水深わずか200メートル


「こ、これは酷い」

ああ、なんということでしょう。
目の前にある自分が作り出してしまった不細工な料理に頭を抱えたくなりました。
ふわふわになるはずのメレンゲ生地は萎んだように潰れ、表面には焦げ目もついてしまっています。

「おやおや、アナタでも料理を失敗するんですねェ…」
「わっ、鬼鮫さん!?」
「……そんなに驚かなくてもいいんじゃないですか?」

怪訝な表情をする鬼鮫さん。
驚きますよ、だってお顔が怖いんですもの。

「き、鬼鮫さんが家にいるなんて珍しいですね。いつもはお仕事なのに…」
「今日は勤め先の熱帯魚店が休みなんですよ」
「ねったいぎょ…?」

ねったいぎょ…熱帯魚…魚のお顔をした鬼鮫さんが、熱帯魚店……。

「ぶふっ」
「ちょっとそこに正座しなさい、削って差し上げましょう」
「すすすすみません!!」

噴き出した瞬間に鬼鮫さん顔が益々恐ろしいものになったので慌てて全力で謝りました。削るってなんでしょうか…あまり考えたくはないです。



「……で、何を作るつもりだったんです?」
「チョコレートスフレです」
「これまた小洒落たものを……」

今日の晩餐のデザートに作って振る舞おうと思っていたのです。しかし初めて作る料理だったので見事に失敗してしまいました。

「メレンゲ生地の混ぜ方が足りなかったのでは?」
「そうかもしれませんね……って、鬼鮫さんお菓子にお詳しいんですね」
「詳しいとまではいきませんがね。前に喫茶店の厨房で働いていたことがあるだけです」
「へぇ…すごいじゃないですか!」
「もうずっと前ですから。何年も菓子なんて作っていませんよ」

意外な鬼鮫さんの経歴にびっくりしてしまいました。まさか鬼鮫さんの口から「メレンゲ」なんて単語が出るなんて…。

「今度スフレの作り方教えて頂けますか?」
「だから言ったでしょう、もうずっと前にやめたんですよ」
「なんでですか?」
「なんでもです」

そう言って、鬼鮫さんは教えてくれませんでした。鬼鮫さんは少し意地悪な方です。きっとお菓子の作り方も私よりずっと上手な筈でしょうに…。

「じゃあ、これから夕飯の買い出しに一緒に行ってくれませんか?」
「何故私が…」
「折角ですし!」
「……しょうがない人ですねェ」

溜息を吐きながら渋々といった様子て了承してくださった鬼鮫さん。あわよくば料理のことなど詳しくお話ししてくれるかもしれません!





近所のスーパーは平日の夕方とあってか、主婦のおばさま方で賑わっていました。

「確かまだキャベツが残っていたと思うので、今晩はロールキャベツを作ろうと思っているんです」
「ロールキャベツ…手間がかかりませんか」

時間がかかったら五月蝿い人達がいるんじゃないですか?
鬼鮫さんはそう怪訝な顔をしました。五月蝿い人達というのは誰かだいたい想像がついてしまいます。

「確かにちょっと準備と煮込むのは大変ですが、これ一品だけでボリュームがあって、おかずが済むんですもの」
「……なるほど、よく食べるうちの住人達には丁度良いですねェ」
「はい。あっ、挽肉」

カートの買い物カゴへ豚挽肉を入れました。
さりげなく鬼鮫さんにカートを押させてしまっているのに気が引けてしまいます。
「こういう時は黙って言葉に甘えるものですよ。男の面目を潰すつもりですか?アナタ」
遠慮した時にそう尖った口調で言っていましたけど、今思えばそれは鬼鮫さんなりの気遣いだったのかなぁと思います。


「スフレ」
「へ?」
「スフレもう一度作るんでしょう?材料買い直さなくて良いんですか?」

急に鬼鮫さんに言われて目をぱちくりしてしまう私。

「でも、また失敗してしまったら…」
「失敗しないよう、私が教えて差し上げますよ」
「えっ…」
「そのかわりと言ってはなんですが」

お魚に似た目で私を見下げて、鬼鮫さんはいつもより三割り増しで怖い真顔で口を開きました。

「私が今日のように休みの日は、料理を教えて頂けますか」
「は、」

言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかって、やっと理解したと同時にこくんと頷いておりました。

「わ、私なんかで……宜しければ…」
「そうですか」
「は、はい」

私が了承の返事をすれば、鬼鮫さんは何事も無かったように「さ、材料買いに行きますよ」とカートを押して行ってしまいます。
慌てて追いかけながら、意外な鬼鮫さんからの申し出に私はまだ混乱しておりました。
教えて、くれないと思っていたのに…。急に心変わりしたのは何故でしょう?
ともかく…言動は少し意地悪で、お顔は確かに怖いけれど鬼鮫さんはお優しい人なのかもしれません。


私はカートを押す大きな背中に追いついて、くすりと笑ってしまいます。
騒々しく混み合うスーパーに流れる音楽は緩やかで穏やかなものでした。



20141019


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