「やっぱり死ぬのが怖くなった」 二日前、店に来て剃刀ナイフを買っていった女子高生は泣きっ面でそう訴えてきた。刃物による失血死を担当している鬼鮫はその客のアフターサービスをしなければならなかった。 気絶させた女に猿轡をさせ、風呂の中に入れて手首の静脈を切らせる。 鬼鮫は溺死の担当職員でもあったため、失血死でもし死ななくとも失神して風呂に浸かり溺死になるよう二重に仕組んだ。 湯を並々張ったバスタブはみるみるうちに血液で真っ赤に染まり、女は青ざめた肌で白目を剥いて失血死した。 アカツキ自殺用品専門店で自殺用品を買った者は必ず自殺しなければならない。だから従業員自ら手を下して自殺のように見せかけ、殺すのだ。それが自殺用品店のアフターサービス。 何故そんなことをするのかといえば、非合法な店の秘密を外に漏らさない為である。死ななかった人間が自殺用品店のことを表沙汰に騒ぎ立てでもしたら非合法な店はまず営業停止になる。 だから必ず自殺させる。「死人に口無し」とはこのことだ。 * 「うわあ、相変わらず真っ赤っかな現場ですね」 「……やはりナマエですか」 振り向くと風呂場に女が立っていた。 店の店員の一人のナマエだ。「お客様相談係」を務める彼女はアフターサービスの際、必ず担当従業員の付き添いをしなければならない。従業員の殺しを手伝ったり、顧客が確実に死亡したかどうかを確認して上へ報告する為だ。 アカツキ自殺用品専門店において一番多忙な役回りであるといえる。 早速ナマエはバスタブに沈む女子高生の死体を注意深く見て、クリップボードに貼り付けた報告書に記していく。 「5月20日午後6時25分剃刀ナイフを購入された××××××様。5月23日〇〇市の自宅マンションの浴槽にて手首を切断し、失血死。担当店員は干柿鬼鮫。」 丸っこく癖のある字でそんなことを事細かに書き終えると、鬼鮫を見上げてにっこりと笑った。 「さすが鬼鮫さんですね。お仕事の処理が早くてわたしも報告書がささっと書けて助かります」 「それはどうも」 「デイダラさんとかサソリさんとか、お客様に長い芸術論を説いたりしてお仕事が遅いんで困ってしまいますよ」 わたしの身にもなってほしいものです。 首を振ってため息を吐くナマエ。 饒舌な口、明るく大げさな仕草。自殺を身近に扱う人間とは思えないほど朗らかとしている。 しかしいつも筋肉の動きから皺の一本すら違わない笑顔は作り物のようで胡散臭い。 「アナタ、よく毎日へらへらと笑っていられますね」 「はい?」 べらべらと喋っていたナマエは話していたのをやめて首を傾げた。 「鬼鮫さんいきなり何です?」 「前から思っていたんですよ。その笑顔はなんのために貼り付けているのか…」 「あら、接客業に笑顔はつきものでしょう?」 「死に急ぐ相手や死体に笑みを振りまく必要はないでしょう」 死体から流れ出る血の鉄臭い匂いを深く吸い込んで息を吐く。 問い詰められたナマエはしばらく口を噤んで俯いた。耳にかけた髪が落ちて頬にかかる。 どれくらいそうしていただろうか。長い沈黙の後、ナマエはゆっくり顔を上げて鬼鮫を見た。 「鬼鮫さん、わたしはお客様のためにいつも笑っているわけではありませんよ」 薄暗い風呂場でナマエの顔は一層青白く、蝋のように光沢を帯びていた。 「わたし自身のために笑っているんです」 いまいち意味が飲み込めなかった。それが顔に出ていたのか、目の前の女は可笑しそうにくすりと笑う。 「わたしは自殺されるお客様を見ていると、羨ましくてたまらないんです」 「羨ましい…?」 「ほら、わたしは死にたくても死ねなかった人間ですから」 細い指で自分の顔を指さした。 「どんなに苦しくても死を渇望して、望み通りに死ねるお客様が羨ましくて羨ましくてしょうがないんです」 「………」 「でも同時に、狂おしいほど妬ましくって」 浴槽の水死体を横目で見るなり、ナマエの笑みがぐっと深くなる。 「ほいほい死に逝く人達を見てると、うっかり嫉妬で顔が歪んでしまう」 だからそれを自制するためにわたしは笑っているんです。 笑顔で凍りついたままの表情。しかし女の両目は飢えた獣のようにぎらぎらと光っていた。腐臭がしそうな濁った眼球の醜さに、鬼鮫は眉根を寄せた。 「まぁ、こういう考え鬼鮫さんには分かりにくいですよねぇ」 「……アナタ以外に死にたがり人間なんてうちの従業員にはいませんよ」 「あはは、そうでしたね」 ぱっとおちゃらけたトーンに切り替えたナマエに思わず肩の力が一気に抜ける。 自殺用品を売っている人間が死にたいだなんて可笑しいと鬼鮫はつくづく思う。やはりこの女は変わっていて、理解できない。 ナマエ以外の店員は鬼鮫を含め、自殺など考えたことはない。顧客が毎日死ぬのは彼らにとって日常茶飯事で、仕事内容の一つとしてしか捉えていない。 死にたくても死ねず、死を望み、自殺者を羨ましがり妬むナマエが変わっていると鬼鮫が思うのは当然だった。 「無駄話が過ぎましたね。早く次の残業に向かいましょう鬼鮫さん」 「ええ…」 ニコニコしながら軽い足取りで風呂場から出て行こうとするナマエ。その背中を見つめながら、ふと鬼鮫の脳裏に疑問がまた浮かんだ。 「自ら死ぬ者が羨ましく、妬ましいなら…」 「はい?」 「このように死を拒む人間をアナタはどう思っているんです?」 鬼鮫は顎で浴槽に浸かる死体を示した。自殺を拒み、死を抗った人間。アフターサービスで殺された人間。 一分くらいの間沈黙し、ナマエはゆっくりと首を捻って振り返った。 「死ねばいいと思っていますよ」 あはは。 乾いた笑いが木霊した。 『花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ』 井伏鱒二 20150311 |