*オエコモバ♀と

あの奇妙だが真綿に包まれるかのように心地よい夢から目覚めた後も、私は美しき西洋婦女との邂逅を反芻していた。ゆめゆめ忘れることがないよう、日記をつけるように夢の内容を事細かにノートへ書き記した。チョコレイトの薫り、ふわふわとした癖毛のかわゆらしく揺れる様、白くひんやりとした女の膝枕の感触、とろんとした大きな真っ黒い瞳。
原稿は相変わらず全く書き進められないというのに、女についての夢日記は思いがけないほどに筆がのった。取り憑かれたように文机に齧り付き、気付けば七頁半ほど書き連ねていた。
我ながらすごい集中力だ、と書き殴った帳面を満足げに見てからさァ原稿に取り掛かろう…とはならなかった。日記に全ての活力を費やしてしまい、また全身を包む心地いい気だるさが襲ってくる。
気付けばごろんと文机から後ろへ大の字に寝転がり、ちょっと目を閉じるだけのつもりがぐっすりと眠り込んでしまった。



再び夢をみた。夢の纏う空気から、ああこれはまた女に逢えるに違いないと、なんとなく私は確信した。
またあの彼女に逢うのを楽しみにしていたのだが、今回はまた違う女が私の前に姿を現した。
夢の中で私は文机に座っている。
部屋の向かって左手側には古ぼけた檜の鏡台が置かれている。つい四年ほど前に亡くなった祖母の遺品である。余所行きの際に申し訳程度に化粧をしたり、朝起きて軽く手櫛で髪を梳かしたりする時に使うくらいで普段は鏡というより便利棚の役割を果たしているそれ。夢の中では何故か机の上の小物が片付いていて、代わりに一人の女が腰を据えていた。
幼い頃に読んだ「ピーターパン」に出てきた、インディアンの娘を思わせるような緋色の民族衣装が真っ先に目につく。それから袖の無い上着や、スリットの入ったスカートから露出した手足に禍々しい刺青が這っているのには思わずぎょっとした。
奇妙な格好の女は脚を組んで、咥えた煙草の煙が上がるのをぼんやりと見上げている。
そういえば煙たい。煙草の独特な異臭に気付いて、思わず着物の袖で口と鼻を押さえて軽く咳き込む。
その咳の声でやっと私の存在に気付いたというふうに、女は気だるそうに顔をこちらへ向けた。また西洋人である。
肌は少し日に焼けて、歌舞伎よりも奇抜な化粧を施した顔には蚊帳のような網が被さっている。(西洋の葬式では女性は喪服にヴェールを被るというがそれかもしれぬ)
「せんせー、お邪魔してるよ」
このあいだと同じようにこの女も私を「先生」と呼ぶ。しかし気の抜けるような口ぶりから敬っているようには聞こえなかった。それに勝手に人の家に上がり込み、鏡台に座っている。前の癖毛の女とは違って今回の女は少し不躾であるなァ…と私は思った。
「その、煙草が少し…煙たいんだがね」
「窓開ければいいじゃん」
吸うのを止めてほしいと言う前に女に遮られて思わず閉口してしまう。
チンドン屋のように派手で、奇抜な風体に気圧されて自然と舌も縺れる。こんな時、小心者の自分が厭になる。
「せんせー…煙草吸ったことないの?」
信じられないといったように彼女が網の奥で目を見張る。「ずっと前に数回だけ吸ったことがあるよ」と私がちょっとムキになって返せば、女が鏡台から下りて、畳の上をひざ立ちでずるずると歩み寄ってくる。
近くで見ると意外と背が高い。
「じゃあ吸って」と彼女が咥えていた火のついた煙草を、人差し指と親指で摘んで差し出される。断ることもできた。しかしフィルターに付いた口紅が目に入り、不思議とそれを見たら思わず受け取っていた。
彼女の口紅の跡に、塗り重ねるように自分の乾いた唇で煙草を咥え、恐る恐るそぅっと吸い込む。するとこの煙草特有のきつい臭いがたちこめ、口の中がざらざらして気持ちが悪くなってくる。半ば嘔吐くように煙を吐き出しながら、煙草を彼女に返した。
「せんせーったら強がっちゃって」
この時退屈そうだった彼女の顔に初めて、かわゆらしい愛嬌のある微笑が浮かんだ。微笑のまま煙草を口へ運ぶ。唇からではなく、今度は舌で絡め取るようにして、煙草を食む。煙草の先端が橙色にぽっと灯った。薄暗い部屋の中で、派手な白と、赤と、青の、縞模様の化粧が施された頬がぼんやり照らされる。
「君は、いったい誰だ?この前の彼女とも関係があるのかね?」
「せんせーの夢だよ。あたしも、前に視た女っていうのも…」
「確かにこれは私の夢だが、私は君達を知らないし呼んでもいないよ」
「いいや、望んだよ。……ね、もうあたしのこと気に入ってくれた?」
花曇のように煙った暖かい室内の中でくつくつと彼女が笑う。充満する臭いのせいか、さっき一吸いした煙草のせいか、こめかみの辺りが痺れるように痛い。
「煙草を吸う人は苦手だ」
「せんせーったら、いじわるだね。それにちょっと生意気」
少し舌に縺れる甘たるい声が、頭痛のする頭に反響する。
生意気なのは君じゃあないか。そう言い返すのも億劫に感じられるくらいに気分が悪い。同時に強烈なだるい眠気がまぶたにのしかかる。
次第にぼやけていく視界の中で、女が私の手の甲に煙草を押し付けるのを見た。
灰皿代わりにされた甲は、麻酔がかかったように痛くも熱くなかった。


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