:: 3周年 | ナノ


夕陽に照らされた雪が、ふわふわとまるで桜の花びらのように舞い降る。それを手の平でそっと触れれば、それは呆気なく溶けてしまった。

それを見て、俺はその雪が少しだけ羨ましく感じた。
俺も、こんな風に溶けてしまえばいいのにって。

自分が消えてしまえばいい、なんて今日ほど強く思ったことはない。むしろ、こんなこと初めて思った。いや、前にも一度だけこれとよく似た感情を味わったことがある。あの日…。

俺が、初めて人を殴った日…。

あの人とは、あれ以来もう二度と出会うことはないと思っていた。だけど、この学園で再会してー…。そして今日、あの人はこの学園を卒業した。

沢山の人の中に、寂しいという感情を残して。
俺の大切な人たちに、別れを惜しまれながらー…。

月子も、哉太も、去り行くあの人の背中を見て泣いていた。それも、当然か。哉太にとってあの人は誰よりも尊敬する人で、そして記憶のない月子にとっても、あの人はこの学園で導いてくれた人だから。

そして、俺にとっては…。

そう考えながら校舎を歩いていたとき、あの貴女(ひと)の後姿が視界に入った。

「っ…」
「…?あ、東月くん」

立ち止まった俺の存在に気づいたのか、彼女は後ろを振り返って俺の名前を呼んだ。そしていつもと変わらず、優しい笑みを浮かべてくれる。

「こんばんは。こんな夜遅くにどうしたの?」
「少し…。屋上庭園に行こうと思って」
「天体観測?」
「はい。星を見たくなって」

そう言いながら、俺は彼女と少し距離を取って歩き始める。そして彼女はというと、俺の隣に並んで歩き始めた。

屋上庭園に天体観測をしに、っていうのは建前だった。俺はただ、誰もいない校舎を歩いていたかったんだ。昔のことを、思い出しながら。そして、今までこの学園で過ごしてきた思い出を振り返りながら。

「名字さんは、どうしてここに?」
「残っている生徒がいないか、見回りにね」
「そうだったんですか」

そこで、名字さんとの会話は途切れた。そして残ったのは、気まずい空気だけ。いや、気まずいと感じているのは俺だけなのかもしれない。

だって彼女は、変わらずに微笑みを浮かべているから。

この学園の生徒なら、こうして彼女と並んで歩けるだけでも嬉しいことなのかもしれない。だけど、みんながみんなそうじゃないってことを分かってほしい。現に俺は、今すぐにでもここから逃げ出したいのだから。

別に、彼女のせいではない。
だけど、分からないんだ。彼女との関わり方が。

哉太や月子は、彼女を見かければいつも話しかけていた。羊だって、お腹が空いたときによく購買部に行っていたみたいだし…。でも俺は、彼女に話しかけもしなかったし、購買部に行くことも滅多になかった。

「東月くんは、今日の卒業式どうだった?」
「どうだったって…?」
「七海くんは、卒業式で泣いていたわよ。お世話になった先輩が卒業しちゃったらしくて…」

そう、だったな。確かに哉太は、あの人との別れを惜しんでいた。あの人…不知火先輩との別れを。

だからこそ、あいつが泣いていたことも知っている。だけど、俺は泣かなかった。泣けるわけがない。むしろ、あの人がこの学園からいなくなってー…。

「俺はとくに、お世話になった先輩はいませんから」
「そう…。それじゃあどうして、泣きそうな顔をしているの?」
「え…?」
「なんとなく、そう思ったの」

そう言いながら名字さんは、眉をへの字に下げて笑った。

俺が泣きそうな顔をしていたなんて、そんなことありえるわけがない。それは、彼女の気のせいだ。だって、どうして俺が泣く必要なんか…。

だけど、本当は羨ましかった。涙を流せる哉太と月子が。
俺にはどう頑張ったって、無理なことだから。

俺は、不知火先輩のことが嫌いだ。

思い出したくないあの出来事が起きた日から、この学園で再会したときから。この学園であの人のことを見かけるたびに、心がズクリと痛んだから。

「泣きそうな顔なんて、していません」
「そう?」

ああ、この目だ。相手の全てを見透かすようなこの目。この目が不知火先輩に似ていて、嫌になる。

人の弱さを見透かして、そして受け入れて。自分の弱さを見せずに、ただ相手のためになることをしようとする。そんな自己犠牲の塊が、俺は嫌いだ。

どうしてだろう。不知火先輩と出会ったあの日から、俺は年上の人と関わるのが苦手になった。いや、自分よりも頼りがいのある人と関わるのが苦手になったのかな。

だって俺は、今まで頼られる側の人間として生きてきたから。
だから、どうやって頼ったらいいのか分からないんだ。

「東月くんって、大人なのね」
「…からかっているんですか?」
「どうして?」
「大人の貴女からそう言われると、そうとしか思えませんよ」

そう言って俺は、歩く速度を少しだけ速めた。それはまるで、名字さんのことを追い払うかのように。

だけどその瞬間、パッと手の平を掴まれた。

「…何ですか?」
「なんだか、一人にしちゃいけないと思って」
「意味が分かりません」
「ふふっ。反抗期の子どもみたい」

カッと顔の中心に熱が集まった。何も、照れたわけじゃない。怒りという感情が熱となって、爆発したんだ。

なんなんだこの人は。俺のことを大人だと言ってからかったかと思えば、反抗期の子ども扱いしたり。人の神経を逆撫でるようなことしかしてこない。

一体、何を考えているんだ?

「怒らせてしまったのなら、ごめんなさい」
「だったら、離してください」
「それは、ダメ。なんだか、東月くんって私の弟に似ていて放っとけないのよ」

そう言って名字さんは手の平の掴んでいた力を緩めて、そして俺の手を繋ぐようにして包み込んだ。

「こうしていると、弟と手を繋いでいるみたい」
「…俺は、貴女の弟じゃありません」
「…そう、ね。それもそうよね」

そのとき、彼女は少しだけ悲しそうな顔をした。それでもそれは一瞬のことで、次の瞬間にはまたいつものように柔らかな笑みを浮かべる。

だけど、その顔を見てしまって俺は何も言えなくなった。だって、彼女が初めて俺に見せた弱い部分だったから。強い人だとばかり思っていた彼女の、弱い部分。それに触れたとき、俺の中で小さな庇護欲が生まれた。

心のどこかで、彼女のことを守りたいと思ってしまったんだ。

「だけど、覚えておいて。私達大人は、いつでもあなた達に頼ってほしいのよ」
「そう、言われても…」
「私はこれでも、東月くんより少し年上だから」
「っ…」
「だから、弱くなりたいときはいつでも頼って」

そして彼女は、スルリと俺の手を放すと、「またね」と言って一人先へと進んで行ってしまった。

俺はただ、名字さんの背中を見送ることしかできなくて…。それでも俺の心には、さっきまであった彼女への苦手意識はなくなっていた。

もし、今度彼女を見かけたら、自分から話しかけてみようか。
そしたら彼女は、何と答えてくれるだろう?


2015/07/13

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