真っ黒な室内はまるで墨をぬったみたいだ。そこに蝋燭だけを灯していると、まるで教会のミサみたいだと思う。しんと静まっていて、壁にかけた時計の針が進む音だけがコチコチと響く。もう一時。“見張り”を開始して二時間は経っただろうか。
「あの」
いきなり声がして、慌てて傍らのベッドに身を横たえた彼を見る。思わず椅子から腰を浮かせた。
「あぁ、起きてたの」
「……矢張り、眠れそうにありません」
ブラックモアは抑揚のない声でそう告げた。はかないため息の音が夜の部屋に木霊する。
解けた帯みたいに枕元に散らばる金髪に目を奪われつつ、私は椅子をベッド側に引摺り寄せて座り直した。
「難しく考えるから駄目なのよ。ただ目を閉じてじっとしていれば眠れるわ」
「この時間を仕事にあてられたら、と考えると目が冴えてしまって」
「だから仕事のことは今は忘れなさいって。大統領にも言われたんでしょ」
「……」
「また過労で倒れたい?」
大統領のことを出せば途端に彼の顔は曇る。

ブラックモアはつい先日仕事中に倒れた。原因は過労及び精神的疲労。そして著しい睡眠不足。彼曰くここのところ約一週間ほどまともに眠れていなかったという。「仕事に追われてそんな暇はなく…」「書類整理をしていたら睡眠欲など忘れていました。疲労は確かに感じましたが、いつものことなのでこれくらい平気だと思っていたので」
全く正気じゃないくらいの社畜精神に恐怖さえ感じた。
大統領はいつもは側近に対して業務以外のプライバシーにあまり踏み込まないタイプの人である。しかし今回のブラックモアの自己管理能力の欠如にはさすがに認識を改めるよう注意をした。気さくないつもの調子とは違う、活を入れるような厳しい口調で諭していたのを覚えている。それほど真剣に咎めるくらいに大統領にとってブラックモアという部下は有能で失いたくない側近なのだと改めて感じた。

「私を見張りにつけたのだって大統領がそれくらい貴方を心配してるってこと。分かるでしょ?」
説教くさい言い方にならないようにわざと冗談っぽい口調で言う。しかしまばたきもせずに天井を凝視している彼は相変わらず何か考え込んでるみたいだった。蝋燭の火で照らされた横顔はいつもより一層青白く見えた。
「あぁ、寝れない時は林檎が良いんですって」
重たい空気を誤魔化すように椅子の下に置いたカゴから林檎を取り出す。持ち合わせのナイフを赤い皮に這わせた。
ずっと黙り込んでいたブラックモアはそれを見て、少しだけ頭をこちらに向ける。
「お心遣い大変有難いのですが、林檎はあまり好きではありません。……罪の果実だ」
彼は何故か知らないが熱心なキリストオタクだ。思わず鼻の頭に皺が寄るのが分かった。
「意味分からない文句言わないでよ、“一日一個の林檎で医者いらず”って言葉知らないの?」
「……では、一切れだけ」
しぶしぶと頷いたので剥けた黄金色の林檎をあげた。身を起こした彼はゆっくりと一口、二口と咀嚼していく。
飲み込む時に生じろい喉が蠢くのと、寝巻きから覗く浮き出た鎖骨を見てなんだか意味もなく私は悲しくなった。そして私もまた彼を失うのが嫌なのだと初めて気付く。
ただの同僚としてしか思っていなかった筈なのに。胸がどきりと音をたてた。
「眠れそう?」
「さぁ…分かりません」
「眠れるまでずっと私が傍にいるわ」
「はぁ、苦労をかけます」
甘い言葉をそっと呟いてみるが、ちっともロマンチックではなく冗談にしか聞こえない。
呟きは暗い部屋の隅に消えた。



不眠症
20151022

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テーマ「人外ファンタジー」
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