がりっ
小石を噛み砕くような無機質な音に私は眉を顰めた。隣に立つ博士が親指の爪を噛んでいる。わざわざ手袋まで外して。
ただ単に考え事をしているのか、それともさっき始末した男が博士曰く「崇高なる大地」に煙草をポイ捨てしていたことが余程癪に障ったのか理由はどっちだろう。どちらにせよ博士が強烈なストレスを感じ、イラついているのは確実だと思った。

フェルディナンド博士。学のない私にはよく分からないが、「チシツ学」とか「コダイセーブツ学」とやらのお偉いセンセイらしい。そのせいか日頃の態度も言動もいつも偉そうだ。「目上の人間には敬意を払うものだぞ、この大地に接するようにな」女みたいに発色の良いルージュをひいた唇を不機嫌そうに曲げて、よく博士は口喧しく物を言う。
私は正直言ってそんな彼が嫌いとまではいかないけれど、好きではない。


博士はよく考えが行き詰まったり、カリカリすると指の爪を噛む。指まで齧ってしまうんじゃないかと思う勢いで、強く噛む。そのせいでしなやかな手に反して博士の爪はギザギザで不揃いだ。
大の大人の彼が子供みたいに爪を噛むのはおかしいと思うし、何より見ていて気に障る。
いつもだったら聞こえないふりをして我慢するんだけど、今日は私も任務疲れで気が立っていた。博士が爪を齧り始めた途端、ふつふつと煮えたぎっていたものが腹からせり上がってくるような感覚がした。

「やめなさいよそれ」
「……」
「ねぇってば」

無言の博士に思わずカッとなり、手が出ていた。口にしていた方の手を掴み上げる。学者の手首というのはこんなにも細く、なまっ白いものなのかとその時初めて思った。

手を掴まれて驚いたような顔をした博士と目が合った。しばらくの沈黙の後、その二つの瞳からぽろぽろと雫が溢れた。思わずワケがわからなくてぎょっとした。泣いている。あの偉そうで嫌味なフェルディナンド博士が。
うっ、と声を詰まらせると掴まれていた手を振り払って涙を拭う博士はまるで玩具を取り上げられた子供みたいだ。

「博士なんで泣いてるの」
「大地が…穢されたのだぞ…」

すんと鼻を啜る音。「尊い大地を、あいつらめ…あいつらめ…」と恨みがましく呟き続けるから、あぁさっき始末した男達のポイ捨てのことを言っているのかと解釈した。
博士が大地を賞賛していることは重々知っていたが、泣き出すまでとは思わなかった。おそらく爪を噛むことで安定を保っていた情緒が私がやめさせたせいで決壊してしまったのだろう。「情緒不安定」という単語が頭を過ぎる。
面倒な男だな、と思ったが早く公邸へ帰って任務報告しに行かなければならない。なんとか博士を落ち着かせて帰路に着かなければ。

「博士、泣かないでくださいよ。もう私もキレたりしませんから」
「うぅ…」
「その、博士の言う…“偉大な大地を汚した愚か者”はさっき殺したでしょう。ね?」

だからもう泣かないの。
敬語と子供に言い聞かせるみたいな語りかけが混じった出鱈目な口調で博士を慰める。
ぐすぐす鼻を啜り、目縁が泣いて真っ赤になっている博士は女々しかったが不機嫌なネコみたいでちょっと可愛いとか思ってしまった。彼はわりと見た目は美青年なのだ。中性的で整った顔立ちをしていて、泣き顔さえ絵になる。色素の薄い睫毛にのった涙が歯痒い。
博士は石炭のように黒い瞳で私をしばらくすんすんと鼻を鳴らしながら見ていた。長い沈黙があった。

「…わかった」

眉間に皺を寄せて少し不満げながらも博士は落ち着いた声音でやっとそう言って頷いた。そしてまた親指の爪を噛み始めたが、もう気にしないことにした。

やれやれと嘆息して、歩き出したのもつかの間。ぐい、とコートの裾を引っ張られた。振り向けば博士が爪を齧っている方とは逆の手で掴んでいた。
睨みつけるような、それでいて縋るような視線。前髪のあいだから覗く白い額がほんのり紅く色付いていた。がりりと爪を噛む音がする。

「放して」
「断る」

困った。変に懐かれてしまった。
私はため息を吐いて空を仰いだ。



爪を噛む
20150707

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -