花はジャスミン



困ったな…。
思わず空を仰ぎ見、呟く。星の見えない暗い空からはザアザアと雨がしとどに降り続いていた。時刻はもう夜の七時近い。秋冬の季節は日が沈むのが早いと改めて分かる。
俺は運の悪いことに傘を持ってきていなかった。天気予報では夕方から雨だと予報されていて早く帰ろうと思っていたが、大学の講義に提出するレポートに追われて帰りが遅くなってしまったのだ。

雨宿りをするにも予報ではこれからどんどん雨足は強まるといっていたし、このまま濡れて帰るでも良いが、鬼鮫あたりに「お体に障りますよ」と小言を言われるのは面倒だ。
さて、どうしようか。
どうにも身動きがとれないまま、俺は大学の出入り口で降る雨を見つめていた。

「やだーうちはセンパイ!奇遇ですねぇ!」
「こんなところでどうしたんです?」

重なるように響く女の声に振り向くと二人の女子が立っていた。パステルカラーのひらひらした服がよく目立ち、かつんかつんとヒールの音高くこちらへ歩み寄ってくる。
顔は何度か見たことがあった。確か同じ学科の一年生だった気がする。

「あっ、もしかして傘持っていないんですか?」
「あたし達も今帰るとこなんですよ、良かったら入って行きます?」
「いや、それは…」
「ついでに良かったら御飯ご一緒しませんか?この辺で美味しいロコモコのお店知ってるんで!」

水玉や星などのカラフルな模様が入った傘を見せ、畳み掛けるように言葉を重ねる二人。本人たちはきっと親切心で言っているんだと思うが、あれよあれよという間に食事の話まで勝手に進められてこちらとしては少し困る。
そして頭の片隅にふと浮かんだのは、いつも口にしているうちの料理のことだった。素朴な味が美味しい、温かい料理。そして忙しなく台所を動き回る割烹着の後ろ姿…。


「イタチさん!」

聞き覚えのある声に思わずつっと顔を上げる。雨の向こうにこちらへ駆け寄ってくる人影が見えた。たった今思い浮かべていた家政婦の顔がそこにあった。ピンク色の花柄の傘が灰色の視界で唯一色鮮やかに見えた。

「えつこ…お前、どうしてここに」
急いで走って来たのか、肩で息をしているえつこに内心驚きつつ問う。

「イタチさんが傘を持っていかなかったの思い出したんですよ。だから晩ご飯を作った後に慌てて大学の場所を聞いてお迎えにと…」

すみません、連絡の一つもせずに。
頬を赤く染めながら申し訳なさそうに眉を下げるえつこ。本当に殊勝な奴だと思う。少し度が過ぎるくらいだ。

「こちらこそすまなかったな、無理をさせた」
「えっ、」
「帰るぞ。雨の強くならないうちに」

俺たちはこれで失礼する。
戸惑うえつこの手を引きながら後輩二人に一言告げて大学を出た。
傘は花柄のそれ一本しかなかった。よほど急いでアパートを出たのだろう。
思わず苦笑が漏れた。





「すみません、傘…一本しか無くて」
「別に良い、もう気にするな」

帰路を歩きながら相変わらず謝罪を続けるえつこを宥める。

「それと…私お邪魔してしまいましたか?」
「……なにがだ?」
「イタチさん、女の子二人とお話ししていたじゃないですか。もしかしてその、で、デートのお誘いとかだったのかと…」

顔を赤らめながら上擦った声で話す様子。いつものえつことは違った一面だ。仕事に熱心すぎて、案外こういうところは初心なのかもしれない。

「いや、ただの同じ学科の後輩達だ」
「そ、そうだったんですね…。イタチさんってモテていらっしゃるんですね!」
「それはどうか知らないが…とにかく助かった、礼を言うぞえつこ」

頭一つ分ほど低い色白の顔を見下げれば、驚いたように目を丸くされた。そしてすぐ俯くえつこ。口を金魚のようにぱくぱく動かし、耳が赤い。雨にあたりすぎて風邪でもひいたのだろうか。

「い、いえ…家政婦として当然のことです、から…」

雨の音で掻き消えそうなほどの小さな声でつっかえながらそう答え、「今日の晩ご飯はカレーですよ!」と慌てて話をすり替えるように言った。頬まで真っ赤だったからもしかしたら本当に風邪をひいたのかもしれない。今度お詫びに団子でも差し入れしよう。

「もう少しこっちへ寄らないと濡れるぞ」
「だ、大丈夫です…!」




20141103

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