「本日は忙しい中突然お呼び出ししてすみませんお父様」

よく糊のきいたスーツを着た四十代後半くらいの女が頭を下げる。最後に見たのは三ヶ月前の参観日以来だが相変わらず神経質そうな雰囲気の教師だと思った。それしか印象的なイメージがないため名前がなかなか思い出せない。女教師はフチなしの眼鏡を人差し指で押し上げ、さも恐縮そうに眉根を下げながら俺を応接室に案内した。


お父様。
そう俺は今はごく普通の家庭の父親。『歳は今年で四十。職業は保険会社の営業部長。妻は子どもたちを産んですぐ他界。息子二人に娘が一人、そして人懐っこいミニチュア・ピンシャーを飼っている。休日は子どもたちにジェラートを奢ったりフットサルの試合を見に行ったりする…エトセトラ』
「亡き妻と揃い」という設定の左手薬指にはめたカルティエの指輪。それを親指で擦りながら何度も頭の中で“役柄”を復習した。
この役は決して難しくはないが窮屈で嫌いだ。だから滅多なことじゃなければ演じない。今日は「その滅多なこと」のある日だ。ああ面倒くさい。
ザ・グレイトフルデッドで中年くらいまでに老いた指は酷くかさついていた。







部屋は二人がけのソファがローテーブルを挟んで向かい合うように2つ置かれていて、それ以外にはブラインドのかかった大きな窓と申し訳程度の飾りの花瓶しかない。学校というよりは病院の一室みたいな殺風景な部屋だった。
部屋には既にナマエの奴がソファに身を沈めて座っていた。俺が部屋に入ってきた一瞬だけこちらを向いたが、すぐにそれを忘れるように視線を逸らす。
相変わらず腹の立つ生意気なガキだ。

頭痛はしないのかというほどきつく編み込まれた三つ編み頭を睨みつける。大股で歩み寄り、どかりとナマエの隣に腰を下ろすと振動で細っこい体が少し揺れただけで顔は真正面を向いたまま俺に目を合わせようともしない。
こっちが言いたいことはわかっている癖にわざとらしくとぼける態度に苛立ちが募る。場所が学校で、そして人前でなければその青白い頬に平手でも食らわせてやりたいくらいだ。


「今回お話というのはですね…ええと“アッサッシーノ”さん…」

いきなり偽の苗字を呼ばれ、思わず身構えてしまう。相変わらず正体を隠す気ゼロな名前だ。誰だこんな偽名考えた奴は。確かに俺達は暗殺チームだが、だからって安直すぎる。教師のほうも訝しげに手元の資料を見ながら怪訝な顔をしていた。「妙な苗字でしょう?先祖が『血の掟』でも交わしてたのかな、ハハハ」と口の端で笑って誤魔化す。

「お嬢様のナマエさんは成績には問題はありませんし、すごく優秀な生徒さんですわ。この間の美術展に出品なさった絵も市長賞をお取りになったようですし…。まぁただ交友関係をもう少し私としては…」

テーブルに広げられたナマエの成績通知や賞状と教師の長ったらしい能書きには特に関心は湧かない。アジトで散々小難しくってワケの分からねぇ本を読み漁ってる奴だ。この前はドストエフスキーかなんだかを読んでいた。
小学生のテストなんざ今更目をつぶってても解けるに決まってる。

「今日お呼び出ししたのは昨日の事故のことについてでして…」

教師の声のトーンが下がる。
「事故?」とオウム返しに聞き返した俺の声は若干震えていた。隣のナマエは相変わらず微動だにしない。

「ナマエさんと同じクラスの女子生徒がコンパスを持って転び、不幸なことに…頬を貫通したんです」
「はぁ、」

ああ、決してナマエさんを疑っているわけじゃないんですのよ?ただ、何か事故に関して知っているんじゃないかと思いまして…。

教師の見え見えの嘘を聞き流しながら隣のナマエを横目で睨んだ。僅かに肩を竦めただけで、相変わらず何も言わなかった。








「てめぇ何やらかしてんだ」

車に乗り込むと同時に、憎たらしいおさげを引っ張りあげながら詰め寄った。痛みに顔を顰めながらナマエは団栗みたいな丸っこい目で俺を睨む。

「何もしてないわ、教師の言いがかりよ」
「“偶然”床の板が古くてせり上がってて、“偶然”ガキの持ってたコンパスが頬を突くなんて出来すぎてる。そのコンパスはお前のもんだったそうじゃあねぇか」

お前のスタンドの仕業だろ。
ナマエの眉間にぎゅっと皺が寄る。

「結局あの間抜け教師含めて、誰にもバレてなかったわ」
「今回はな。だがもし次にてめぇがやったってバレたらどうすんだ。暗殺チームとして、目立つ行動はするんじゃあねぇ」

ぐいっと頭を突き飛ばす。ナマエの肘がドリンクホルダーにぶつかってガンっと耳障りな音をたてた。
グレイトフルデッドを解除し、古ぼけたスーツのジャケットを後部座席に脱ぎ捨てる。同時に偽の結婚指輪も外した。
くだらねぇママごとから解放されてやっと落ち着く。もう二度とやるか。

「大体なんで堅気の人間にスタンドけしかけるなんざ…」

お前らしくもない。
煙草に火を付けながらそう言いかけて、やめた。その前にナマエの舌打ちが早かったからだ。

「…私が理由もないのにあんな真似するワケないじゃない」
「…なんだよ」
「なんでもないわ」

もう喋りたくないという風に不機嫌そうにツンとそっぽを向く。相変わらず本当になんだこのガキ。
その時、煙草の煙を吐きながらふと視線を下げた。ナマエの抱えた鞄に目が止まる。学校の指定のチョコレート色の革製の鞄。
目を凝らして見ると、やけに白っぽい汚れが付いている。加えて細かくて小さな傷が鞄の革を裂いていた。それはまるでカッターか何かで傷つけたかのような…。
「いじめ」という最近新聞記事でよく見る単語が頭を過った。
……そういえばこいつ、前にいたヴェネツィアの孤児院でも同年代のガキに嫌われてたとか言ってたっけ。まぁこんなクソ生意気で愛想の無い性格してたらハブにされんのも当然だが。
なんとなくその時、暗殺チームのパッショーネでの扱いとナマエの境遇が重なった。つまはじきにされ、誰からも信用されない厄介者。パッショーネ全体が集まる会合でもうちのチームの席が用意されたことはない。くだらない幼稚な悪ふざけだとは分かっているが、プライドを踏みにじるには充分だった。
ナマエはそういった屈辱を昔の孤児院でも今の学校でも味わっていたのだろうか。

……頬に風穴ブチ開けたいと思うくらい、不思議じゃあねぇな。

煙草が苦く感じられて、思わず灰皿に押し付ける。気を取直すようにハンドルを握り締めてから、ナマエに視線を向けた。傷だらけの鞄を膝の上に置いて窓の方を向いている横顔は無表情だが、何かを堪えているようにも見えた。

「髪引っ張ったのは謝るからよ、機嫌直せ」
「なんなの、いきなり態度変えて」

目だけこちらを向けて睨みつけてくるナマエ。こいつはあからさまに同情を向けると益々機嫌を悪くするからそれを悟られねェようにしなきゃあいけない。面倒くさい奴だ。

「お前ジェラート好きだろ。奢ってやるよ」
「……プロシュートが私に優しくするなんて気持ちが悪いわね。どういう風の吹き回し?」
「俺がジェラート食いてぇ気分なんだよ。てめぇの父親役なんてやらされたせいでつかれたからな」

エンジンをかけてぶっきらぼうに言い放つ。ナマエはふぅんと一瞬怪しんだが、すぐに顔を逸らして「ピスタチオ」とだけ一言告げた。

さて、ジェラートを食いながらこいつの愚痴でも聞いてやろうか。
父親役なんてもう懲り懲りだった筈なのに、そんなことを考えている自分はなんなんだろうか。
苦笑しつつ、アクセルを力強く踏みつけて車を走らせた。




20150802
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