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カエサルも跪ずく

硝子の玉に水が張られている。その中で赤やオレンジのハンカチーフのようなものが幾つもひらひらと揺れている。それは何年も前に離れた東の祖国で見慣れた魚だった。

「“キンギョ”というのだったか。お前の国の言葉では」

執務室の片隅のローテーブルに置かれた金魚鉢。ヴァレンタイン大統領はそれをしげしげと眺めるのに夢中な様子だった。あろうことかカーペットに膝をついて、服の裾がべったり付いてしまっている。側近のブラックモアやマイク・Oが見たらきっと大目玉を喰らうに違いない。
生憎私は我が国の大統領を注意するなんて畏れ多くてできない小心者のため、じっとその様子を見守るしかなかった。

大統領は日本文化に最近、ご興味を示されている。厳密には金魚は中国が発祥の地なのだが、まあるい金魚玉や金魚鉢に入れ鑑賞するという発想は日本独特の感性が生み出したものだ。昔は高級品だったそうだが、最近はペットブームが日本でも盛んになって大量に養殖され、露店などで売られるほどに身近に飼育されている。
それに乗じてわざわざ大統領は日本から取り寄せてきたそうだ。



出会った時から風変わりな方だと思っていた。
「黄色い猿」と呼ばれて差別される東洋からの移民の私を、大統領はなんの気もなしにいきなり刺客として迎え入れたのだから。

「人種?国籍?関係ない。その能力を我が国のために使ってくれさえすればな」

真剣そのものといった声で、いつだったかそう仰っていた。
大統領は社会、機構、組織などの人選において、個人の身分や地位や人種などに全く頓着しないお方であった。有能で自分の得になる人物であれば、貧民であろうと富豪であろうと、肌の色が白でも黒でも関係なく引き入れる。現に刺客として仕えている私以外の人達も人種や国籍、みんなバラバラだ。
風変わりな人だと言ったが、ヴァレンタイン大統領の御心に私は深く感謝している。人種や身分に関わらず、私を認めてくれたのは大統領一人だけだ。
…しかしやはり分からない。なぜよそ者の異国人や異国文化に、大統領はこんなにも寛大なのか。



「なぜ日本のものなどわざわざ愛でられるのです?」

アメリカよりずっと劣る島国だというのに。
無礼を承知で金魚を眺める大統領に聞いた。大統領は金魚鉢から目線を外し、こちらを見て口の端を少し緩ませ、優雅に微笑んだ。卑しい身分の私にはできない高貴な仕草だった。思わずどきりと心臓が高鳴る。

「“愛でる”という行為は、その対象を支配した…と、確信して初めてできるのだよ。そこに博愛だとか情は無い。あるのは“所有”という事実だけだ」


金魚は川に戻れば3日でフナに戻ると云う。だから硝子の中でしか金の鱗も、閃く鰭も、輝いてはいられない。
私は大統領がただ合理的かつ利己的に、この国のために私を所有しているだけだとしても、構わなかった。私も金魚鉢の中でしか煌めいていられない金魚と一緒だ。きっと大統領のお傍にいなければ、私はただの凡庸な東洋人でしかない。大統領だけが私の価値を見出し、私の才を充分にこのアメリカのために役立ててくださる。
この人でなければならない。この人だけしかいないのだ。

金魚の泳ぐ水は光を反射し、きらきらと光っていた。水草とポンプと石が積まれただけの小さな世界の眩しさに、私は目を細めた。
このままこの場所で微睡むように漂っていたい。洗剤や油を垂らされても、水が濁りきって腐ったとしても、私はきっと硝子玉から出ないだろう。水面に餌を撒く愛玩者が亡くなるその時まで、私はこの狭い世界で生きようと思った。



20150627

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