きみのこころの壁に穴をあける仕事
*ブラックモアと
※暴力表現

大統領には長らく仕えているが、あの方は捨て犬を拾ってくるような酔狂人ではなかった筈だ。なのにどうして突然、見るもおぞましい獣を養うなど言い出したのか。



新人のスタンド使いだからと、捜査官の私に《それ》の世話役がまわってくるなんて想像もしていなかった。監視を含めた教育係なんて、大統領直々の命令でなければ確実に突っぱねている。

たった今“噛みつかれて”手首から肩までを失った己の右腕と、椅子にしがみつくように座っている野良犬を交互に見る。
憤っているには違いないが、不思議と頭は冷静だ。
「ご、ごめんなさい、申し訳ございません、わたし、私、あの…そんなつもりじゃ…」
《それ》は自分から噛みついてきたというのに、あくまで事故だというふうに弁解をする。背後にいる欲深いスタンドははっきり出現しているというのに。
「ただ、す、素敵な腕だなって、ちょっと思っただけで…」
癇に障る発言と聞き取りにくい吃音に生理的嫌悪を覚える。下水道育ちはやはり頭まで毒物で侵されているのだろうか?
衝動的に《それ》の頭を左手で掴み上げ、テーブルへ打ち付けた。ガシャンッとマナー用に並べられていた食器が衝撃で大きな音をたてる。
髪の毛を掴んだまま白いクロスへ押し付ければ、《それ》は苦しそうな声をあげる。
「戻して頂けますか、今すぐに」
そう要求すればすぐに片腕は戻ってきた。叱れば言う事をきく素直なところは犬そっくりだ。
頭から手を放すと念入りに梳いたのであろう髪はぐしゃぐしゃに乱れていた。大統領から仮面をもらってから、身なりに気を遣い始めたようだ。まだ此処へ入って日も浅いというのに、すっかり秘書気取りか。
「ブラックモアさん…ほんとに、もうしわけ…」
か細い泣き声とともに《それ》はよろよろと顔を上げた。額が切れたのか、そこから血が伝って、顎からぽたぽたと滴り落ちている。
「あぁ、謝罪は必要ありません。……それよりも貴方は、慎みというものを覚えてもらわなくては困りますね」
「え、」
「今は私だったからまだ良かったものの、もし大統領の身に同じことをしたら、貴方…どう責任を取るおつもりですか?」
「そんな…わたし、大統領になんて、」
言葉が終わらないうちにテーブルナイフを甲に突き立てる。ひぎィっと犬が醜い悲鳴をあげた。白い手が釘付けにされたまま藻掻く。テーブルクロスにはじわじわと赤黒い染みが広がっていった。まるで大きな蜘蛛でも殺したみたいだ。
「貴方のスタンドは大統領が仰る通り、確かに有能かもしれません。しかし今までのように己が欲のまま、人間を手当り次第襲ってもらっては困るんですよ」
《それ》は刺された甲と私を交互に見、ふーふー荒く息を吐きながら涙を垂れ流している。
「節制の無い道具など、さかりの畜生と同じくらい使えませんから」
突き刺さった銀をぐりっと動かせば、くぐもった呻きがあがった。
「これからは許しがある時以外はスタンドの使用を禁じます、良いですね?」
《それ》は痛みにもがきながら首を縦に振り続ける。「また同じことをしたら、今度は指を切断しますからそのつもりで」ナイフを抜いてやれば、《それ》は風穴の空いた手を庇いながらごめんなさいを言い続けて啜り泣く。手からの出血は服もテーブルクロスも忽ち真っ赤に染め上げるほど激しかった。
あぁ、マイク・Oに掃除係を呼んでもらわなければ。虫の好かない同僚に頭を下げることを想像してうんざりする。
「早く医務室に行くことをお勧めします。出血多量で死にますよ」
この犬、下水道でも保健所でもいいから何処ぞへ消えてはくれないものだろうか。

私は、大統領のお考えが今回ばかりはよく分からない。



「使えない」
ブラックモアさんに言われた言葉を反芻しながら、私は部屋で仮面の下を引っ掻いていた。昔からそうだ、気持ちが落ち着かないといつも皮膚が引き攣って痒くなる。
「わたし、しっかりしなきゃ、抑えなきゃ、抑えなきゃ」
天蓋が付いた大きすぎるベッドの隅でうずくまる。
私は今日、明らかに失望されたのだ。誤って「パパラッツィー」を使ってしまったばっかりに…。ちらりと包帯が入念に巻かれた自分の手を見る。ブラックモアさんに深くナイフで抉られた傷だ。まだ燃え上がるように痛い。嗚呼、これは愚かな私への戒めだ。
ガリッと仮面の下で音がする。掻き毟りすぎて頬が染みるように痛い。指を見れば、爪のあいだには薄らと血がこびり付いていた。
……当然の報いだ。
醜い自分を口の端で自嘲する。誤って彼の腕を取った?違う、明らかに故意による行いだ。あの百日紅のような滑らかで逞しい腕に魅せられ、欲しいと思った。だからスタンドを使ってもぎ取ってしまおうと…!
「駄目よ…此処の人達は駄目。欲しい…欲しいけど…」
痛いのを無視してばりばりと顔を引っ掻き続ける。《自分はこのままだと大統領にも危害を及ぼす可能性がある》《スタンドを制御できなければ自分は必要無い》聖書の教えのように、それらの注意を頭の中で戒告する。同時に、ブラックモアさんがナイフで手を刺してきたように、醜い面を掻き毟って痛みで己を罰した。
「醜い上にこんなに浅ましいなんて、私ったら本当に救いようのない頓痴気」
自分を口汚く罵りながら顔面に爪をたてる。痛みより嫌悪感に思わず涙が出てくる。
「でも…だって、欲しくて仕方ないんだもの」
啜り泣きながら言い訳が溢れる。狂おしい程の羨望と美しいものが愛おしすぎる気持ちからくる果てなき欲求。
抑えるのは辛い。だが、私を必要としてくれている人達に失望され続けるのはもっと苦痛だ。

その夜は、がりがりと自らを掻き毟る音を聞きながら、理性と本能の葛藤に悶え苦しんだ。
しかし、自分には相応しい罰だと思った。



躾がよほど効いたのか、次の日から《それ》はスタンドの制御を意識するようになった。不気味なスタンド像も出ず、私の腕もあれから掻っ攫おうとはしない。結構なことだ。
こんな事ならもっと早くから手の甲を抉っておけば良かった。
ただ一つ気がかりだったのは《それ》の態度の変わりようである。相変わらず話し方は聞き取りにくい吃音だが「ブラックモアさん」と呼んでくる声だけはよく通り、何か吹っ切れたような清々しさを顔に浮かべていた。
「昨日、ブラックモアさんに仰られたことを一晩寝ずに考えて、反省…したんです。あぁこれからはちゃぁんと自分で自分を抑えなければなぁって…」
《それ》はうふふ、と微かに笑うように頬を動かす。同時に、仮面の下の醜い面を掻き毟り始めた。
「あぁ、でもモアさんの腕がとっても素晴らしいなって思ったのは…今も嘘偽りありません。肩から肘にかけてすぅーって伸びているところとか、肘の膨らみとか、ね、綺麗で。本当は喉から手が出るほど欲しいし、棚に飾って置きたいくらいなんです。でも、ほら、わたし、ちゃぁんと我慢、してるでしょう?」
もちろん約束通り、命令がある時以外は絶対に手を出しませんから!
ガリガリと耳障りな音をたてながら《それ》は嬉嬉として尻尾を振る。

私は取り敢えず「すいませェん」と一声かけ、昨日抉った犬の前足をへし折った。

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