、にこにこ笑うなまえの笑顔に押されるように口を閉じた。

 なまえが指定した街はボンゴレではなく、現在一番の敵といえるマフィアが根城としている場所だ。そこにふたりで住めるのなら結婚する。恋人はジョットにそう言ったのだ。

 あの街に住むには、当然のことだが街ごと奪う以外に手はない。なかなか大きな街だから、奪うとなると戦争となる。

 いきなり戦争をしかけるわけにもいかない。もちろん潰すつもりのファミリーだが、一般人への被害を最小限に抑えるには念入りな準備と、緻密に組み込んだ作戦が必要だ。

 そしてその作業に今以上に時間をかけて行うには、それ以外の仕事も今以上に精力的にこなさなければならない。


『結婚の条件に敵ファミリーを潰せという女なんてお前くらいだぞ』


 苦笑いを浮かべながら、ジョットは『マフィアのボスの妻には相応しいじゃねぇか』と笑う右腕であるもうひとりの幼馴染の言葉を思い出した。


『誓いの言葉も指輪もいらないわ。そんなものを用意する暇があるなら、あのファミリーを潰して苦しめられている住民を救いなさい』


 ボンゴレでも、マフィアでもないパン屋の娘は、コックハットを脱ぎながら挑戦的に微笑んだ。

 昔から、遠慮のない幼馴染であるなまえの、この笑顔がジョットは好きだった。


『ジョット…貴方にキスをしてあげる。貴方がすぐに戻って仕事がしたくなるような、そんなキスをね』


 ネクタイを引っ張られ、カウンター越しに柔らかい唇を受ける。

 ジョットは情けない言葉を吐き出しそうになるのを、甘い、蕩けそうに甘いキスに応えることで抑え込んだ。


 こんなキスなら何時間だってしていたい。

 けれど、名実共になまえを手に入れ、このキス以上のことを望むには…今すぐ本部にとって返して、敵ファミリーを潰す策をより多く考えるしかないのだ。





『大好きよ、ジョット。さぁ、お土産を持って本部に帰るといいわ』

『まったく…お前は悪魔だな。…愛してるよ。なまえ』








 ボスが甘い香りをさせて戻ってきた。

 さあ行けボンゴレの勇士達よ。

 敵ファミリーの有益な情報を報告すれば、今ならボスの労いの笑顔だけでなく、バターたっぷりのロールパンをひとつ、頂戴できるかもしれない。








働きますとも恋人ですから








(プリーモ。例のファミリーの中でボンゴレに寝返りそうな幹部がいるという情報が入ったぜ)

(なんだと! さすがGだ。なまえのロールパン5つ分に値するぞ!)





* * *

50000打こっそりクイズ企画、二人目の正解者こころ様リクエストの短編です。
ジョット様お相手で日常甘です!に、にちじょうあま…?
そしてほのぼのがどっか行きました!冒頭のパンの部分くらいしかない…
ジョット様と幼馴染の恋人がプチ遠距離恋愛な日常にしようとしたんですが、なかなか強い恋人になってしまいました。
まぁ男女の幼馴染だったら女の子の方がお姉さんぶるからいいのかななんて思っています。
恋人から元気とパンをもらって仕事をしに帰るという、そんな日常になったかな、と…く、苦しいですかね?f^_^;
甘部分はカンキにしては甘っているはずなのですが、大丈夫でしょうか?
もしダメでしたら返品可ですので、こころ様ご連絡ください。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!



A2

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