きみのやさしいを咀嚼する
*大統領と

「今夜空いてるかな?君をディナーに誘いたい」
ホワイトハウスに来て一ヶ月が経とうとしていた。呼ばれた時に何を申し付けられるか、パターンは幾つか把握したつもりだったが、これは全くの予想外で。
他人から食事を共にしようと誘われたのはそれが初めてだった。しかも相手は敬愛してやまないヴァレンタイン大統領。胸がどきどきと張り詰めるのを感じる。こんな幸せが私なんかに起こっても良いのだろうか、何かの間違いではないか?と思わず自分の耳を疑いたくなってしまった。
大統領の金色の御髪を見やりながら慎重に言葉を選んでいく。
「だ、大統領…まさか…わ、私に仰っているんですか……?」
「勿論、君に言っている。それで返事は?」
「あ、え、ええと」
恩人の誘いをまさか断れるはずが無い。イエスと返事をすれば、七時に迎えに行くから詰め所の入り口の前で待っているようにと言われた。
「ああ、それから支度はメイドに頼んである」
支度、という言葉に首を傾げると同時に、両脇を儼しい顔のメイドに固められた。ひえっ、と喉から情けない悲鳴が漏れる。



支度は複数人のメイドによって滞り無く行われた。風呂に入れられ、髪を梳かれ、化粧とドレスまで着付けさせられた。無理やり仮面の下を暴かれてメイドの顔が真っ青になった時は逃げ出したい気持ちになったが、一国の大統領との食事をするのだから身を整えなければならないのだと自分に言い聞かせて我慢した。
ターコイズブルーのドレスも白貂の襟巻も身につけられた物全てが私には眩しすぎた。カメオの飾りが付いたチョーカーなど、吸血鬼に銀を与えたみたいにこの首を焼き切る想像してしまって不安で仕方が無い。
身の丈に合わない自分の滑稽な姿に嫌になりながら、詰め所の前で約束の時間を待った。

それから官邸の黒い箱馬車が目の前に停まったのは七時ぴったりだった。巨大な馬車への恐怖をなんとか押し殺しながら慌てて乗り込む。(私は移動式の見世物小屋を彷彿とさせるせいか、馬車にトラウマがある)
中では大統領が座っていた。いつもの白い服装とは違う、黒のスモーキングにインバネスを羽織った姿に目が釘付けになる。縫製に知識の無い私からも、ぱっと見るだけで仕立ての良い物だということが分かった。
「見違えるように綺麗になったな」
私を見るなり、興味深そうに大統領は頷く。
ドレスを着付けたメイドも同じ台詞を吐いていたが、大統領の方が何倍も真実味がある響きだった。その褒め言葉だけで、さっきまでの不安は一切消え去る。代わりに気恥しさと嬉しさがこみ上げてきて胸がぞわぞわした。
「少々大胆すぎると私は言ったんだが、妻のスカーレットがそれが良いと聞かなくてね」
「えっ、奥様の物だったんですか?」
「気にしなくていい。ちゃんと本人から許可は取っている。『可愛い犬のためなら』と喜んで貸してくれたよ」
大統領はそう言って愉快そうに微笑んだ。
淑やかで気品があるだけではなくお優しい方だと思う。スカーレットという名の奥様もきっと大統領と同じ位に素晴らしい貴婦人なのだろう。一度会ってみたいものだ。
―――……そんなことを話しているうちに馬車は動き出した。動き出してからは激しい揺れに怯えて声も出せなかったので、大統領との会話は無情にも中断された……、……、………。



一時間くらいの頃合で、やっと悪夢のような箱馬車は止まった。馬車の揺れと閉塞感で途中気が触れなかった自分を褒めてやりたい気分だった。
到着した場所は白い煉瓦作りの建物。此処がレストランのようだ。木製のドアにかかったプレートには「本日貸切り」と書かれている。
建物のなんとも言いがたい雰囲気にびくつく私をよそに、大統領はツカツカと店へ入って行く。慌てて背中を追いかけるように中へと入れば、暖かい照明に照らされた広い店内が目に飛び込んできた。
端正な顔立ちの細身のギャルソンが「いらっしゃいませ」と声をかけてくれる。
案内された席は、ちょうど店の真ん中に位置する席だった。椅子を引かれてぎこちなく腰を下ろせばメニューが渡される。向かい合った大統領は「好きなものを頼みたまえ」とメニューから顔を上げずに言うが、正直なにを頼めば良いのか分からない。食べ物に好き嫌いは無いが、慣れないこの空間のせいで頭が真っ白になっているからだ。
結局、大統領がコース料理を頼んだので「同じものを」とだけ言ってメニューを返した。
間もなく食前酒が勧められた。金色をした液体で、プツプツと小さな気泡が浮いている。
「だいぶ遅くなってしまったが、今夜は君との出逢いに乾杯しよう」
「恐縮です…」
大統領がグラスを差し出してきたので、流されるままに私もグラスを軽くぶつける。高くて透き通った音が響いた。アルコールは初めて口にしたが、舌が痺れて独特の味がした。2口ほど飲んでグラスをそっと置いた。
それから思い切って、一番疑問に思っていたことをとりあえず聞いてみることにした。
「あの、大統領はなぜ私なんかをディナーに呼んでくださったのですか…?」
「新入りの部下は必ずここに呼ぶんだ。そして食事を共にする」
「そうなんですか…」
「これから自分の下につく者がどんな人間なのか、知っておきたいだろう?」
私のような者に興味を抱いてくれているという大統領の言葉が、信じられないくらいに嬉しかった。
「嗚呼…私も大統領がどんな方なのかもっと知りたいです。その胸中に秘めた美しく清い精神がどんな色をしていて、どんな輝きをしているのか私は知りたい!」
勿論口には出さなかった。心の中で吐露しただけだ。
風呂で隅々まで洗われた私の身体からはシャボンのよい香りがする。加えて芳香料も振りかけられたので、嗅ぎ慣れないフリージアの匂いもした。鼻腔をくすぐる芳香が人間に擬態できているという安心感を与え、同時に私の気を益々高揚させた。



暫くして料理が運ばれてきた。イチジクと生ハムのオードブルだとギャルソンが説明してくれた。薄いピンク色をしたハムに包まれた完熟イチジクが美味しそうに盛りつけられている。こんな料理生まれて初めてだ。
しかしがっついているふうに見えないよう、できるだけ品良く食べることを心がけた。幸い、テーブルマナーは幼少期の頃に基本は身に染み付いているし、つい最近も痛い思いをしながらみっちりおさらいさせられた。
向かいの大統領のマナーは勿論完璧だ。食器の物音一つさえたてず、優雅にイチジクを口に運んでいく。咀嚼して味わっている時の伏せた青鼠色の瞳と、骨格の良い顎のラインに目を奪われる。集中しすぎて、折角の料理の味は結局分からなかった。

「君の食べ方は下水道育ちにしては綺麗だな」
「そ、そうですか…?そんなことないと思いますけど…」
「フィンガーボウルを飲もうとしたり、ディスプレイの水槽の熱帯魚を食べたりする部下よりはずっと綺麗だ」
オードブルと次にきたスープを食べ終わって食器が下げられた後、大統領は苦笑しながら教えてくれた。「遺体争奪戦」に関わる構成員の誰かのことを指しているのだと思った。
彼らのことはまだよく知らないが、醜い私に嫌悪感を抱いている人が殆どなのは間違い無い。ただ、どんなに人に嫌われようと私は今いるこの居場所が好きだ。絶対に離れたく無い。
「彼らとは仲良くできているか?」
「い、いえ…あまり…」
「まぁ…お前のその顔貌では難しいだろうな」
「………」
顔を上げると彼の顔に同情の色が浮かんでいるように見えて途端に悲しくなった。分かってはいたが、はっきり言われてしまうと胸が痛い。
ふと思った。大統領は私を手放したりしないだろうかと。醜い怪物をいつまでも置いてくれるという確かな保証など無い。瞬間、両親に見捨てられた思い出が脳裏を過ぎる。
目の前には次のメニューである魚料理が運ばれてきている。きつね色の衣に包まれた鮭のムニエルだった。しかし変な考えを思い浮かべてしまったせいか、あまり食欲がそそられない。
「魚は嫌いか」
いつまでもナイフとフォークに手を伸ばさない私を不審に思ったのか大統領が尋ねてきた。青鼠色の瞳としっかり目が合ってしまい、僅かに肩が跳ね上がる。
食事を残したらきっと彼は私のことを厭になるだろう。そうしたら捨てられるかもしれない。
「い、いえ!そんなことは…」
慌ててナイフとフォークに飛びついた。魚を切り分けて口に押し込む。
すると咀嚼もそこそこに魚の身を飲み込んだ瞬間、喉の辺りに違和感が生まれた。唾を飲み喉を動かすとちくりと僅かに痛みがあった。
「あ、何か喉に…」
「どうした?魚の骨でも刺さったか」
「そう…みたいです…」
水を飲んでもみたが異物感は消えない。結構奥に刺さってしまったのだろうか。焦っているせいか冷や汗がじんわり出てくる。
「慌てて飲み込むからだ」
大統領の声が咎めるように聞こえて泣きたくなった。自分はなんて愚図なんだろう。醜態を晒したことに落ち込む私をよそに、大統領はギャルソンを呼んだ。
「ウエイターすまない、ピンセットを」
事を大きくしたくなくて「大したことないです」と言いかけたが、ギャルソンは言われてすぐにピンセットを持って来てしまった。
細長く、先端が尖っている銀色のそれを持ったギャルソンは私に近付く。
「そ、そんな…大袈裟です…すぐに魚の骨なんて取れます…」
ギャルソンの男にではなく大統領に訴える。
「鮭の骨は太いからあまり放っておくと喉を痛める。取っておいた方がいい」
「でも、私…」
「あぁ…それと…診てもらうのに仮面は邪魔だろうから外した方がいい」
「仮面を…?」
「早く」
人前で仮面を外せと命令されるのはこれで2度目だ。構成員の皆さんの前で外せと言われた時、断れなかった。今もそうだ。大統領の命令は絶対だから震える私の指は抵抗できない。
言われるまま、引き剥がすように仮面を外した。
案の定、目の前のギャルソンの表情が見る見る凍りついて終いには絶叫した。ピンセットがふかふかの絨毯の上に落ちる。
明確な人からの拒絶が益々私に悲しみを植え付ける。同時に、私を恐れるこの男を手に入れたいという変な気が沸き起こってきた。端正な顔をしていて綺麗だと、店に入った時から欲しくてフラストレーションが溜まっていた。
「貴方のそれ、良いですね」
魚の骨が刺さった喉から発せられたのは、自分でもびっくりするくらい冷めた声だった。





新しい飼い犬は矢張り少々気性が激しいようだった。
部下に指導はさせた筈なのだが、まだまだ矯正しきれていないらしい。
食事が済んだヴァレンタインはナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭いながら横目で頭の無いギャルソンの骸を見やる。(まだ「取られた」ばかりなので正確には生きているがヴァレンタインにはどうでも良いことだった)
ギャルソンを襲ったナマエは床にへたり込んでしゃくり上げて泣いている。化粧が流れ落ちたせいで黒い涙が頬をべたべたに汚していた。
ちょっとしたことでギャルソンを呼びナマエに近付かせたのも、仮面を取らせたのも全てナマエをしっかりこの目で観察する為であった。
彼は自分の下につくスタンド使いを選ぶ際、毎回一度はディナーと称してその人間性やスタンド能力を推し測るのだ。
結果、ヴァレンタインの中で出たナマエの評価は「扱いは難しいが力量は確か」という無難なものに終わった。
しかし、感情に任せてギャルソンは襲ったが、目の前にいた自分に対しては危害を加えていなかったところを見ると、ある程度分別はつくようになったようだ。ナマエに上下関係の刷り込みがされていることが分かっただけでもヴァレンタインには大きな収穫だった。

「私からオーナーに謝罪はしておく」
席から立ち上がり、泣いているナマエの前にしゃがみ込む。ナマエは「申し訳ございません」と途切れ途切れに謝るが顔を上げようとはしない。ヴァレンタインはピンセットを拾ってから顎を掴んで顔を上げさせ、唇の隙間から無機質なピンセットを捻じ入れた。すると自然とナマエの口はぎこちなく開かれる。
潤んだ目は戸惑うように宙に視線をさまよわせている。
口を開けると赤とピンクだけで構成された口腔が露わになった。口蓋垂の近くに細く小さな魚の骨が引っかかっている。ピンセットでそれを摘んで引っこ抜くと唾液が水飴のように糸を引いた。ナマエの醜い泣きべそ顔が赤く染まる。
「もう謝らなくて良い。お前には何もペナルティは無い」
ピンセットと魚の骨をテーブルの上の皿に置いて言う。
ナマエは一旦ヴァレンタインに背を向け、仮面を慌てて付けてからゆっくり向き直った。
「わた、私を…捨てないでください…」
「最初に言った筈だ。私にはお前が必要なのだと。私の目的が果たされるまで、お前を手放したりする筈が無い」
「大統領…」
見る見るうちに私の悩みは杞憂だったのだとナマエから安堵の笑みが滲み出てきた。それをゆっくりと確かめるように両手で顔を押さえる。指の隙間から見えるのは煌びやかな主人の姿だ。
ナマエの頭には「この人は全てが美しい」という呪文だけが溢れていた。

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