泣いても嗤ってもあした
*マイクOと
※暴力表現

《それ》は赤い蚯蚓脹れや腐ったような色の痣をこさえてくるのが好きなようだった。
「残飯漁りの癖がなかなか直らなくて困るんですよ」同僚のブラックモアの愚痴が思い出される。
「ちょっと転んでしまいまして」
《それ》の苦しい言い訳が哀れさを誇張させた。しかし《それ》からは絶望の様子は全く見られない。むしろ照れくさそうに、手に巻かれた包帯や、顔に貼り付けた湿布を隠す様は何故だか妙に嬉しそうだった。
《それ》はここへ来た当初よりもずっと健康的な肌色をしていて、女の嗜みにも気を遣い始めたのかやけに身綺麗な恰好になっていた。
しかし顔の左側を覆う白くて大きな仮面がやはり目について仕方が無い。脳裏に焼き付いたあのなんともおぞましい顔を思えば、益々気にかかった。



大統領が刺客を集め、晩餐会と称した遺体争奪についての会議が月に一度行われる。会議といっても大統領と側近の私とブラックモアがほとんど指示概要を話しているだけで、他の参加者達は特に意見を発しない。
その日も晩餐会は静かだった。暗殺者という職のせいか、寡黙で何を考えているか分からない奴等が多い。刺客共とはこうして何度も顔を合わせてはいるが、相変わらずこの静けさは不気味だと思った。
オードブルのキャビアのカナッペが運ばれてきたあたりで遅れて大統領が現れた。
珍しいことだった。いつもは食前酒の時間にも遅刻しないで席に着く人だというのに。
しかし遅れて来た大統領が《それ》を連れていてなんとなく合点がいく。
「彼女は今日から正式に我々の仲間入りをすることになった」
大統領の声で一気に晩餐の参加者の目が集中する。
「彼女は悲観すべき身の上でな、私がふた月前くらいに拾った。見ての通り少し引っ込み思案な奴なんだが、親切にしてやってほしい」
大統領の背に隠れるように突っ立っていた《それ》は両手を胸の前で祈るように組んで、やや怯えた様子で私達を見回した。そして宜しくお願い致します…と蚊の鳴くような声で言って頭を下げる。
「彼女はスタンド使いだ。ああ、それと…」
大統領は目配せをして《それ》に仮面を外すように合図をした。いったいどういうお考えがあってそんなことを、とその時声をあげそうになったが黙っていた。
《それ》はよほど仮面の下をさらけ出すことに抵抗があるようで、長い時間渋っていたが、やがて命令通りにその面に手をかけた、嗚呼……思い出すのも鳥肌が立つ…仮面が剥がれ、あの恐ろしい顔が露わに…。
「同朋達にはきちんとこれを見て、理解してもらう必要があるからな」
現れた素顔にその場にいた全員が息を呑んだのは言うまでもない。私と、その隣に座していたブラックモアはあの化物を見るのは二度目であったが、それでもその醜さには目を背けたくなった。《それ》の顔の醜さは肉体美やプロポーションが不足しているというレベルではないのだ。例えるなら、未知の怪物を目の前にして嫌悪を抱くような…そういった類の醜悪さ。元々の骨格、皮膚、パーツが大きく人間から外れているのが原因なのかもしれない。
とにかく《それ》は人間ではなかった、人間とは全く違う別の生物に間違いなかった。仮面の下の醜い素顔を見たその場の誰もがそう確信したのだ。
怪物が現れた途端に、静かだった晩餐は一瞬にして騒がしくなった。
給仕をしていたメイド達はひきつけを起こして倒れるし、体格の良いフットマン達でさえも皿をひっくり返して部屋を出て行ってしまった。
刺客の方はといえばフェルディナンド博士が体調不良と吐き気を訴えて途中退席するし、オエコモバが火のついた煙草を取り落として小火騒ぎになった。かと思えばマジェントの奴が「すっげーブス!」と気が狂ったようにげらげら笑い出す。
壊れた玩具の箱をひっくり返したような喧騒と混沌だった。騒ぎの元凶である《それ》は醜い顔を晒したまま突っ立っていた。苦痛と恥辱に塗れた表情をしている。しかしそれさえも化物の顔(かんばせ)のせいで忌まわしくおぞましいものにしか感じられない。
本当に救いようも無いほどに哀れな奴だと、この時初めて思った。
「疫病神が」と隣に座っていたブラックモアが静かに悪態をついたのがはっきりと聞こえた。



「階段から脚を滑らせたんです」
あの晩餐から正式に刺客となったわりには《それ》は(自分を含めて)歓迎されていないようだった。証拠に、汚らしい生傷は日を追うごとに増えていく。
包帯と薬の無駄だ。
「階段から落ちて、手に火傷をするなんて器用な世界だな」
真っ白の包帯の隙間から真っ赤な左手が見える。どうせアイロンでも押し当てられたのだろう。どいつがやったかまでは考えない。そこまでこの被害者に同情する心は無いからだ。
嘘を見破られた《それ》はあからさまに動揺して「これはまた別に自分で…」ともごもごと弁解を述べる。
この怪物の分からないところはこれだ。自分を痛めつけた加害者をリークするどころか庇う。
弱味でも握られているのかと思ったが、そういうわけでも無さそうだ。
「同僚からそこまでされ、よく此処が厭にならないものだな。辞めるなら今のうちだぞ」
「えっ…?」
「別の奉公先を探すならいつでも紹介状を書いてやる世界だ」
机上に山のように重なっている書類に判を押していきながら提案をする。
虐待されている《それ》の身を案じてではない。この公邸から早々に立ち去ってほしかったからである。
優秀なスタンド能力や事務処理能力は惜しいが、コイツは大統領の下に居るには危うすぎる。ブラックモアから聞いた話だとかなり情緒不安定な性質で、スタンドのコントロールもままならないという。いつなにがきっかけで味方に牙を向くか分からないし、そもそも本当に実戦で使えるのかどうかさえ疑問だ。
それにコイツの顔はとてつもなく不快だ。
仕事に私情を挟むのは御法度だが、あの醜さは異常だ。言うならば、公害。
取り除かなければ…。
「虐げられ、嫌われ、自分の居場所はここでは無いと少しも思わないのか?」
判を力強く紙面に押し付ける。真っ赤な印が焼き付く。
「思いません」
「は?」
《それ》のやけにはっきりとした否定に思わず顔を上げた。《それ》はいつもと同じように背を丸めて卑屈そうに立っていたが、表情だけは秘めたる怜悧な性質を剥き出しにしている。
「醜い私が、こんなことを申し上げるのは…分不相応だと思いますが……大統領に此処に居ろと命じられた以上、私の居場所は此処なんです」
「……何を言っている」
「私は大統領の所有物ですから、ね?選択権なんて無いんです。だから私…ずっと此処にいないと…」
ふふふっ。
その薄ら笑いを見た瞬間に怖気と嫌悪が吐き気のようにせり上がってきた。
何を言っているんだろうコイツは。自分が大統領に一目置かれているとでも思っているような口振りだ。自惚れが過ぎるんじゃあないか。
「…もう喋るな」
「それに私、此処がとても好きになれそうなんです」
「喋るな」
「だって私、大統領も刺客の皆さんも…」
ゴッと鈍い音が木霊する。気づけば《それ》のこめかみを机上のペーパーウェイトで殴っていた。あっ、と悲鳴をあげたかと思えばソイツはよろめいて倒れた。
肩で息をしながら、見下げる。少しだけ胸が軽くなったような気がした。
ホワイトハウスの模型が入っている透明なペーパーウェイトには、僅かに血が付いている。玉の中の官邸には白い雪が舞っていた。
「あ、え、なんで…マイクさん…?」
こめかみから流れる血を手で押さえながら、混乱した表情で《それ》は私を見上げる。蒼白になり唇をこわばらせた顔はやはり醜かった。「疫病神」というブラックモアの呟きが頭をかすめる。
「喋るなと言ったんだ、なのにお前が聞かないから」
「わたし、何か失礼なことを?」
「喋るな。また殴られたいか?」
鈍器を振り上げればひぃっと悲鳴をあげて後ずさる。殺されたくないという涙目が訴えてくるのが鬱陶しい。
「お前が大統領の私物?……ハッ、笑わせるな。鏡で自分のそのツラをよく見てみる世界だな。醜いお前は大統領の気まぐれでただ置いてもらっているだけだ」
屈んで前髪を掴み上げ、軽く揺すればブチブチと髪の毛が抜ける音がする。《それ》は痛みのあまり涙を零した。
「大統領の命令さえなければ…。お前など今すぐにでも殺しているところなのに…」
苦々しく呟き、突き飛ばすように髪を放す。途端にがくりと糸の切れた人形のように《それ》は倒れた。
はあっと重く溜息を吐いてどかりと椅子に座り込む。コイツのせいで頭が痛い。医務室で頭痛薬をあとでもらいにいかなければ。
ちらりとまだ倒れたままの《それ》を見やる。すんすんと啜り泣いている。
しかし突っ伏した腕の隙間から、微かな笑みのようなものを見取った。怪物は笑っている。

「それに私、此処がとても好きになれそうなんです」
「だって私、大統領も刺客の皆さんも好きなんだもの」

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