目を開けると見知らぬ汽車に乗っていた。
二人がけの古ぼけた座席が向かい合うようにして設置されている。それがいくつもいくつも車両内に続いている。しかし私以外に乗客の姿は一つも見えなかった。
私だけが、座席に取り残されていた。

いつ私、汽車なんかに乗ったんだったかな。
そう記憶を辿ろうと頭を回転させようとしたが、なんだか理由の無い疲労感に襲われて思考するのを止めた。手も足も頭も、ぐったりと力が抜けて動かすことができない。私はいつからこんなに怠け者になったんだろう、と自分でも不思議だった。

がたんがたん、がたんがたん。
一定のリズムで刻まれる汽車の音が耳に心地いい。ずっとこの音をBGMにしてここで座っていたいという気にさせる。

ふと、気づいた。座席の横にある窓が開いている。吹き込む風がひんやりとして滲みるようで気持ちが良い。
眼球だけを動かして景色を見やった。
汽車は海の上を走っていた。海はどこまでも続いていて、限りがない。空は水彩絵の具を溶かして混ぜ合わせたような、藍から赤へのグラデーションが美しかった。細長いいくつもの雲が海月のように頼りなく浮かんでいる。
なんて幻想的な光景だろうか。これは夢だろうか。私は今眠っているのかもしれない。

絵画のような景色をぼーっと見ていると、こういう空は何と呼ぶのだっけと疑問符が浮かんだ。思考するのを止めていた筈なのに、脳だけは飛び起きたように動き始めた。

夜明け前。明け方。太陽が昇る前の明るくなる時間。宵でも夜中でもない。夜にしては明るくて、朝にしては薄暗い。
夜にも朝にもなれない、半端な空。
がたんがたん、がたんがたん。

「あかつき」

暁。その名前を口にした瞬間、走馬灯のように私の頭に記憶が蘇ってきた。

私は里抜けした忍。所属していた組織の名前は暁。札付きの犯罪者ばかりで、里抜けしてこの浮世を彷徨う半端な人間達の集まり。
人間というのも疑わしいかもしれない。皆…私を含めて強さの為に人間をやめてる奴らばっかりだったから。かといって化け物というほど理性を捨てきれていない。
朝でもないし夜でもない。人間でもないし化け物でもない。

「暁ってぴったりの名前だと思わない?」
そう皆の前で言い出したことがある。
所詮は女の戯言だと呆れて受け流す奴がほとんど。半端者じゃねぇ、と真に受けてキレる奴も数人いた。
ただリーダーだけはそうだなと静かに頷いて、こう語り出した。

「ただ、また違った別の意味もある。夜を「未完時期」朝を「実現」として考え、暁は「準備期間」を示す。このことから何々の暁には…という言葉が用いられているらしい」

学の無い私はその時ふーんとしか思わなかった。けれど今なら、その言葉の意味を深く受け止められる気がする。


がたんがたん、がたんがたん。
汽車の走る海は暁の空を鏡のように映している。景色の遠く向こうにはいつの間にか十字の墓標たちの影がいくつか並んでいた。


暁は、壊滅したのだ。指の数ほどいたメンバー達も皆、戦いで命を落とした。もちろん、私も含めて。
特別に仲間意識や馴れ合いがあったわけではない。所詮、組織というのは上辺だけだ。中身はそれぞれ個人が目標を掲げてたまたま集まったものにすぎない。
しかし、そんな組織でも恋しい、懐かしい、戻りたいと思う自分がいた。

半端な人間で似た者同士という共通点があったから、こんなにも「暁」のことを故郷のように思ってしまうのかもしれない。
例えるなら柄も色も違う端切れが集まって、縫い合わせられた、継ぎ接ぎだらけの不細工な布。ただそんな布でもキルトなんて呼ばれるくらいには味があって、愛着がわいてしまって、いつしか手離し難い物になっていたりする。
「私は嫌いじゃなかったよ、ただの上辺だけだったとしても」
遠い水面に連なる墓標たちに目を細めた。私もこの汽車から降りたらあそこへ行かなければならないのだろう。不思議と、嫌だとは思わなかった。


暁は準備期間の意味だとリーダーは言ったけれど、結局私達に朝は来なかった。実現も完成もしなかった。

「私達、ずっとずっと半端なまんまなんだね」
ぐしゃりと視界が歪んだ。流れる景色は暁の空が変わらず広がり続けている。
がたんがたん、がたんがたん。
半端な時間の海を、汽車はずっと泳いでいる。私達は永遠に捕らえたままだ。

ここは、地獄だ。



20141005