彼が赤い舌の上にのせたのは、砕いた真っ黒な石だった。金槌で砕いたそれは尖ってて口に入れたら痛そうなのに、それを彼は蛇のように難なく飲み込む。飲む時に上を向き、反らせた白い喉が上下に動く様から目が離せない。
「ねえ、身体に悪いよ」
何十回目か分からない忠告をすれば、彼…ディエゴ・ブランドーは不貞腐れた顔をする。遊びを邪魔された子供みたいだが、それでいて私を厳しく非難するような表情だ。ブロンドの前髪の奥から睨みつけてくるブルーの瞳に私は思わず縮こまってしまった。
いつもそうだ。私の親切心は彼にはうまく通じない。
「構うなよ。口に入れてないと落ち着かないんだ」
そう言いながら今度は砂っぽい、茶色い石を摘んで口にする。また白い喉が蠢く。そして指に付いた石の欠片も丁寧に舌で舐めとる。真っ赤な舌に砂粒が付着する様子は見ていて気持ちが悪かった。

ディエゴは普通の人間が口にしない物を食べてしまう癖がある。
何か一つの物だけに執着しているわけではなく、口にする異物の種類は幅広い。石、髪の毛、土、紙、粘土、ソファの綿、火を通していない人参、小麦粉、石炭……私が食べるのを目にしたことがある物だけでもこんなにある。
一度心配になって無理やり医者に連れていったところ、「異食症」という症状だと診断された。栄養価の全く無いものを取り憑かれたように食べてしまう一種の病なのだそうだ。この症状の原因は様々である。栄養価の欠乏から異食をしてしまうケース、統合失調症や強迫性障害といった精神的障害から伴って異食するケース、またあるいは食料品でない物の味や舌触りに魅せられて異食を繰り返してしまうケース。ディエゴがどの場合に当てはまるのかは分かっていないが、彼が極端な異食症患者であることは明らかであった。
幸いまだ目に見えて身体に異常はきたしていないみたいだが、いつ何か起こってもおかしくはない。
「身体に悪いよ」と何度も忠告をしているのだが一度やめても何度も繰り返してしまうので、治る見込みは無いのではないかと私もディエゴ自身も思ってしまっている。「治らないなら別に良い。大した問題じゃあ無いしな」と彼は言うが、私は心配でたまらない。仮にも彼はイギリス競馬界のナンバーワンのジョッキーだ。来年にはアメリカで行われるという大陸横断レースにも参加することが決まっている。大切な時期なのにもし今、身体を壊したりなんかしたら…。
それに何よりも愛する人が無機物を食べる様なんて、見ていて気持ちのいいものでは無い。食事の時にやられた時にはこっちは食欲が失せてしまうほどだ。
「またそんな辛気臭い顔をするな」
考え事をしていたのが顔に出ていたのか、ディエゴが私を引き寄せて咎めるように言う。肩に回る手は力強く、私を捕らえて離そうとしない。
「ディエゴ、もう一度病院に行きましょう?貴方のその癖やっぱり…」
「不健康」か「不気味」か。言葉を選ぶ前に私は思わず口を噤む。ディエゴが私の耳の後ろあたりの髪を舌先で掬ったからだ。獣じみた息遣いが耳元にかかり、未知の恐怖に身が石のように硬直する。情交の時の耳を舐める愛撫にも似ているが、これには嫌悪感と恐ろしさしか感じない。
舌で掬いあげた少しの髪を、ディエゴが噛んだ。そしてあろうことか顎の力だけで引っ張ってくる。
「痛いっ!」
髪を引っ張られる痛みに思わず涙が滲んできた。離れようと身を捩れば、ブチブチと髪が二三本抜ける音がする。一瞬、無数の針で突き刺されたような痛みが耳の後ろの頭皮を襲う。
ディエゴを見上げれば、薄い唇の端から毟られた長い髪の毛が無残にはみ出していた。両目はギラギラと貪欲に光っていて、人間とはかけ離れた獣のような空気を纏っている。
赤い唇に舌を這わせて器用に私の髪を口内に納めると、ディエゴはニッと笑う。剥き出しの歯には髪の毛が呪いみたいに絡みついていて、私は思わず悲鳴をあげた。



異食症
20160301

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テーマ「人外ファンタジー」
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