「イルーゾォ、そこのすみれ色の、取って」

欠伸でも出そうなほど気だるく、それでいて強い命令口調でナマエが言う。
しぶしぶ、鏡の中から手だけを出して靴の山を探る。これだと思った靴を一つ掴んで寄越せば「冗談でしょ?」と言いたげな顔をされた。
「すみれ色」なんて分からない。紫と何が違うのだろうか。それ以前にナマエは同じ形の靴しか持っていないんだから何色だって別にいいじゃあないか、と思う。
バレリーナがお遊戯会で履いてるみたいな靴だな、といつだったかナマエの靴を馬鹿にしたら「メリージェーンシューズっていうのよ」と向こう脛を蹴られた。メリージェーンシューズとやらはハイヒールで蹴られるよりも痛かった。







ナマエが暗殺チームに入って来たのはもう三年も前のことだ。ヴェネツィアのギャングの鉄砲玉だったが訳あってナポリの孤児院まで逃亡していたところをリゾットが連れてきた。
その頃のナマエは髪だってざんぎり頭で、服も靴もボロボロのみすぼらしい姿だった。すみれ色のメリージェーンシューズがどうとか全くそんな我が儘は口にせず、現在よりもずっと無口な子供だった。今の愛想が無い故の“無口”ではなくて、腹が減ってるとか眠りたいだとか生理的に飢えてて喋る余裕もない感じの“無口”。膝を抱えて椅子に座り、目だけをギラつかせた小さなナマエは狂犬病になった野良犬みたいだった。
リゾットから聞いた話だと、元々いた孤児院で虐待を受けていたらしい。ギャングが蔓延るナポリの孤児院なんかまともな施設は無い。孤児が虐待やら薬漬けにされて死ぬなんて新聞に載らないだけでそう珍しくはない。

孤児院はナマエが暗殺チームに来たその日のうちに火事で全焼した。


「お前がやったのか」
あれ、とテレビに映っていた火災の大惨事の様子を顎で示す。
シャワーを浴び、用意されたスウェット生地のパジャマに着替え、ソルベとジェラートの作ったパスタを食べていた少女は真っ黒い目で俺を見た。風呂に入って飯で腹も膨れたせいか、さっきよりもナマエの肌や瞳は全体的につやつやと潤っていた。まるでさっきまでの汚らしい姿から脱皮したみたいに。

「あれは不幸な事故よ。彼奴らみんな天に召されたんだわ」

顔には、表情は無かった。しかしその言い方には明らかに嘲った調子だった。「虐待された孤児の少女」の境遇に少しだけ同情しかけてた自分が馬鹿みたいに思えた。
アーメン、アーメン。
ナマエは敬虔なキリスト教信者というわけでもない俺から見ても出鱈目な十字をきり、何事も無かったようにパスタを絡め取って口に入れた。

火は消し止められたが孤児院にいた子供とシスター達は殆どが火傷で重症を負い意識不明、残りの十数人は焼死体で見つかった。
出火場所は子供部屋にあるストーブ。周りに雪で濡れたマフラーやセーターを干していて、そこから火が燃え移ったという。
テレビのレポーターの声がそう早口でまくし立てていたのが聞こえた。

ナマエによって孤児院の火事は“不幸な事故”に見事に仕立て上げられたのだった。







「ファンハウス」というスタンド名はヴェネツィアにいた頃、ナマエが自分で名付けたという。とても能力に見合ったシンプルな名だと思った。

「死因は“偶然”ワックスかけたての階段で足を滑らせ転落、“運悪く”懐の銃が暴発して胸に致命傷を負い死亡…というところかしら」

頬に付着した血をぐしぐしと拭いながらナマエは、たった今殺した中年男の死体を見下げていた。
賭博場を経営し、少しづつ頭角を現し始めていた危険因子の男。パッショーネの障害になる前に殺せと上からの命令だった。

「出来すぎちゃいないか?事故死に見せかけるにしては」
「でも誰が見てもそうとしか思えない死に方よ」

ナマエの隣には玩具の家の模型に手足が付いたような姿のスタンドがぴったりくっついている。いつ見ても巫山戯た形だ、と壁に掛けられた鏡の中で伺いながら思う。
…確かに男の死に様は完璧に事故死したそれだった。木製の手すり付きの螺旋階段から転げ落ちた格好で、胸元を鮮血に染めて絶命している死体。漂う硝煙と、黄色味を帯びて濁った白目が事故の理不尽さ、壮絶さを物語っているようだ。

全てナマエのファンハウスの仕組んだことなのだが。


ファンハウスは「屋根のある屋内」でのみ、その力を発揮する。屋外では全くの無能だ。
能力は標的を閉じ込めて建物を操り、罠をけしかけるというもの。
しかし攻撃自体は全く大したことはない。建物自体か、または中にある家具などを使ってしかナマエは攻撃を与えられない。これにより必然的にランプを落とすだとか、床をせり上げて階段から転がすとか、地味な攻撃手段になる。
しかしこの普遍さが暗殺には好都合なのだ。

ナマエはファンハウスを動かす時、屋内で起こりゆる事故の範囲でしか攻撃をしない。標的を焼死させるにしてもいきなりバーナーで点火はしない。まず台所からガス漏れさせるとか、あるいはストーブの上に干された子供の洗濯物に火をつけるだとか、まわりくどい段階を踏んで殺すのだ。
ナマエはあくまで「事故死」に見せかけることにこだわる。そのこだわりがあってこそ、バレない暗殺は完成する。
ナマエはきっと自分の殺しを、誰にでも起こりゆる“不幸な事故”だと思っている。







鏡の中から出て、死体を検分していた時だった。

「汚い」

ナマエが吐き捨てるように零した。
最初、どっちのことを言ったのかと思った。血がこびり付いたメリージェーンシューズのことなのか、それともこの男の死体のことなのか。
しかしすぐにもう一度、「汚い」と口にして靴を脱ぎ始めたから、ああそっちかと分かった。出掛ける前はすみれ色だったそれは乾いた血に塗れて赤黒く汚れている。
ナマエはおもむろに親指と人差し指だけで靴をつまみ上げ、ポイと雑に投げ捨てた。ぼてんと意外と重い音がしてフローリングの床に転がる。

「こら」
「もう要らないわ」
「お前が殺した奴の血だろ」

靴を拾い上げながら咎めれば石炭みたいに黒い目がゆっくりと瞬いた。

「殺した?“不幸な事故”の間違いでしょ」

まただ。顔は無表情なのに声には嘲った調子が含まれている。孤児院に放火したあの時と同じだ。
ナマエは色形にこだわった靴も、自分が殺す人間も、切り捨てる時はいつも一瞬だ。自分にはもう全く関係がないものだと鼻をかんだティッシュのように丸めて投げ捨てる。
俺は特別それを嫌悪してるわけでも否定するわけでもない。むしろ暗殺者としては一番望ましい態度だと思う。
ただ10歳の子供としては、このあまりに淡泊な性質は気味が悪い。







「明日靴買いに行きたい」
「荷物持ちは御免だ」
「100ユーロ」

帰るとき、俺の手の中に細っこい指先と一緒に紙幣が押し込められた。子供の癖に給料はきちんと俺たちと同じ分を貰っている。
この歳から買収を覚えるんだから下手に子供に大金を持たせちゃ駄目だ、絶対。
「わかったわかった」と紙幣を受け取ろうとした瞬間、ナマエの手がギュッと痛いほど強く握り締めてきた。手の甲に貝殻を並べたみたいな、手入れのされた爪が食い込む。

「約束よ。破ったらアジトの鏡を一枚残らず叩き壊す、それからあんたを鏡の代わりに壁に打ち付けてやるわ。悪趣味なヘラジカの剥製みたいにね」

約束よ、ともう一度低い声で言って見上げてきたので、引き攣った口元を無理矢理上げて「わかった」と頷いた。
ナマエは俺の表情に満足したのか、やっと手を離した。そして踵を返して歩いて賭博場を出ていく。そのちっぽけな後ろ姿はピンと針金が入ったように真っ直ぐ伸ばされていた。
その潔癖ささえ感じさせるほど物堅い雰囲気は、未発達の子供の容姿と差がありすぎているせいか不気味だった。
あぁ、やはりナマエはどうも苦手だ。暗殺チームにあの老婆みたいな質の餓鬼が来たことが、俺にとっての「不幸な事故」だとつくづく思えた。




20150616
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