*アクセルRO♀と

京王線の下り電車に揺られながら欠伸を噛み殺した。端っこの座席に座りながら何となく辺りを見回す。平日の朝の9時頃だが、乗客の数はまばらだ。
同じ京王でもこの時間、上り電車は終点が新宿であるから通勤ラッシュの戦争だろう。明大前駅で待っていた時、向こうのホームに溢れるくらいに立っていた群集を思い返す。
逆に下り電車の車内は穏やかである。特急でも快速でもなく各駅停車なら、なおのこと乗客は少ない。
蘆花恒春園に取材兼散歩でもと思い、こうして朝から電車に揺られている。夜型人間で、インドアを通り越して引きこもりの類である私にしては稀に見る行動力だ。先週の館林の訪問で気が滅入ったせいか、急に気分転換がしたくなった。偶にはこういうのも良いだろう。

電車の真鍮の棒へもたれながら座るとなんだかほっとした。
ふと斜め前に目線を移せば女子大生風の女子二人が仲良さげに話している。仙川に女子大学があるからそこの学生かもしれない。二人のパステルカラーのスカートと春らしいピンク色のお揃いのパンプスが眩しい。時代錯誤な着物を着て歩く自分からしてみればそれは一種の憧れだ。
何かを囁くように話し合い、かと思えばきゃははと快活な笑い声をたてるのがまるで忙しない小鳥を見ているようで微笑ましい。笑う時に口元へ白い手の平を添える仕草に胸が躍る。
春の朝というのも悪くは無いな、とこの時初めて思った。私は本当に現金な人間である。

そうやって少女達をこそこそと目敏く観察していると、電車は大きく車体を揺らし、上北沢駅に停車した。
目の前の扉が、汽車が蒸気を噴き出すような音を出して開く。
電車に一人の女が乗り込んで来た。思わずアッと息を飲む。
女はあまりにも場違いな軍人の恰好をしていた。



「ドアが閉まります」というアナウンスを遠く聞きながら女をまじまじと見る。逆光を浴び、ヘルメットを被ったシルエットがやけに大きく見えてしまうのは幻覚だろうか。
この不思議な感覚。またあの夢だ。しかし、私は今眠っていない。それに今までと現象の起きる場所が違う。家ではなく外で、白昼堂々と、何故私の前にこの女は現れたのだろう?
突然の驚愕で動けずにいる私をよそに、女は軍靴を音高く鳴らして歩み寄り、目の前の吊革に手を下ろした。
軍服が厳つくて分からなかったが、近くで見ると意外にもほっそりとした華奢な女である。スカートから伸びる脚は細く長く、網タイツ越しからでも百日紅の幹のようにつるりとしているというのが分かった。
「奇遇だな先生」
「君は…いったいどうして…」
「居ちゃ駄目か」
「そういうわけじゃあないが…」
これは現実なのかと混乱する私を他所に、軍人女はヘルメットを外して私の隣の座席に放った。燃えるような赤毛に思わず目を奪われる。
赤毛の女軍人と京王線。あまりにちぐはぐな取り合わせに混乱しそうだ。私の潜在意識は私自身に何をさせたいのだろう?
困惑する私に構わず、片手を吊革に預けたまま女はこちらへ屈んできた。
「あの乳臭い餓鬼に見惚れてただろう」
ゾッとするような冷たい声でいきなり囁かれ、吃驚して目を見張る。女は縫い目が綻んだように微笑を浮かべた。
女子大生達はこちらには気づかずに相変わらず無邪気な会話を続けている。
「まさか」
「作家っていうのは変質的な奴が多いものだとは思っていたが…」
片手の指が絡め取られ結ばれる。
「ねぇ先生…」と甘ったるく呼ぶ彼女からはアルコールの匂いがする。朝からなんてだらしのない空気を漂わす女性(にょしょう)だろうか。
「呆れたな。君、酔っているのか?」
思わず眉を顰めて小声で聞く。
しかし女はそれを無視して、私の手を自らの太股へと導いてきた。慌てて手を引っ込めようとするが、信じられないほどの力強さで引き戻される。滑らかな肌と、柔い肉の感触に思わず喉からひくりと悲鳴があがりそうになった。
「こんなの、君、横暴だよ」
「先生は女が好き……なら、私は…?」
私の指でガーターベルトの留め具を引っ掛ける。ぱちんと音がしてそれは容易く外れた。
「オバサンだけど、あんな畑の南瓜よりはずっと良いはず…」
一瞬だけ、殺意がこもっているかのような目で女子大生二人を睨めつける。然しすぐに酔った表情で向き直って、口角をきゅっと持ち上げてみせた。そして片膝をずしりと私の着物の両の腿へ乗せてくる。ガーターが外れて、ずり落ちた網の下から覗く小麦の太股が眩しい。
それを見てしまった瞬間に、車内の温度がグッと上がったような気がした。
こんな公共の場で、しかも人前でなど。咄嗟に女子大生が見ていないか確かめるが、不思議なことに二人はこちらを見向きもしていない。相変わらずおしゃべりに夢中だ。彼女らにはこの女が見えていないのだろうか?
やはり、これは私の妄想なのか。
「やめてくれ、私は君に興味なんて無いんだから」
片膝を乗せられて痛む両腿と女の顔を交互に睨みながら強がった。
「消えて、くれ」
女は益々膝で両腿を圧迫してきた。とてつもなく痛いというわけでもないのに、思わず奥歯を噛み締めてしまう。
脳裏に石責めをされる罪人の絵が浮かぶ。あの光景に似ている。
だらしなく吊革に片手を預け、少しだけ影を落とした顔で女は私を眺めている。
まじまじと見ると、特別に美人というわけではない。しかし全身から放たれる不思議な色気がある。炎立つ赤毛と、杜若が咲いたような紫の瞳の組み合わせはことに艶かしい。思わず、生唾を飲み込む。
「冷たいな…」
拗ねたように零したかと思えば、女の指が私の輪郭をなぞった。指は細く長く、掌は大きかった。珊瑚礁のように綺麗な手だ。ピアノをやっていたなら便利な手だろう。

すると電車は大きく揺れ、八幡山駅に着いた。車掌の特徴的で上ずった声が私の意識をはっきりさせる。やっと一駅。随分長い時間に感じられた。
女は電車が駅に着いた途端、膝を私の腿から下ろしていた。圧迫されていた両腿は熱がこもってじっとりと汗をかいている。
ちらりと見ると、いつの間にか女学生二人は姿を消していた。心底ほっとする。かわいい娘達であった。然し、今思い返せばそれほど大したものではなかったかナ…という気がした。
ビー玉は綺麗で美しい。しかし本物の宝石を目にすると霞んでしまうのは必然だ。
「先生」
不意に呼ばれて顔を上げる。すると頭の後ろに手をやられ、いきなり抱擁をされた。女は少ししゃがんでいたので、私は顔面で豊満な膨らみを受け止めることになってしまった。きつく抱擁された瞬間、酒の匂いが鼻腔を麻痺させる。
緊張と驚きで固まったまま、小麦色の襟首から胸の高くなっている部分が此処なのかと考えるとひどく動悸がした。
「もう消える」
「む、そんな」
私は途端に切なくなった。思わず彷徨わせていた手で彼女の腕に縋る。
「もう少し居てもいいじゃないか」
「消えろと言ったのはそっちだ。先生は私が鬱陶しいんだろう」
「いやァ、そんなことは無い。さっきのはちょっとした天の邪鬼だ」
「はあ、そう..」
胸から顔を上げて慌てて弁解をすると、女は興味深そうに目を光らせた。
「じゃあ私が好きか」
「う、うん」
「髪も瞳も胸も」
「あ、ああ…」
なンだかうまいこと流されている気がするぞ、と訝しんだものの、再び膨らみの内へ抱きとめられてしまい、押し黙るしかない。
「やっぱり。しょうがない人…」
女は漸く私を解放する。そして優越感を湛えた微笑みを浮かべ、その唇を指先でなぞった。まざまざと見せつけられたその表情は、加虐性の根源の姿と言っても過言ではない。思わず胸が震え、鳥肌が立った。
閉まるドアにご注意ください、というアナウンスと共に扉が閉まる。発車した車体は速さを増して、激しく揺れた。惚けていた私は思わずよろめき、真鍮の棒に捕まって慌てて身体を支える。
気付けば女は消えていた。やはりまた夢だったのか?
しかし、のしかかられた大腿部の熱や抱擁された温もりは残っている。こんな生々しい感覚が果たして夢なのだろうか。
電車はなんの変りもなく動いている。すぐに芦花公園駅に到着するだろう。
すっかり魂を引き抜かれた私は、今から花や植物を見てまわる気にはなれなかった。
帰って原稿を書きたい。重苦しい溜息を吐いて、車窓から見えるつまらない景色に視線を彷徨わせた。


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